女に手を挙げる男なんてのは

溜息の救急現場

これまでは男性ばかりであった職場にも、活躍する女性がどんどん増えてきました。そんな職場に消防署も含まれるのでしょう。まさに力仕事である災害現場に出場する女性も増えてきました。

私の勤務する消防署ではすでに女性の救急隊員は当たり前に活躍しており、さらに女性のポンプ隊員も活躍しています。

そんな中、私が彼女たちと接する上で気をつけていることは、女性だからと特別扱いなどしないことです。現場での力仕事などどうしてもカバーしなくてはならないこともありますが、同じ現場で活躍する一人の仲間、性別なんて関係ありません。

こんな風に男性も女性も同じ土俵でと思うのですが、白黒付かないのが世の中の常、様々な矛盾を抱えているのも事実です。

例えば 女性を殴る男性、 男性を殴る女性、暴力は性別になんて関係なく許されることではないのですが、前者の方がより許せないと思うのは時代遅れでしょうか?

「女性に手を上げる男なんてロクデナシだ!」そう教えられ育ってきました。そんな教えが脈々と受け継がれ心に刻まれているのでしょう。

出場指令

時間は17時代、辺りもまだ明るい時間帯、消防署に出場指令が鳴り響きました。

「救急出場、○町○丁目…、飲食店○にけが人、女性は傷害により受傷、警察官が対応中、通報は警察からの転送」

との指令に出場しました。警察からの転送とは通報は110番であったと言うことです。傷害…喧嘩かな?


現場到着

現場は駅前の繁華街からは少し離れた場所にある居酒屋でした。要請先のビルの前には既にパトカーが停車しており、警察官が数名活動していました。

隊長「どうも、こちらの店ですか?」
警察官「お疲れ様です、現場の店は2階です、若い男女の喧嘩で、女性が顔面を受傷しています」
隊長「了解しました」


傷病者接触

現場の居酒屋はまだ早い時間もあって、客はまったく入っていませんでした。数名の店員、その数を上回る警察官、そしてテーブルに座っている金髪の若い男性と女性、女性の衣服は血に染まっていました。

隊長「どうもお疲れ様です、そちらの女性ですか?」
警察官「ええ、よろしくお願いします、こちらの彼に殴られて受傷したそうです」
隊長「こんばんは、どうされましたか?」

傷病者は10代の女性でTさん、大学生でした。

Tさん「ええ…あの…殴られてしまって…」
隊長「殴られたのは一回?顔以外に受傷しているところはないかな?転倒したり、他に怪我をしたりはしていない?」
Tさん「はい…他には怪我はしていません」
隊長「そう…下に救急車が停まっているんだ、救急車の中で詳しく怪我したところを見せてください」
Tさん「はい…分かりました」

殴った相手である彼の前で処置や聴取は好ましくありません。隊員が付き添いTさんは自分で歩いて救急車に乗り込みました。


車内収容

救急車の後部座席に座ったTさん、警察官が1名乗り込み隊長と共に聴取を続けます。隊員が処置に当たりました。

隊員「これは痛い?」
Tさん「痛いいたいっ!」
隊員「そう…やっぱり痛む?」
Tさん「ええ…」

彼女の出血は鼻血、衣服は真っ赤に染まっていましたが、出血は止まっていました。彼女の鼻は晴れ上がり、少し曲がっていました。

隊長「Tさんは学生さんかな?」
Tさん「そうです」
隊長「ご両親とかはご自宅にいるのかな?」
Tさん「やだ!両親に連絡とかしないで下さい、そんなに大げさなことじゃありませんから!」
隊長「そうは言ってもね…病院には行かないとダメだよ、あなたはまだ未成年だからなぁ…」
Tさん「大丈夫です、治療が終わったら自分で帰りますから、それに私の実家は○県だから両親だって来ることはできません」
隊長「そう…Tさんは大学に通うためにこっちで一人暮らしをしているの?」
Tさん「はい、彼に殴られたなんて言ったら大騒ぎになっちゃいます」
警察官「ねえ、Tさん、何だって殴られちゃったの?」
Tさん「彼とちょっと口論になってしまって…そしたらいきなり殴られてしまって…」

Tさんと彼はこのお店に入り食事をしていたところ、口論となってしまったとのことでした。逆上した彼はTさんを殴り、彼女は血まみれに、服は真っ赤に染まったのでした。この様子を見た店員が110番通報したのでした。


警察官「殴られたのは一発だけだね?」
Tさん「はい、鼻血がいっぱい出て、血だらけになってしまったから彼も我に返ったみたいで…一回しか殴られていません」
警察官「彼も大学生?」
Tさん「いえ、社会人です」
警察官「お仕事は何をしているの?」
Tさん「ホストです」
警察官「そうですか…」

