救急救命士のありがとうの現場 vol.2
脱帽しようか
救急隊の活動はもちろん24時間体制、119番を受ければいつでもどこでも駆けつけるって仕事です。救急隊長、救急隊員、救急機関員は24時間ずっといっしょにいます。消防隊もそれは同じことですが、出動していないときは消防署にいてそれそれの係事務に従事します。隊長や機関員といつも顔を合わせているわけではありません。救急隊も出動していないときは消防署に待機しているのでずっと3人がいっしょってことはありませんが、いつもお話している通り、都心部の救急隊は1日10件以上の出動をこなしています。狭い救急車内にずっといっしょ、さらに夜も救急隊の寝室で3人でベッドを並べて寝るのです。家族だって24時間ずっと同じ部屋にいたらストレスを感じるものです。いくら隊がまとまっていて仲が良くてもしょせんは他人なのですからストレスにならない訳がありません。これが横暴な隊長、クセある隊員などが隊にいたらそれはそれはたいへんです。みなさんもウマの合わない上司、気に入らない部下のひとりやふたりいるんじゃないでしょうか?その人と24時間のうち10時間以上狭い救急車内にしかも緊急事態にいっしょにいて、一息できる仮眠の時間にベッドを並べて寝たらどうでしょうか?胃に穴が空いてもおかしくないと思いませんか?
私が救急隊員としてこれまで組んできた隊長は素晴らしい方が多く、救急機関員もまたそうでした。救急隊3人で励ましあって愚痴って仕事をしてきたものです。予備隊員であった時には、あちこちの正規救急隊員の変わりにいろんな隊長と組ませていただきました。尊敬できる隊長はもちろんたくさんいましたが、中には見本にできない隊長もいたものです…。隊長と機関員の仲が悪くキリキリした雰囲気の隊もありました、帰署途上の救急車内の無言の時間などもう本当に最悪でした…。予備隊員と言うのは救急資格を持っている者が正規の救急隊員が休暇や何らかの事情で救急車に乗車しない時に補欠を務める隊員のことです。私が予備隊員の時には私が救急隊員志望であったこともあり月の半分は救急隊員を務めていました。救急隊長もまだ見習い隊員をはじめは探り探り見てきます。「こいつはどれだけできるのか?こいつにはどこまで任せていいのだろう?」予備の救急隊員だって「この隊長の言うことは大丈夫だろうか?この隊長は見本にすべき隊長だろうか?」正規の隊でも同じではありますが組んで少しの間は隊長のやり方、隊員の技術、機関員のスキル、それぞれがそれぞれ探り探りです。
私が予備隊員の時に補欠に出た先で組ませていただいた隊長とのお話です。のちに私はこの隊長の正規の隊員になることになりましたが、この隊長が尊敬でき見本にすべき隊長であると確信した時のお話です。今日はちょっといいお話です。
「救急隊、消防隊出場、○丁、Aさん方、50代の女性は意識なし」との指令に私たち救急隊は出場しました。先着は隣の消防署の消防隊、民家の前に停車していました。消防隊員が民家の周りを駆け回っています。
現場到着。救急資機材を持って救急車を飛び降りました。
救急隊員「救急隊到着しました!現場のお宅はどこですか?」
消防隊員「この辺りが全部○丁目○番○号なんです、Aさんの家を探してます!」
またにあるのが同じ町丁名に複数のお宅が建っていること。マンションなどはもちろんそうですが、昔ながらの作りの長屋のようなお宅はこんなこともありますが、このAさんのお宅一帯は一軒家が並んでいるのですがそういう場所でした。40mくらい先にいる消防隊長が叫びました。
消防隊長「あったぞ!ここだ!」
そう言うと消防隊長がひとりAさんのお宅に入っていきました。私たち救急隊が走って向かいます。それに続く消防隊員。Aさんのお宅は古い木造建築の家で玄関を入ってすぐのお部屋に傷病者はいました。
傷病者接触。傷病者は50代の女性でAさん、ソファーに半座位になっていました。消防隊長が脈拍と呼吸を観察していました。部屋には何やら焦げたようなへんな臭いがしていました。
消防隊長「呼吸が…感じられないみたいです」
救急隊長「観察代わります!」
消防隊長「了解しました」
傷病者から消防隊長が離れた。
救急隊員「隊長、オレはAEDの準備をしますよ!」
救急隊員は慌ててAEDの準備にかかります。
消防隊員(大変だ!ダイヘンだ!これはCPAだ!大変だ!)
