仰天の現場
このお話はオレに家族なんていないよの続きです。
あれからどのくらい経ったでしょうか?数ヶ月の月日が流れました。
出場指令
「救急出場、○町○丁目S方に急病人、80代男性は呼吸困難、通報は家族男性から」
との指令が消防署に鳴り響きました。やっぱり気付くのは地図を確認する機関員です。
機関員「あれ?ここって行ったことあるな」
隊員「○町のSさん…?」
機関員「あの透析を受けていたじいさんじゃないか?」
隊員「あっそうだ!でも家族からの通報って…」
機関員「いや、間違いないよ、絶対あのSさんの家だって」
現場到着
間違いない、あのSさんのお宅でした。周りはマンションばかり、ひとつぽつんと木造住宅、雑木林のような手入れされていない広い庭、手を振る男性の姿が見えました。
男性「こっちです、お願いします!」
隊長「救急隊です、要請していただいた方ですね?案内をお願いします」
男性「伯父が苦しんでいるんです!こちらです」
傷病者接触
あの時と同じ、あの部屋のあの布団でSさんは横になっていました。数ヶ月前からは見る影もないほどに痩せていてまるで別人のようでした。明らかに呼吸困難の状態、とても苦しそうに肩で息をしていました。相当な重症、たいへん危険な状態です。部屋には40~50歳くらいの男女が数名いました。Sさんはあの時、オレに家族なんていないよと話していたのですが、誰なのでしょうか?
隊長「酸素投与の準備!AEDも、除細動パッドを貼れ!」
隊員「了解!」
除細動パッドとは電気ショックを打つ際に使用されるものです。容態変化し心停止に陥るかもしれない、それほどに危険な状態であるとパッと見て判断できる…そんな状態でした。隊員と機関員はすぐにできる処置とバイタルサインの測定、搬送準備に取り掛かる、隊長は状況を聴取しました。
隊長「状況を教えていただけますか?」
男性「伯父の様子がおかしいからと連絡を受けたのでこちらに来てみたら、このような状態だったので要請しました」
隊長「連絡を受けた?どなたから?」
女性「私です、私が訪ねてきたら応答がないので、部屋に入ったらこんな感じで…」
隊長「それっていつの話ですか?」
女性「今朝です」
隊長「今朝!?今朝ですか?それではもう…3時間くらいは経っているってことですか?」
女性「ええ…まあ…そうですね…でも、その時はこんなに苦しそうではなかったです、どうして良いか分からなかったので親戚に連絡して来てもらったんです」
隊長「…それで他の家族、えっと…甥御さんに連絡を取って、それから通報に至ったということですね?」
女性「はい、そうです、私は姪です」
隊長「分かりました、Sさんのご病気、それからかかっている病院を教えてください?」
男性「いや…ちょっと病気とかは…知らないよな?」
女性「分からない…おじさんは何も言ってくれないから…」
隊長「分かりませんか?確か人工透析を受けられていたと思ったのですけど、他にありませんか?」
男性「人工透析…?」
隊長「今日は透析の日ですか?」
家族一同「…」
みな家族と名乗るのですが、誰一人としてSさんがどこの病院にどんな病気でかかっているかを知りません。Sさんを何度か扱ったことのある救急隊の方が、透析で○駅前のクリニックにかかっていると把握しているくらいでした。
隊長「ご家族のみなさん、Sさんの今の状態なのですが、たいへん危険な状態だと思います。高度な救命処置ができる病院にお連れする必要があると思います、よろしいでしょうか?」
女性「それはどういうことでしょうか?」
3次病院は救命を主眼とすること、高度な救命処置が行われる可能性があること等々を隊長が説明しました。そして、家族だという彼らは誰も明確な回答をしてくれないのです。人工透析を受けている方、しかも今日が受ける日なのかどうかも分からない、最後にいつ受けたかも分からない、さらにこの危険な状態、受け入れてくれる病院が簡単に見つかる訳がありません。
隊長「ご高齢な方や末期の疾患などをお持ちの方の中には、そういった処置を望まないと言う方もいるんですよ、だからこうしてみなさんに聞いているんです。ただ、Sさんは透析を受けている以外、みなさんご病気とかも分からないのですね?高度処置のできる病院に搬送しますよ」
男性「はぁ…はい、お任せします」
隊員「ご家族はどなたが同乗してくれますか?」
男性「私が家族です、同乗します!」
女性「私も家族です、同乗します!」
みな自分が家族だから同乗すると言います。何なんでしょうか?この人たち…。あなたたち本当に家族なの?家族って何?
病院到着
隊長「…という状況でして」
医師「発見は朝…そりゃ酷いね…、どう見ても呼吸困難じゃない、同乗の家族はどなた?」
隊長「ええ、甥と姪に当たる方だそうです、現場には他にもご家族がいましたので駆け付けるはずです」
医師「誰がキーパーソンなの?」
隊長「それが…みな私が家族ですと訴えています」
「呼吸困難 重篤」
帰署途上
隊員「あの人たち何だったんでしょうね?」
隊長「家族ねぇ…今まで何度か行ったけどSさんはいつもひとり、だって、オレに家族なんていないって言っていたもんな」
機関員「本当だよ、他人のオレたちの方がSさんのことよく知っていたものな?」
隊員「確かに、人工透析を受けていることすら知らなかったですもんね」
隊長「あの女性も酷いよな、訪ねて来たらすぐに救急車だよな?他の親戚を集めて、それから救急要請だって言うんだから…」
機関員「伯父さんがいよいよだからって、まず親戚を集めたんでしょ?」
隊員「みんなこれまで関わってこなかったのに、同乗します、家族だからって…嫌なもの見ちゃいましたね」
隊長「救急隊なんてやっていると人間の嫌なところを垣間見るよな?」
機関員「今頃、相談してるぜきっと…Sさん亡き後の話を…」
家族なんていないと訴えていたSさん、しかし、自分が家族だと訴える人はいたのでした。家族って何?
数か月後
数ヵ月後、あくせくした日常の中でSさんを搬送したあの時のことなど忘れていました。病院からの帰署途上、気が付くのはいつも…
機関員「あれ?ここマンションが建ってる!」
隊長「マンション?本当だ、まだできたばっかりだな」
隊員「何があったんでしたっけ?」
機関員「ほら、いつかの人工透析やっていたおじいさん、いよいよって時に家族を名乗る人たちがわんさか出てきたあの現場」
隊長「ああ!あの時の!」
隊員「ええっ!ここでしたっけ?でもあれからたいして経ってないですよね?」
隊長「経ってないよ、まだ半年ってところだろ?」
機関員「ここにこんなマンションが建ったってことは…亡くなったんだな」
隊員「そうでしょうねきっと」
機関員「帰ったらチェックしておかないとな…」
消防署に戻ると機関員は自分の地図を出してSさんの家部分を塗りつぶし、マンションを記載ていました。機関員の地図からもSさんの家は消えてしまった。駅近くの一等地、さて、このマンションが建っていったい誰が潤ったのか?
人間年を取り必ず最後を迎えます。私もいつか年を取りその時を迎えるのでしょう。そんな時、孤独ではいたくないものです。できれば安らかに家族たちの下でと思いますが…こんな家族ならいなくてもいいや…。
119番通報する前に1秒だけ考えてほしい、 大切な人がすぐ近くで倒れていないだろうか?今、本当に救急車が必要だろうか?と。
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