また路上生活するつもりかい?

救命士のこぼれ話

消防署での昼休み、今日は珍しく消防署の仲間と昼食が摂れていました。

お昼のニュース、路上生活者の社会復帰を支援するNPOやボランティア、公的機関での取り組みが紹介されていました。不況が続く中、今こそこういった活動が特に必要だ。こういった支援を受けて社会復帰を遂げた人が紹介され、まだこういった支援の場が足りないと番組は結んでいました。

隊長「確かにこの手の支援の場は少ないし、足りないだろうな」
隊員「そうですね、ただ、路上生活をしている人がみんな社会復帰を望んでいるかどうかは疑問ですけどね…」
機関員「言えてるね、その手の施設に入っても飛び出してくる人なんてオレたちはしょっちゅう扱うもんな」
隊長「そうだなぁ…、この前の事案もそうだったもんな…」


出場指令

もう辺りがうっすらと明るくなってきていた早朝でした。いつものように消防署に出場指令が鳴り響きました。

「救急隊出場、○町○丁目、○公園内、男性は倒れているもの、通報はUさん男性」

との指令に私たち救急隊は出場しました。



現場到着

通報者であろう男性が手を振っていました。指令先の○公園の入り口に救急車を停車しました。

隊長「通報していただいたUさんですか?」
通報者「そうです、Uです」
隊長「案内していただけますか?患者さんは意識はありますね?」
通報者「ええ、話はできますが動けないみたいです、こっちです」

通報者の案内の下、救急資器材をメインストレッチャーに載せて現場に向かいました。

隊長「Uさんのお知り合いですか?」
通報者「いいえ、通りかかったら動けないから救急車を呼んでくれって頼まれたんです」
隊長「そうですか」



傷病者接触

傷病者は50代の男性でFさん、公園のベンチの前にしゃがみこんでいました。

隊長「おはようございます、救急隊です、どうしましたか?」
Fさん「動けないんだ」
隊長「動けない?どこか痛いのですか?」
Fさん「何か…力が入らないんだ」
通報者「それでは僕はこれで…お願いします」
隊員「どうも通報ありがとうございました」

通報者のUさんは私たちに引き継ぎ去っていきました。

隊長「Fさん、ここまでは自分で来たのでしょ?急に動けなくなった?」
Fさん「ああ、そうなんだ…」
隊長「そんなところに座り込んでると寒いでしょ?肩を貸すからひとまずそのベンチに座りましょうよ」
Fさん「ああ…そうだな…」

隊長と隊員に肩を貸りてFさんは公園のベンチに腰をかけました。立ち上がれないことはありませんが、ふらふらと足元がおぼつかない様子は確かにありました。この町は救急隊とホームレスは切っても切れない関係です。このFさん、ホームレスであろうとは思うのですが、何か違和感があるのでした。

隊長「Fさん、どうして力が入らないのでしょうか?」
Fさん「もうここ2日くらいろくな物を食べてないからな…」
隊長「腹が減っちゃったってこと?」
Fさん「ああ、そうだな」
隊長「Fさん、腹が減っているからふらふらしているの?」
Fさん「ああ…そういうことだ」
隊長「救急隊は病院に搬送することが仕事ですよ、お腹が減ったは病気ではありませんよ」
Fさん「…」
隊長「ふぅ…救急車の中で話を聞かせてください」


Fさんの主訴はふらふらすること。そしてその原因はここ2日、ろくに食べていないからだと言うのです。食事の手配をすることは救急隊の業務ではありません。入院できればベッドと飯が用意してもらえる。ホームレスからの要請では、それが目的の場合は非常に多いのです。



車内収容

隊長「なるほど…それでは腹が減って動けないからあの公園にいた訳だね、さっきの男性に救急車を呼んでほしいと頼んだんだのですね?」
Fさん「ああ」
隊長「では、今日はふらふらしてしまって立ち上がれないと言うのが辛い訳ですね?」
Fさん「そうだ、どこか入院できるところに連れて行ってくれ」
隊長「入院して治療するべきかどうかはお医者さんが診察して判断することですから、入院できる病院なんてのはありませんよ、お医者さんが診察してから判断することです」
Fさん「はぁ、そうか、分かったからとりあえず入院できるところに頼むよ」

…全然、分かってない。

隊長「Fさんはあの公園で生活しているの?」
Fさん「いや…まぁ、これからな」
隊長「これから?Fさんはどこかに住まいがあるのですか?」
Fさん「…」

何やら話したがらないFさん。救急車内でいろいろ話しを聞いていくといろいろと分かってきました。このFさんはもともと路上生活者、何年にも渡りホームレスとして生活してきた方でした。半年ほど前から、ここから数百メートルほどのところにある生活支援の施設に入居していたのだそうです。

