他の病院に…とはいきませんよね?

溜息の現場

私たち救急隊員たちが傷病者の状態を観察する上のひとつの重要な項目として皮膚の色があります。

日本人であればパっと見て蒼白な表情、黄疸が出ているなど顔色を見れば分かることも多いのですが、人種が異なると判断するのは難しい、さらに厚い化粧をしている方も判断が難しい場合がります。

そして日本人であろうともどうにも皮膚の色の判断の付かない方がいるものです。一面に刺青をしているよな…そうプロの方です。


出場指令

「救急出場、○町○丁目、Bさん方、男性は腹痛を訴えているもの、通報は妻から」

との指令に私たち救急隊は出場しました。


現場到着

指令先は古いマンションの一室でした。玄関ドアを開くと出てきたのはアジア系の外国人女性でした。

女性「もうどこかに行ってしまったよ」
隊長「どこかに行ってしまった?救急車をお呼びになったのでしょ?」
女性「私も待ってろと言ったよ、でもどこか行ってしまったよ」
隊長「あなたは?通報していただいた奥さん?」
女性「そうよ」
隊長「患者さんはあなたのご主人さん?」
女性「そう、さっきまでお腹が痛いって騒いでいたから救急車を呼んだけど、どこかに行ってしまったよ」
隊長「どこかって言うと?旦那さんは何かご病気などあるのかな?どこに行っちゃったの?」
女性「S病院に行ったと思う、S病院に行くって言っていたよ」
隊長「そう、分かりました、ご主人のお名前や生年月日を教えてください」
女性「分かりました」
隊長「本部に状況を一報して」
機関員「了解です」

Bさんの奥さんは日本語がとても上手でした。小学生くらいの子供もおり、姓は日本姓、傷病者であるBさんは日本人でしょう。私たちはだいたい要請されたお宅の玄関を見れば生活ぶりが見て取れます。

こちらのBさんのお宅の玄関、そしてこの奥さんの態度、要請しておいていなくなっているというこの行動などから何となく見えてくるもの…、こりゃあひともんちゃくありそうな傷病者だぞ…。私たちは奥さんから状況を聴取してから救急車に戻りました。


現場検索

機関員「…という状況です」
本部「了解しました、それでは傷病者は自分で医療機関にかかっているということですか?」
機関員「接触した奥さんの話によるとそのようですが、確認は取れていません、S病院はここから100mほどです、隊で周辺を検索します」
本部「了解、そうしてください、状況分かりましたら再度一報して下さい」
機関員「了解」

自らS病院に向かったらしい傷病者、救急車をゆっくり走らせて付近を探します。ひょっとしてどこかで倒れているかもしれない。

現場であるBさんのマンションからS病院までは100mくらい、歩いても数分で着く距離です。ゆっくりと走る救急車、SさんはTシャツにハーフパンツ、身体のとても大きな方とのことでした、それらしい人は見当たらない。S病院に着いてしまいました。


S病院検索

S病院は救急病院、私たちもよく搬送しています。救急車専用駐車場に停車しました。

隊長「行ってみよう、受付を通しているはずだから」
隊員「了解」

救急隊3名でS病院に入ってみると…、はぁぁ…間違いないな、こりゃ大変だぞ…。

騒然としているS病院の待合室、診察を待っている患者で混雑している待合室にも関わらず、そこだけ人がいませんでした。

受付の前に座り込んだ大柄の男性はハーフパンツのみ、上半身裸の状態で何やら大騒ぎをしていました。上半身には背中一面の刺青が入っていました。

隊長「ふぅ…あれだな」
隊員「ええ、間違いないですね」
Sさん「早く医者を呼んでくれ!早く診察してくれ~!入院させろ~!」

そんなことを言ってわめき散らしていました。かなりのアルコールが入っているようでした。

相談員「あなたの他にも診察をお待ちになっている方がたくさんいるのですよ、待合室で診察の順番を待ってください、ここは病院ですから大きな声を出さないでください、ほら、服も着てくださいよ!」
Sさん「オレは急患だ、早く診察しろ!」
相談員「Sさん、大きな声を出しても先に診るなんてことは当院では絶対にないよ、前にも言ったよね?他の患者さんの迷惑になることはしないでください!」

病院の相談員である男性が対応していました。恫喝してくるSさんに一歩も引きません。背中一面に刺青の入っている大柄な男、さらに相当に酔っ払っている。私ならビビってしまうところですが、彼は断固とした態度で毅然と対応していました。

