最近、ボケてきちゃったみたいで

ケーススタディ

近年の救急出場件数の増大の原因のひとつに高齢化社会があります。人間年齢を重ねれば疾患のひとつやふたつを抱えるのは当たり前のこと。また、高齢者の場合、同じ病気であっても若い人より重症化することが多くなります。

統計にも表れていることですが、搬送人員に占める高齢者の割合が年々増えており、現場でもそれを実感しています。今回は、高齢の傷病者を扱う際には時々出会う事例、見逃してはならない兆候についてのお話です。


出場指令

「救急隊出場、○町○丁目…S方、男性は脱力、意識はあり、通報は妻から」

との指令に救急隊は消防署を飛び出しました。


出場途上

出場途上、救急車後部座席の救急隊員が119番通報の入った通報電話番号に連絡を取ります。

(119コールバック)

隊員「もしもし、Sさんのお宅でしょうか。そちらに向かっています救急隊です。ご通報いただいた奥さんですか?」

妻「はい、夫が…よく分からないのですがフラフラしてしまって立ち上がれないんです、それで通報しました」
隊員「立てない?話はできる状態でしょうか?」
妻「ええ、話はできますが、何か…立ち上がってもフラフラするとか言って…すぐに座り込むと言うか…尻もちをつくように倒れてしまうんです」
隊員「怪我はしていませんか?」
妻「ええ、怪我はありません」

通報者の奥さんはとてもしっかりしている方で、現場到着前にかなりの情報を収集することができました。傷病者は70代の男性でSさん、今朝から脱力のような症状があり立ち上がろうとするとフラフラとして尻もちをついてしまう。

日常生活には何も問題はなく、過去に大きな病気を患ったこともない。基礎疾患は近所のクリニックで高血圧と高脂血症の薬を貰っている。話をすることは可能とのこと。これらの状況を隊長と機関員に伝えます。

隊長「なるほど、それならABC(気道、呼吸、循環)は問題なさそうだな?」
隊員「はい、普通に話はできるそうです」
機関員「家の目の前に停車って訳にはいかないですよ、狭すぎる、少し先のスペースに停車しますから」
隊長「分かった、それならメインストレッチャーを引いてSさんの家の前まで行こうか、携行資器材は…」

隊員が収集した情報、機関員が停車する位置、様々な状況を考慮し隊長は活動方針、何を現場に携行するか判断しました。


現場到着

サイレンの音を聞きつけた奥さんが家の前で手を振っていました。

隊長「ご通報いただいた奥さんでしょうか?患者さんはどちらに?」
妻「はい、こっちです、今、家の居間で横にさせています」
隊長「案内をお願いします」

妻の後に続く隊長、その後を資器材を携行した隊員と機関員が続きます。


傷病者接触

傷病者は70代の男性でSさん、自宅1階の畳の部屋に横たわり救急隊の到着を待っていました。

隊長「こんにちは、Sさん、救急隊です、分かりますか?」
Sさん「ええ、どうもご迷惑をおかけします、よろしくお願いします」

Sさんは隊長の問いかけにこのようにしっかりとした口調で答えました。これだけのことで意識がしっかりしていること、気道、呼吸、脈拍にまず問題がないであろうことが判断できます。

このような時、私たちの隊では、隊長は状況把握を、隊員が傷病者のバイタルサイン測定、機関員は搬送路の障害物などを確認します。

隊員「Sさん、こちらの腕で血圧など測らせてください、指に機械をつけさせてもらいます」
Sさん「はい、お願いします」
隊長「要請に至った経緯を教えてもらえますか?」
妻「はい、今朝からなのですが何か力が入らないみたいで、どういう訳か立てないみたいなんです、朝食を食べてからも尻もちをついて立ち上がれなくて…」
隊長「朝食は普通に採れたのですね、トイレはどうしていたのですか?」
妻「食事は普通に…トイレには行けました、ただ、つかまり立ちと言うか…壁や柱につかまってどうにか行けたって感じです」
隊長「そうですか…」
妻「本人は何ともないと…ただ、こんなこと今までにないし、やっぱりおかしいんです、立てないものですから私では病院には連れていけなくて」

