救急救命士の仰天現場 パラメディック119~すべては救命のために~

パラメディック119-すべては救命のために-
救急救命士のため息現場報告 case53

パラメディック119救急救命士のため息現場オレは訴えないよ up data 2009.12.18

オレは訴えないよ

 この日最初の救急活動を終えての帰署途上、まだ午前中です。
隊長「…やれやれ今月、これで何回目だ?」
隊員「さあ?昨日も扱ったって申し送りがありましたからね…」
機関員「今日も朝っぱらからあの酒臭さだもんな、まったくどうにかならないものかね…」
奥さんの誕生日は忘れてしまっても…で紹介したAさんは酒を飲んでは気持ちが悪いと救急車を要請する、そんな事を1日に2度3度と続ける大常習者です。ここ数ヶ月、いつもの駅前で彼をいったい何度扱ったでしょうか?この日も朝一発目の出場から酒臭いAさんを扱ったのでした。昨夜も深夜に救急要請し、病院からいつもの駅前に帰ってきて再び飲酒、また朝に救急要請に至っていたのでした。Aさんの救急要請の傾向としては深夜から明け方にかけてが多いこと、これは夜から明け方にかけて酒を飲むためです。一晩中飲んでは病院に行きまた酒を飲む、これの繰り返しです。どうやら昼間は寝ていることが多いようです。

 Aさんに始まったこの日の救急活動、いつものように激務が始まり、休憩も食事もまともに摂れないままにいつの間にか日付が変わっていました。やっとひと段落したのは深夜も3時を回ろうとした頃、もう祈るような気持ちです『お願いだ、もう出場なんてやめてくれ…頼むからもう許してくれ…』仮眠室に入った救急隊3名、倒れこむように横になりました。休めたのは1時間半ほど…、私たちの祈りも虚しく早朝の消防署に出場指令が鳴り響きました。「救急隊出場、○駅前交番にけが人、ホームレス同士の喧嘩の模様、警察官扱い中」くぅぅぅ…眠たい…フラフラの救急隊は消防署を飛び出しました。
隊長「駅前交番でホームレス…って言うとまたAさんか?」
隊員「そうかもしれませんね、あの人の場合、1日2度3度の要請は珍しい事ではないですからね…」
ひょっとしてまたAさんではないのか?いや、○駅前交番からの要請でホームレス…となるとかなりの確率でAさんなのです。ふぅ、また病院が決まらないぞ…。

 現場到着
Aさんならまたいつものようにたらふく酒を飲んで交番の警察官に囲まれているのでしょう。…おや?いつもと様子が違うぞ?駅前交番には一人の警察官が座っておりその横に小柄な初老の男性が座っていました。いつも扱っているのですぐに分かります、Aさんは身体がもっと大きいしもっと若いのです。この現場はどうやらAさんとは関係がないようです。昼間ならバスやタクシーで混雑しているこのロータリーもこの早朝ではガラガラでした。救急車を駅前のロータリーに停車、資器材を傾向して交番に向かいます。あれ?あっちは何だ?駅入り口で何やら騒いでいる人がいました。その人を取り囲むように警察官が数名、どうやらあの騒ぎのせいで交番には警察官が1名しかいないようです。その1名の警察官が私たちに向かって手を挙げました。
交番の警察官「どうもお疲れ様です、こちらです、お願いします」
隊長「はい、分かりました」
やはり私たちが扱う傷病者は交番にいる小柄な男性のようです。よかった…あっちの騒ぎとは関係なくて。

