入ってこないで!

緊迫の救急現場

救急隊が出場していく現場はひとりの傷病者を扱うことが多く単隊活動がほとんどです。そんな中でも重症事案などではポンプ隊と連携活動することもあり、火災や救助活動などの災害現場ではポンプ隊、はしご隊、救助隊など様々な活動隊と連携活動することがあります。

消防署の仲間との連携はもちろんですが、他にも介護施設ではヘルパーさんや介護福祉士、ケアマネージャーから情報を得ること、また市の福祉事務所職員と関わることもあります。そんな中でも最も現場活動で関わる事が多いのは、やはり警察官です。

今回、紹介するお話は最近ではめったに聞くことのなくなった事案です。これは、消防、警察の意見交換などが重ねられる中で、私の町ではほぼ改善しています。

しかし、ずいぶん前にはよくあった話です。今もあるいはどこかの町ではよくある話かもしれません。


出場指令

早朝の消防署に出場指令が鳴り響きました。

「救急隊、消防隊出場、○町○丁目…、△公園、男性は意識・呼吸なし、警察からの転送」

警察からの転送要請でこの手の内容の場合、かなりのケースで既に亡くなっており、かなりの時間が経っていることが非常に多いです。死亡の判断は医師しかできないため、救急隊が要請され現場に駆けつけることとなります。

よく事件の現場についての報道記事で「駆けつけた救急隊員が死亡を確認し…」こんな表現が出てきますが、実はこれは正しい表現ではありません。救急隊員が死亡確認を行うことはできません。救急隊員が行うことがあるのは「社会死状態であるか否かの判断」です。

隊長「この早朝に公園で警察からの転送か…」
隊員「社会死状態でしょうかね?」

社会死とは社会通念上、誰もが死亡と判断できる状態であることを言います。私の町のプロトコールでは厳格に社会死と判断すべき要件が決まっています。

具体的には、「首と胴体が繋がっていない状態」や「全身に死後硬直が及んでおりストレッチャーに載せることができない状態」「白骨化している」などの場合です。

傷病者が社会死状態である時は、警察官に申し送りを徹底し、救急隊は医療機関に搬送することなく引き揚げることとなります。

隊長「確かに社会死の可能性は高いかもな、でも、もちろん分かっているな?」
隊員「ええ、もちろんです」

出場途上の救急車内、隊員は救命処置に必要になる資器材をすべて準備しました。仮に指令段階、出場途上の情報収集でほぼ社会死だろうと思われる事案であったとしても、人命救助が私達の使命です。救命のための準備を万全にし現場に急いで駆けつけなければなりません。すべては救命のために―。


現場到着

指令先の△公園前に停車しました。メインストレッチャーに救命資器材を載せて消防隊と共に現場へと向かいます。公園の入り口には警察官の自転車が2台停まっていました。

隊長「救急隊です、患者さんはどちらにいますか?」
巡査「お疲れ様です、この奥のベンチです、ここから先は入らないでください」

最初に接触した若い警察官は立ち入り禁止の黄色いテープを持って現場を保存しようとしている最中で、救急隊の進行を静止したのでした。警察からの要請で呼ばれてきたのに警察官に静止されるなんて…。

でも、こんな現場は実は時々ある話、何が起こっているのかは想像がついてしまう。彼はとても若くどう見ても新人です。巡査の階級章がついていました。

隊長「この先におられるのはどのような方ですか?」
巡査「いや…、私もよく見た訳ではないのですが、50~60くらいの男性です、もう亡くなっているようなので現場を保存しています」
隊長「亡くなっているっていう判断はどなたが?ここに医者がいるのですか?」
巡査「医者?もう1名警察官がいますのでその者がです…」
隊長「それなら、私達が接触しないと、死亡確認は医者しかできない、現場に向かいます」
巡査「待って!待ってください!入ってこないで!」
隊長「何言ってるの!生きていたらどうするの!」
巡査「亡くなっているんです、入ってこないで!」