隊長が奥さんから聴取している間に隊員はSさんのバイタルサインを測定します。

Sさん「…○月○日かな?」
隊員「Sさん、今日ですよ、今日の日付です」
Sさん「今日?いやぁ…○月○日だと思うなぁ…」
隊員「そうですか…Sさん、私の手を力いっぱい握ってください、力は入りますか?」
Sさん「これで良いですか?」
隊員「大丈夫です、両手を挙げてもらえますか、そのまま目を瞑って…」

Sさんの意識はJCS2、氏名・生年月日は正確に答えられましたが、今日の日付が分かりませんでした。しかも1日、2日ずれている程度ではなく季節が間違っているのでした。

その他、呼吸、血圧、サチュレーション値は正常値、握手はしっかりとでき、下半身の脱力がありますが麻痺はありませんでした。

隊長「う~ん…バイタルは特に問題ないな…、Sさん、今日は○月○日ですよ、今は冬です」
Sさん「冬?そうか、そうですか…」
隊長「もうちょっと、患者さんからしっかり聴取して」
隊員「はい、了解です」
隊長「奥さん、ちょっとこちらへ」
妻「はい」

隊長は奥さんを手招きして他の部屋で話を始めました。何を聞いているかは分かります。

隊長「ご主人なのですが…認知症はありませんか?」
妻「認知症は…ないと思うんですけどねぇ…でも、最近ボケてきちゃったみたいで、物忘れとか酷いんですよねぇ…」
隊長「…と言うと?」
妻「メガネや財布がどこにあるか分からないってことがすごく増えて…、この前なんて出かけたら何をしに出かけたか忘れちゃったって帰ってきてみたり…、もう80も近いしちょっとボケてきちゃったのかなって思っていたんです、でも、私も似たようなことはあるし、年かなぁって…」
隊長「そうですか…ここ数か月で頭にお怪我をしませんでしたか?転倒したり何かにぶつけたり」
妻「頭に…ですか?」
隊長「そうです、頭」
妻「う~ん…あっ!そういえばいつだったかしら、家の前で転倒して頭を怪我したことがありました、大きなたんこぶをつくって、けっこう血もたくさん出たんです」
隊長「どのあたりを怪我しました?」
妻「右の方です」

隊長が隣の部屋からムクリと顔を出して指示を出しました。

隊長「おい!頭部の詳細観察、右側頭部に怪我はないか?」
隊員「はい、了解、Sさん、頭を触らせてください」
Sさん「ええ、でも今日は頭なんて打ってないですよ」
隊長「いつ頃でしょうか?その時、病院にはかからなかったですか?」
妻「はい、病院には行きませんでした、たいしたことないって…確か…1か月くらい前だったと思います」
隊員「あれ?Sさんこの創は?もうすっかり治っているみたいですけど」
Sさん「ああ、いつだったかな?家の前でころんでしまって、でも、もうずいぶん前の話です、すっかり治っているよ」
隊員「そうですね、創はすっかり治っているみたいですね」
Sさん「ええ、痛くもないし、たいしたことなかったですよ」
隊長「どうだ?」
隊員「あります、右側頭部に傷跡」
隊長「どれどれ?」

隊長がSさんの頭を触り注意深く観察します。

隊長「Sさん、奥さんの話だと1ケ月くらい前だったんじゃないかってことなのですが間違いないですか?」
Sさん「そうだなぁ、そのくらいだと思うなぁ」
妻「…ほら、○ちゃんの結婚式の前だったじゃない、この程度の怪我でよかったって、骨折でもしたら参列できなくなるところだったって話していたじゃない」
Sさん「そうだっけ?」
隊長「その結婚式の日って?」
妻「えっと…週末だったから…○月○日です、その2,3日前のことです」
隊長「分かりました、直近脳外選定」
隊員・機関員「了解です」

今回の記事はここまでです。この後、Sさんを車内収容。直近の脳神経外科を選定し、搬送先医療機関はすぐに決定したのでした。救急隊としての情報収集がしっかりと行え、かなりの確信を持って選定が行えました。

ズバリ傷病名は何だったでしょうか?今回のクエスチョン編はひねりなしです。まさにテキストとおり、典型的な病態でした。twitterなどSNSで皆様からの深い考察コメントをお待ちしています。

回答編は続・最近ボケてきちゃったみたいでにて

CPr
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