 傷病者接触
警察官「どうもお疲れ様です」
隊長「お疲れ様です、喧嘩による受傷とお聞きしているのですがこちらの方ですか?」
警察官「ええ、喧嘩と言っても口論から一方的に殴られたようです、Eさん、救急隊の方が来てくれたよ、ひとまず病院で診てもらおうや」
Eさん「ああ、分かった」
Eさんは60代の男性でホームレスのEさん、時々この駅前で夜を明かすのだそうです。今日はこの駅前でホームレス仲間で酒を飲んでいたところ口論となり殴られてしまったとの事でした。
隊長「おはようございます、Eさん、受傷されているのはお顔だけですか?」
Eさん「ええ、ここだけです」
隊長「殴られたのは一発だけですか?他に転倒して頭を打ったとか、痛いところはありませんか?」
Eさん「殴られたのは一発だけ、痛いのは顔だけだよ」
隊長「そうですか分かりました」
Eさんの顔面は腫上がっていました。お酒をかなり飲んでいるようでしたが落ち着いており、警察官や救急隊に暴言を吐くような人ではありませんでした。意識もしっかりとしておりしっかりと歩ける状態でした。
隊長「それではEさん、救急車まで歩けますね?救急車の中でお怪我の処置をさせてください」
Eさん「ええ、大丈夫です」
隊員が介助しEさんは自力歩行で救急車まで向かうこととなりました。救急車に向かって歩き始めた救急隊とEさん、そして警察官
隊長「殴った相手というのは何者なのですか?」
警察官「それがですね…」
「コラー!こっちに来いコラァ~!」
何?何だ?まだ早朝で人もまばら、静かな駅前に何やら怒号が響き渡りました。駅入り口の先ほどの騒ぎの場所からです。男性が数人の警察官に取り囲まれ静止されていました。
数人の警察官「おい!A、お前いい加減にしろよ!」
Aさん「うるせえ!コラ!お前逃げてるんじゃねえよコラァ!こっちに来いコラァ~!」
Eさん「ふん…」
スタスタと歩くEさん、これはひょっとして…
隊長「殴った相手っていうのは…あれですか?」
警察官「ええ…そうなんですよ…」
隊長「はぁぁ…今日は本人じゃなくて加害者ってことですか?」
警察官「そうです…」
Eさんを殴り受傷させたのはAさんでした。いつものようにかなり酔っ払っており、そしてまたいつものように大騒ぎして警察官に囲まれているのでした。気に入らないからとぶん殴って怪我をさせた訳か…はぁぁ、こりゃ少なくともろくに寝てない救急隊なんかより元気だな…。

 車内収容
しっかりとした足取りで救急車に乗り込んだEさん、何でも昨夜から明け方までホームレス数人でこの駅前で酒を飲んでいたところ口論となり、突然、Aさんに殴られてしまったとのこと。ただ、すぐに騒ぎを聞きつけた警察官が駆けつけたたため殴られたのは一発、受傷部位は顔面だけでした。特にバイタルも問題はありませんでした。
隊長「そうですか、それでは特に大きなご病気もありませんね?救急隊でその怪我を診てくれる病院を探しますからね」
Eさん「ええ、お願いします」
救急車のサイドドアが開きました、顔を出したのは先ほどまでAさんの騒ぎに対応していた警察官でした。救急車のカーテンの隙間から外を覗き見てみるとどうやらAさんは交番に連れて行かれたようで騒ぎは収まっていました。
警察官「病院は決まりましたか?」
隊長「いえ、選定中です」
警察官「そうですか、決まったら搬送先を教えてください」
隊長「ええ、了解しました」
警察官「少しよろしいですか?」
隊長「どうぞ」
警察官はEさんに話しかけ始めました。
警察官「Eさん、災難だったね?お怪我は大丈夫?」
Eさん「ああ、そんなにたいした怪我じゃないよ」
警察官「そう…でもずいぶん腫れているし殴られているのは間違いないからね、治療してもらった方がいいよ、これ訴えるよね?」
そりゃそうだ、人を殴って怪我をさせれば傷害事件、これは事件です。人を殴ってはいけません、怪我をさせてはいけません、ルールを破ればペナルティがある、こんな事は当たり前です。Aさんがしたことは許されることではありません、Eさんに痛い思いをさせ、そしてまたこうして警察官、救急隊を巻き込む騒ぎを起こしているのです。『逮捕だ逮捕!留置所にでも入って警察官に絞られれば少しはAさんも大人しくなるだろう』そんな風に思っていると…
Eさん「いや…オレは訴えないよ」
警察官「え!?訴えない?訴えないの?」
Eさん「ああ、訴えない、オレはただ顔は痛いから治療はしてもらいたいけど訴えたりはしない」
警察官「いや…でも…訴えないならあなたに怪我をさせたあの人はこのままだよ、それでいいの?」
Eさん「じゃあオレが訴えるって言ったらアイツは治療費をオレに払うことになるのか?アイツは金なんて持っていないぜ?」
警察官「う~ん…治療費だとかそういう話は私たちが介入することではないから何とも言えませんが…確かにお金は持ってはいないとは思うけど…」
Eさん「オレはアイツのことをよく知っているの、オレが訴えて刑務所に入ることになっても別にアイツは痛くもなんともないよ、治療費が貰えるのなら訴えるけどアイツが払えないのもよく知っている、訴えるなんてそんな意味のないことはしない」
Eさんはキッパリ訴えないと宣言したのでした。
警察官「…そう、分かりました、それではEさん、お大事にしてね」
Eさん「ああ」
はぁぁ…訴えないのか、と言うことはこれは事件にはならずAさんはまたこの駅前を根城にして酒を飲み続ける…ということか…。