通報は喧嘩障害でしたが、喧嘩ではなく、彼女が一方的に殴られて受傷していました。創の処置を終え、隊員はTさんのバイタルサインを測定しました。

隊員「隊長、バイタル測りました、特に問題ありません」
隊長「了解…Tさん病院なんだけどね…」
Tさん「やっぱり行かないとダメですか?」
隊長「うん、ここでは詳しい検査なんてできないら分からないことも多いけど、多分ね…鼻の骨が折れていると思うよ」
Tさん「ええっ!」
隊長「大分鼻が腫上がっているし少し曲がってしまっている、特にあなたは女の子だし、しっかり治療しないと」
Tさん「そうですか…」
隊長「救急隊で治療できる病院を探すからね」
Tさん「はい、お願いします」
警察官「折れていますか?」
隊長「ええ、多分…」
警察官「ねえ、Tさん、どうする?これを事件にする?」
Tさん「事件?」
警察官「訴えるのかどうするのかってこと」
Tさん「…私が訴えるって言ったら彼はどうなるんですか?」
警察官「あなたが受傷しているから傷害事件になる」
Tさん「それって逮捕するってことですか?」
警察官「うん、まあ、そうだね…」
Tさん「そんなの可哀想です!それはいいです、私はただ治療費だけは払ってもらいたいですけど」
警察官「それはちょっと…私たちがどうこうできる問題ではないんだ、あなたが訴えると言うなら私たちは対応するけど…」
Tさん「そんなに大げさなことにするつもりはありません、治療費の話は彼と後でしますから、訴えるとか、そんなことはしません!」
警察官「そうですか…分かりました」

歯がゆそうにしている警察官、思っていることはきっと…私たちも同じ。


医療機関到着

医師「ふ~ん、そう…、彼に殴られちゃったの?」
Tさん「そうです」
医師「それは災難だったね、彼は君に手を挙げる人なの?」
Tさん「いえ…それは今までちょっと叩かれるようなことはありましたけど、こんな風になるのは初めてです」
医師「そう…これは痛い?」
Tさん「痛いっ!」
医師「彼は時々、女性にも手を出しちゃうような人なんだ…、それは困ったね」
Tさん「でも、いつもはすごく優しくて…」

ふぅ…やれやれ…、いつもはすごく優しい、か…。

医師「鼻の骨が折れているよ、ずいぶんおもいきり殴られたものだね…」
Tさん「…そうですか」

「鼻骨骨折 中等症」

隊長「それではTさん、お大事にね、治療がひと段落したらさっき教えてもらった警察署に連絡してね」
Tさん「はい、お世話になりました」


帰署途上

機関員「女に手を挙げる男なんてのはクズだから早く別れた方がよいよな?」
隊員「やっぱりそう思っていました?オレもですよ」
隊長「彼女以外、あそこにいた皆がそう思っていたよ、確かに実家の両親に連絡なんてしたら大騒ぎになるだろうな…彼氏から殴られて、さらに鼻の骨を折られたなんて聞いたら」
隊員「あの彼、大人しそうに見えましたけどね」
機関員「そりゃあれだけの警察官に取り囲まれていたんだ、大人しくもなるだろうよ」
隊長「彼女も殴り返してやればよかったのにな?」
機関員「あの彼も殴り返されるなんて思っていないからやっている訳でしょ?」
隊長「そうだな、一方的に殴るのが前提の暴力、一番卑怯だよな」
機関員「あの子はしきりに彼をかばっていたけど、訴えないとダメだよな?痛い目をみないと彼はまた彼女に手を挙げるぜ」
隊長「だろうなぁ…」
隊員「本当、この手の現場って、被害者の女性が加害者の男性をかばっていることが本当に多いですよね…」
機関員「訴えますなんて言う女性を見たことないもんな?」
隊長「DVとかこの手の問題はそこが一番難しいんだろうな、彼女が考えを改めないと何も変わらないよな、きっと」


彼はパトカーで警察署に向かったようでしたが、その後、どのようになったのかは分かりません。ただ、被害者であるTさんはしきりに彼をかばい続けていたのでした。

これまでいくつものDVと思われる現場に行きましたが、それはいつも女性が被害者、いつも泣いているのは女性でした。そして、そのほどんどの現場で被害者は加害者をかばっているのでした。

もちろん、女性が加害者である現場もあるでしょうが、どちらにしても夫婦間、恋人間の関係での問題であって、警察官もなかなか介入していけない難しい問題であるのだと感じることが多いです。

今回は飲食店で起こった事件で店員が110番通報しましたが、これが彼らの自宅であった場合、誰の目にも触れることはなかったかもしれません。きっと、救急隊や警察官が関わるこの手の問題なんて氷山の一角、様々な人たちが苦しんでいるのだと思います。


119番通報する前に1秒だけ考えてほしい、 大切な人がすぐ近くで倒れていないだろうか?今、本当に救急車が必要だろうか?と。
すべては救命のために
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