慌てふためいてAEDを準備する隊員…。救急隊員が絶対行うべきでないことは慌てることです。緊急の現場でパニックに陥る家族、関係者の中でその場に飲まれてしまってはプロの仕事はできません。こういう時こそ一息、深呼吸でもして、さて何からするのが傷病者にとって最も有益だろうかと考え行動できる余裕が必要です。当時の私はまだ救急資格を取ってきたばかりの予備隊員、恥ずかしい話、CPAの現場でとにかく早くAEDの準備をしなくてはと慌てふためいていました。
救急隊長「CPAだな…待て!慌てるんじゃない!」
救急隊員「…」
救急隊長「待て!AEDの準備を止めろ!」
救急隊員「はい…?」
隊長の下命が良く分かっていないのですから救急隊員失格ですね…。
救急隊長「傷病者をよく見てみろ」
救急隊員「はい。…これは…」
傷病者のAさんはどう見てもCPA、しかもかなり時間が経っているようでした。下顎(あご)はすでにカチカチに硬直し全身硬直の状態でした。
救急隊長「全身に硬直が及んでいるだろ?瞳孔だって…ほら、もうほとんど混濁しているような状態だ。亡くなってもう大分経っているよ」
救急隊員「はい…」
救急隊長「消防隊長、社会死状態と判断します、ご家族はいますか?」
隣の部屋で通報者から情報を取っていた消防隊長が通報者の家族を連れてきてくれました。
消防隊長「ご家族の方、救急隊からお話がありますからこちらへどうぞ」
通報者はAさんのお母さんでもう80代になろうかというおばあちゃんです。
救急隊長「お母さんですね、今私たちがAさんを良く見せていただいたのですが…残念ですがもう亡くなってから大分時間が経っているようです。全身が固まっている状態になっています。もう私たちがお力になれることはありません」
Aさんのお母さん「…あら…そうですか…。分かりました…。この子乳がんだったんです。もう先がないのは分かっていましたから…。救急隊の方もありがとうございました。」
救急隊長「いいえ…何もお力になれませんでしたが」
Aさんのお母さん「いいえ、そんなことありません。ありがとうございました。」
Aさんのお母さんは何度も何度も私たちに頭を下げます。
救急隊長「脱帽しようか」
そう言うと救急隊長はヘルメットを脱帽してその場に正座した。救急隊員も言われるがままに同じようにしました。
救急隊長「これから警察官が来てこの後のお話をしてくださると思います。私たちは何もお役に立てませんでしたがこれで失礼します。」
そう言うと傷病者、もう既にお亡くなりになっていますので仏様に手を合わせご冥福を祈りました。
救急隊長「さあ…帰ろう」
Aさんのお母さんは玄関まで私たちを送り出し最後まで「ありがとうございました」と言ってくださいました。何の力にもなれませんでしたが。
Aさんのお宅を出ると警察官が到着しました。
救急隊長「オレが警察官に事情を説明するから資機材の撤収と本部への報告をやっておいてくれ」
救急隊員「了解しました」
救急隊員は下命された資機材の撤収、本部への連絡を行いながら思ったものです。「ああ、この隊長の言うことなら間違いない、人間としても尊敬できるすばらしい人だ」と。後に私はこの隊長の正規隊員となり1年以上共に仕事をさせていただきましたが救急現場のいろはを叩き込んでいただいた本当に素晴らしい方でした。食事も睡眠も摂れず泣いている激務の救急隊でも尊敬できる隊長の下で仕事をするのは悪くありませんでした。
帰署途上。
救急隊長「AEDの準備を急ぐのは悪くないけど、それはあくまで傷病者の観察があってからだからな」
救急隊員「はい、分かりました」
救急機関員「部屋の外で別の家族の方から事情を聞いたんだけどさ、Aさんは朝からずっとあんな感じだったんだって、寝ていると思って誰も声をかけなかったらしいよ。もう亡くなって7,8時間経ってるよきっと」
救急隊長「それにしても部屋のにおいすごかったな」
救急隊員「ええ、あれ何の臭いだったんですかね?」
救急隊長「おいおい…お前分からなかったの?ダメだなぁ、傷病者観察がなってないなぁ」
救急隊員「…すみません」
救急隊長「Aさんの前にストーブがついていただろ、あれのせいだよ。Aさんの両下腿部が水ぶくれになってた。意識を失ってあのままの姿勢だったから熱で焦げちゃったんだろうな」
救急隊員「そうだったんですか、下腿部まで全然目がいきませんでした」
救急隊長「救急隊員がそれじゃダメなんだよ、落ち着いて視野を広く持たないとな」
救急隊員「はい、頑張ります!」
誰でも駆け出しの頃なんてのはあるものです。あれから数年の月日が経って組んでいる隊長も代わりました。
救急隊長「そうじゃない!もっと視野を広く見て活動しろ!」
救急隊員「はい!すみません」
あまり進歩していないような気もしますが…。
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