この若い巡査は一番近い交番から先輩の警察官と共に現場に駆けつけたようです。先輩から、「亡くなっているから捜査の者が来るまで現場を保存する、立入禁止のテープを張って何人たりともここに入れるな」そんな指示を受けているのだろうと思います。

隊長「あなた今、よく見ていないって言ったでしょ?よく見ていないで何で死んでいるって分かるの?」
巡査「いや…それは…もう1名の者が判断したので…、とにかく入っていかないでください」
隊長「とにかくじゃない!生きていたらどうするんだよ!人命がかかっているんだ、おい、行くぞ!」

静止を振り切り現場に向かおうとする隊長、それでも若い警察官は、

巡査「待って!待ってください!ダメです、入らないで下さい」
隊長「万が一、救命できる人だったらどうするつもりなんだ!」
巡査「いや…もう少しで捜査の者が到着しますから少し待ってください!」
隊長「待てる訳ないでしょう?息をしていないんでしょ?1分1秒を争う事態なんだ!」
巡査「とにかくダメなんです、入ってこないで!」

すごい剣幕で詰め寄るベテランの救急隊長に若い巡査はしどろもどろ、それでも彼は使命を果たそう頑としてここを通そうとはしないのでした。

隊長「ふう…私は○救急隊長の○と申します、あなたは?名前と階級を」
巡査「え…それは…?」
隊長「万が一、搬送しなければならない患者さんだった時に取り返しがつかない事態になるから記録しておきますよ、私達にも人命救助の使命があるから、今は○時○分、あなたの名前は?」
巡査「…。」

困り果てている若い警察官

巡査「…分かりました、私が先に行きますので現場の保存には配慮してください」
隊長「ええ、分かりました」

ベテラン隊長の強い剣幕に若い警察官は静止することを止めて傷病者の下へと案内しました。警察官の活動にも配慮してほしい、それはもちろん心得ています。

警察官だってプロです、警察官が亡くなっていると思われると言う事案では搬送しなければならない事案なんてほとんどありません。警察官も消防官もお互いの使命があります、そしてそれは今、競合している。でも、それはお互いがプロ、そこはお互いに配慮して上手くやるのが仕事です。


傷病者接触

巡査「あちらです、救急隊が到着しました!」
警察官「どうも、お疲れ様です、亡くなられているようなので、接触は最低人員にしていただけますか、現場を保存したいのでお願いします」
隊長「ええ、分かりました、ひとまず2名だけで活動します、よろしいですね?」
警察官「ええ、お願いします」
隊長「オレと隊員で観察、他のみんなはここで待機して」
ポンプ隊長「了解です」

傷病者は60歳位の男性、ベンチ上に座っており一見するとただ休んでいるようにしか見えませんでした。ただ、身体に触れると…。

隊員「隊長、全身が硬直しています、顎も…開口不能…」
隊長「ああ、モニターを準備して」
隊員「はい、了解です」
隊長「全身硬直を確認しました、これから衣服を最低限めくって死斑の状態と心電図を記録します」
警察官「はい、分かりました」

警察官の立ち会いのもとで衣服をめくり心電図を取り付けると波形は心静止でした。腹部にも背部にも死斑が及んでいる状態でした。瞳孔もすでに白濁しており瞳孔経を確認することもできない、既に死亡してからかなりの時間を要していると判断することができました。

隊長「社会死状態と判断しましたので我々は搬送しませんので」
警察官「ええ、了解しました、ありがとうございました」
隊長「発見に至る状況など教えてください」
警察官「はい、分かりました、おい!時間や状況など救急隊の方に申し送りして!」
巡査「はい、了解です」
警察官「あと、現場は保存だぞ、捜査が来たら案内しろ」
巡査「はい」