 病院到着
「顔面打撲 軽症」

 帰署途上
隊長「Eさんが訴えてくれれば警察官が連れて行くだろうから少しの間は静かになるかと思ったのにな…」
隊員「本当ですよ、それなのに訴えないって言うんだもんな…」
隊長「でもEさんの言う通りなのだろうな?一緒にいるホームレス仲間が言うんだから間違いないのだろう、金を払ってもらえる訳じゃない、別に逮捕されてもAさんにとってはそれは問題じゃない、確かに訴えたって意味はないのかもしれない…」
機関員「でも逮捕されれば酒が飲めなくなる訳だから本人には痛手なんじゃないかな?」
隊員「確かに…でも酒を飲まない規則正しい生活が送れる訳だから実はむしろメリットの方が大きいかもしれませんよ」
隊長「それもそうだな…まっとうな社会人なら逮捕されるなんて世の中がひっくり返るくらいの出来事なのにな…」
機関員「はぁぁ…何て言うかさ…いくら腹が立つことがあってもグっと我慢して、世の中の人がみんなそうやっているって言うのに…あのAさんの方がよっぽど自由な気がするのはオレだけかな?」
隊員「いや…オレもそんな気がしますよ」
機関員「家族もいるし、家のローンもあるし…だからこんな時間に、こんな目にあっても我慢しているのだけど…なんかオレ、そう言うのがバカバカしくなってきちゃったよ」
隊長「おいおい、ちょっと病んできているんじゃないのか?」
機関員「そうなんですよオレ…最近、あのAさんが羨ましくってね…」
隊員「ははは、その気持ち分かりますよ、怖いものなし、ある意味最強ですからね」
隊長「そうだなぁ…」
隊員「病んでますかね?オレたち」
隊長「ああ病んでいるね、でもオレたちだけじゃないな、この時間のこの辺りの救急隊はみんな病んでるよ、みんなボロボロだ」
機関員「少なくとも今のオレたちには人をぶん殴るほどの元気なんてありゃしないよな?」
隊員「ええ、そんなエネルギー残っちゃいませんよ、もうヘトヘトで…」

 消防署に戻るともう起床の時間になっていました。消防隊員が作ってくれた朝食をすすり、事務処理に取り掛かります。交替する隊員たちも続々と出勤し、刻一刻と交替の時間が近づいてきました。深夜の出場も堪えますが、交替間際の出場も非常に堪えます。『お願いだ、もう許してくれ、どうにか出場がかかりませんように』この日はこの祈りが通じたのかこのまま交替の時間を迎えることができました。交替すれば出場がありません、落ち着いて机に向かって仕事ができるのです。この日はじめての出場指令が鳴り響きました。「救急隊出場、○駅前に急病人、Aと名乗る男性は気分が悪いもの、公衆電話からの通報」
隊長「何だって!はぁぁ…またAだよ…」
隊員「ついさっき人を殴って怪我をさせるぐらい元気だったって言うのに…」
機関員「ほら…警察官に取り囲まれてむしゃくしゃしたんじゃないの?だからあの後、また酒を飲んだんだよきっと…」
救急車が消防署の車庫を飛び出していきました。昨日に引き続き今日もこの救急隊の1日はAさんを扱うことから始まったのでした。
機関員「ははは…はぁ…羨ましいよなぁ」
隊員「ははは…はぁぁ…本当ですね…」
隊長「早く片付けて帰ろう…こっちがいかれちまう…」

 このAさんに関するお話にはさらに続きがあります。本当にAさんは扱い過ぎて3部作になってしまいました…。帰ってきた常習者に続きます。この記事に対するご意見、ご感想をお寄せください。救急救命士の待機室にコメントを残す事ができます。みなさまからのたくさんのコメントをお待ちしています。

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