Sさん「早く診ろ!待ってなんていられないんだ、ろくな飯も食わさない嫁がいるんだ!パチンコもできやしないんだ!あの女はしたたかなんだ!」

何を言っているんだ?金が使えないとかパチンコができないだとか、奥さんの不満だとか、支離滅裂なことを言ってわめき散らしています。受付の隅の方にいる女性職員に声を掛けました。

隊長「どうもお疲れ様です。あの方はSさんですよね?」
受付の女性「ええ、そうです」
隊長「ご自分でこちらに来て受付をされたのですか?」
受付の女性「…はい、受付はしたのですが、待っていられないって、早く診ろって服を脱いで騒ぎ始めまして…」
隊長「ふう…そうですか、私たちもあの方の奥さんから要請されたのですよ、対応されている方は?」
受付の女性「当院の相談員です」

相談員、ケースワーカーなど様々な呼び方がありますが、病院によっては治療費の支払いに関してや生活保護、生活全般の相談にのるなどを専門とする職員を置いています。

隊長「ちょっとよろしいですか?」
相談員「はい?」

隊長が相談員に声をかけました。Sさんは泥酔状態、大騒ぎして疲れたのかへたり込んでいました。一休みしてまた騒ぐ、それを繰り返しているのでした。隊長がこれまでのいきさつを話します。

相談員「…そうでしたか」
隊長「それではこちらの方がSさんで間違いはありませんね?」
相談員「ええ、そうです」
隊長「こちらがかかりつけなのですね?」
相談員「…ええ、まあ、かかりつけと言うこともないのですが…、いろいろ問題がありましてね、生活保護を受給されている方なので私が対応しています」
隊長「分かりました、それでは私たちは引き揚げますのでよろしくお願いします」
相談員「はあ…そうですか」
隊長「それでは、失礼します」
相談員「あの…他の病院に…とはいきませんよね?」
隊長「いやぁ…私たちは患者さんを医療機関に搬送することが仕事ですから、ここは病院ですからね、しかもご本人が受付をされている」
相談員「はぁぁ…、そうですよね、どうもお疲れ様です」
隊長「どうも、それでは」


帰署途上

本部に状況を一報して引き揚げることとなりました。

機関員「受付の人に聞いたら、あの人こんなトラブルは1度や2度じゃないみたいだぜ、あの相談員が生活保護や他の相談なんかも対応しているんだって、いろいろ面倒みてもらっているってのに恩を仇で返しているって訳だ」
隊員「相談員も大変ですね、全身刺青のあんな大男を相手にしなきゃならないなんて…オレならビビってしまいますよ」
隊長「この辺りはあんなのがゴロゴロいるからなぁ、断固とした態度で対応できないといけないんだろう、少しでも従えばどんどん漬込んでくるだろうから、大変な仕事だよなぁ」
隊員「中には暴力を振るわれるようなこともあるでしょうね、院内暴力が問題になっていますものね、泣き寝入りも多いって話だけど…」
機関員「暴力団崩れのなれの果てだろ?若い時に散々好き勝手にやっていただろうに、若い時は肩で風を切って法律やルールに唾を吐いていたようなのが、今じゃ生活保護で国に支えられているって言うんだから…」
隊長「本当だな、一生懸命働いてまじめにやってきたのにリストラにあう人が大勢いるって言うのに、何かが違うよな…」

いつかどこかの自治体で暴力団関係者の生活保護不正受給が問題となっていました。Sさんがどのような理由で生活保護を受給しているのかは分かりませんが、暴力団関係者であったであろう人が生活保護で暮らしているなんてよくある話です。

私たちはそんな方の下には幾度となく出場しています。今回のSさんも昼間から泥酔状態でしたが、酒に競馬、パチンコに明け暮れているなんてことが非常に多いのです。

社会復帰のための自立支援である生活保護制度なのですが酒、競馬、パチンコ…どれも社会復帰に結びついているとは到底思えません。

ところで彼らの社会復帰とは?まさか暴力団員に戻ることではないでしょうが…。何か引っかかるものはありますが、国民としての最低限度の生活を営む権利を誰もが持っています。ただ権利を主張するなら、町のルールを守る、人に迷惑をかけない、一生懸命働く、義務を果たさないといけないと思うのですが…。何か大切なものが忘れられているような気がしてしまいます。

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