なるほどね、現場を保存しろ、誰もここに入れるなと指示された。でもそれに私達を含めちゃダメ…。そんな中、捜査と書かれた腕章を巻いた強面の警察官が到着しました。

巡査「お疲れ様です」
強面の警察官「状況は?」
巡査「今、救急隊に不搬送の判断をしてもらったところです」
強面の警察官「それは、どうもお疲れ様です」
隊長「どうも、お疲れさまです、我々もこれから状況を聞かせていただくところなんですよ」
強面の警察官「そうですか、それでは一緒に聞きましょう、で、通報状況は?」
巡査「あ、はい、通報者は公園を通りかかったランナーなのですが…」

若い巡査からの申し送りによると、早朝にランニングをしていた方がこの公園を通りかかると男性がベンチに座っていた。まだこの時間だと息も白くなるような寒さだと言うのにと気になったのだそうです。

ランナーはしばらく走り、帰り道に再びこの公園を通りかかりました。すると、先ほどとまったく同じ姿勢でベンチに座っているのでおかしいと思い声をかけたが返事がない…これはひょっとして死んでいるのではないか…。

怖くなってすぐ近くの交番に駆け込み知らせたとのことでした。衣類などはかなり汚れていました。恐らくこの公園に住んでいるホームレスだと思われました。

「不搬送 社会死」


帰署途上

隊長「ちょっと意地悪だったかな?」
機関員「そんなことないですよ、万が一、搬送しなければならない状態だったら取り返しの付かないことになるんだ、オレたちだって公務で駆けつけているんだから、オレたちを静止するからには名前と階級を名乗って責任の所在を明らかにするのは当然ですよ」
隊員「でも、あの新人くん、隊長に詰め寄られて泣きたくなったでしょうね」
機関員「だろうな、先輩はおっかないし、救急隊長は詰め寄ってくるし、後からはあの強面の刑事だ、泣きたくなるよな?」
隊長「いやいやいや…、あの刑事さんに比べればオレなんてちっとも怖くなんてないよ、もう一人の巡査長も緊張している様子だった」
隊員「怖い先輩がいるのは消防署と同じですね」
機関員「それって誰?はしご隊のあいつ?」
隊員「…いや、そういうことじゃなくて…、どこも怖い先輩がいるんだなぁって…」
隊長「あの新人くんには悪いけど、あとから来た刑事さんによく言っておいたよ、傷病者に接触しないようになんてことはあり得ないって」
機関員「それでなんですって?」
隊長「ああ、新人にはよく指導しておくって、ただ、現場の保存は初動捜査にとても重要だから、もちろん人命救助が優先なのは分かっているけど、警察官のその後の活動にも気をかけてほしいってさ」
機関員「まあ、そうでしょうね、きっとあの新人くんは絞られるのかな?」
隊長「ああ、あの強面の刑事にちょっと来いって声をかけられてた」
隊員「ひゃ~、怖い…」

この現場に事件性があったのか否かは私たちには分かりません。ただ、明らかに事件性のある現場に駆けつけることもあります。こんな時、警察官はすぐにでも捜査を始め事件を解決する使命があります。

初動捜査には現場の保存がとても重要とのことで、救急隊が人命救助のためとはいえ、現場を荒らしてしまうと大切な手がかりが失われてしまうこともある訳です。

実際、救急隊が現場を動かしてしまい、その後の捜査が混乱したなんて話もあるようです。私たちも警察官の活動にも配慮しつつ活動することを心がけていますが、まさに1分1秒を争う生きるか死ぬかの緊迫の現場では、それが非常に難しいこともあるのです。

ただ、やはり最優先されることは人命です。ここに論点はありません。

今回の件では新人の警察官がその使命感から私たちを静止しましたが、先輩の巡査長、後から駆けつけた刑事さんも救急隊の活動が優先されるべきことだと分かった上で捜査にも協力をとの姿勢でした。

ただ、中には、集まっている警察官が全員で救急隊の侵入を頑として認めないなんて事案も聞いたことがあります。明らかな他殺の現場だったみたいです…。気持ちは分かりますが…。

緊迫の救急現場
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