溜息の現場
救急隊が行う例外的な活動のひとつに転院搬送があります。医療機関にいる患者が緊急に他医療機関で専門の処置を必要とする場合、医師からの要請で行うものです。
緊迫の転院搬送と言うお話で、私たち救急隊も納得の上り転院搬送のお話をさせていただいています。このお話を読んでもらえば、本来の転院搬送の趣旨を理解いただけると思います。
今回のお話は不適切と思われる転院搬送のお話です。日本全国の消防署が救急車の適正利用を訴えている中、医療従事者ですらこの救急車の利用の仕方…、みなさんはどうお考えになるでしょうか。
出場指令
「救急要請、○町○丁目、A病院集中治療室からの転院搬送、搬送先はF病院まで、30代女性は専門処置のため、なお医師の同乗はありません」
との指令に私たち救急隊は要請先のA病院に向かいました。A病院は3次高度救命救急センターを持つ大病院です。私たちも重傷度・緊急度が高い傷病者を扱った際にはよく運び込む病院です。
搬送先のF病院って…どこだ?聞いたことのない病院です。救急隊員の私が知らないと言うことは救急病院ではないということでしょう。
出場途上
隊長「F病院に転院か…」
隊員「F病院って行ったことないな、救急病院ではないですよね?」
機関員「精神病院だよ、大きな病院だけど救急病院じゃないからな」
隊長「3次からの下り転送だな」
機関員「救命センターから精神科への転院搬送ってことはあれだな」
隊員「ですね、きっと…」
この手の下り転送は非常に多いです。転院搬送に至る過程がだいたい見えていました。
現場到着
A病院救急入り口に停車、私たち救急隊はメインストレッチャーを引いて要請先の集中治療室に向かいました。A病院の集中治療室は上階にあり、救命救急センターの処置室の奥にあるエレベーターに乗って向かいます。
看護師「あっ!救急隊さん、F病院への転院搬送の?」
隊長「そうです」
看護師「今、患者さん降りてくるからここでお待ち下さい」
隊長「そうですか、分かりました」
看護師「私から申し送りします、F病院への紹介状や情報はご家族がお持ちです。患者さんのお父さんが同乗されますから」
隊長「了解しました」
案内にやってきたこの看護師からこれから扱う傷病者の情報や経緯、最終のバイタルサインなどが申し送られました。隊長が申し送りを受けている。そうこうしているうちに傷病者が他の看護師と父親に付き添われて歩いてきました。
傷病者接触
しっかりとした足取りでやってきたのは30代女性のKさん、いったいどこが悪いのか分かりません。ただ、この手の転院搬送事案はかなりありますから詳細な内容を知らない隊員も機関員も察していました。
隊員「こんにちは、救急隊です」
傷病者Kさん「こんにちは…」
救急隊員「歩いて大丈夫ですか?ストレッチャーに乗る必要はないですか?」
Kさん「大丈夫です、そんなの大げさ…」
看護師「大丈夫です、歩いて救急車に乗れる方ですから」
隊員「そうですか、それでは私と一緒に行きましょうか」
機関員「同乗されるのはお父さんですね?」
Kさんの父親「ええ」
機関員「忘れ物ありませんね?」
父親「はい、これで全部ですよね?」
看護師「ええ、その袋ごとF病院の方に渡せばいいですよ」
Kさんと父親を案内して自力歩行のまま車内収容しました。このKさん、現在治療中の病気にうつ病があり、昨日に自殺未遂で薬を百数十錠飲んでこの救命救急センターに搬送された方でした。
薬物の多量服用は私たち救急隊ならよく扱うケースですが、多くのケースが翌日から数日で退院となる場合が多いようです。
多量服用すれば危険な薬ももちろんありますが、薬の効能が数日にも渡り続くことはあまりないようで、処置を終えれば翌日から数日で危機的状態はなくなるのです。
身体的な治療は終わった、だから薬物の多量服用に至った病気、うつ病の専門治療のため、かかりつけの精神科のあるF病院への転院搬送要請なのです。結局、転院を判断した医師は私たちの前に現れることなく、看護師からの申し送りを受けて搬送を開始しました。
F病院到着
「うつ病 中等症」
帰署途上
機関員「本当、多いよな、薬物中毒後の下り転院」
隊員「本来医師が緊急に必要だからと要請されるものですよね、精神科の専門処置は分かるとして緊急性はないですよね」
隊長「緊急性がなくなったから転送なんだよ…歩いて救急車に乗って、ただ運んだだけだもんな、民間救急でもタクシーでだって全く問題ないよ」
機関員「転院搬送を要請したのに申し送りに医師が来ないってどうなんでしょうね?」
隊員「原則、医師が同乗することになっているはずですけどね…」
この手の転院搬送は非常に多いです。医師が「緊急性と専門処置の必要性」を判断したから転院搬送なのですが、今回のようなケース、緊急性があるとはとても思えません。
救急要請が増大する中、転院搬送について適正な利用を広報する地域も多くなってきました。どこの町にも不適切と思われる転院搬送要請があり、頭を抱えていると言うことです。(参考:転院搬送における救急車の適正利用の推進について)
民間救急車の普及や救急車の適正利用の広報活動でこういった不適切だと思われる転院搬送は減っている傾向にあると感じます。転院搬送にはかなり積極的に民間救急を活用している病院も増えてきました。
その一方でいっこうに変らない病院もあります。医療従事者への救急車の適正利用のお願いが必要なのだから、一般市民への救急車の適正利用の呼びかけが、いかに難しいか…。
119番通報する前に1秒だけ考えてほしい、 大切な人がすぐ近くで倒れていないだろうか?今、本当に救急車が必要だろうか?と。
すべては救命のために
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