昨夜、施設長とトラブルを起こし飛び出してきたとのことでした。その施設には私たちも何度も出場したことがありよく知っていました。この施設では路上生活者など様々な事情で職や住所がない人たちを支援しています。生活保護などの公的支援を受けつつ、規則正しい、ルールある生活を送り社会復帰を果たすことを目的とする施設です。

隊員「施設ってあの通り沿いにあるあそこですよね?」
隊長「あの施設に入っていたってことはFさんはあそこの住人でしょ?ホームレスではないじゃない」
Fさん「いや、もうあんな所になんていられないから今日からホームレスだ」
隊長「Fさん、何があったか知らないけどさ、あなたはあの施設の入居者でしょ?あそこに住所もある訳なんだから」
Fさん「違う!あんな所にはいられない!オレはホームレスだ!」

高らかにオレはホームレスだと宣言するFさん、困ったなぁ…。受け入れ先を探すにしてもホームレスと施設で暮らしている方とでは大違いです。

隊長「あなたは施設を飛び出してきたみたいだけど現時点ではあそこに住所がある住民な訳ですよね?連絡取らせてもらいますよ、入院するにしても、しないにしても面倒を見てくれる人がいる訳なんだから」
Fさん「嫌だ!もうあんな所とは関係ない!」
隊長「昨夜まではあそこにいた訳でしょ、関係ないってことはないよ、施設から出るなら出るで施設長さんにしっかり話をしないといけないでしょ?勝手に飛び出して関係ないなんて、世の中まかり通らないよ」
Fさん「…」

Fさんの主訴は力が入らずふらふらしてしまい動けないというものでした。バイタルサインも特に問題なし。機関員が診てくれる病院を選定します。病院から求められるであろうことは、関係者との連絡です。隊長はFさんが入居している施設に連絡をとることにしました。



病院選定、施設への連絡

隊長からの連絡に対応したのは施設長さん。昨夜、トラブルを起こして飛び出したFさんにたいへんご立腹な様子で、「こっちもそんな人とはもう関係ない」なんて言っていましたが、そこは大人、社会人です。病院が決まったら来てくれる事となりました。医療機関も施設長さんが来てくれると言う事ですぐに決まりました。



病院到着

医師「Fさん、特に問題ないですよ、しっかり食事を摂ってお休みなったら大丈夫ですよ」
Fさん「先生、そんなこと言わないで入院させてくれよ」
医師「大丈夫、入院する必要はないよ、帰ってしっかり休んでください」
Fさん「どこに帰れって言うんだよ!」
隊員「Fさん、それはお医者さんにどうこうしてもらう話じゃないでしょ、ほら待合室に行こう」
Fさん「…」

隊員がFさんの手を引いて診察室から出ます。しっかりした足取りのFさん、入院することを諦めたようです、やれやれ…。診察してくれた医師も困った様子でサインをしてくれました。

「ふらつき感 軽症」

…これって病名なのでしょうか?さて大変なのはここからです。病院には迎えに来てくれる施設長に引き継ぐまで救急隊が待機していることが約束になっていました。早朝の病院の待合室、隊長、隊員、Fさんと3人しかいませんでした。

隊長「ねえ、Fさんこれからどうするんだい?」
Fさん「またどこかで暮らすよ」
隊長「どこかって?」
Fさん「○駅の方で」
隊長「○駅か…Fさんずっとあっちで暮らしていたの?」
Fさん「ああ」
隊長「ねえ、施設長さんとちゃんと話し合って施設に戻ったらどうだい?路上で生活するよりしっかりとした生活もできるだろう」
Fさん「嫌だ!あんなところクソ食らえだ、いてやるもんか!」
隊長「そんなこと言わないでさ、もう若くはないんだし、これからの路上生活は堪えるよ」
Fさん「嫌だ!あんなところにいるくらいなら路上生活の方がずっとましだ」
隊長「ふぅ、また路上生活するつもりかい?」
Fさん「ああ、その方がよっぼどましだ」

絶対に施設になんて帰らないというFさん、そうこうしているうちに施設長さんがやってきました。施設長の顔を見るとブスーっと明らかに不機嫌になったFさんでした。

隊長「どうも、すみませんね、お越しいただいて」
施設長「いいえ、こちらこそ申し訳ありませんでした」
隊長「今、診察が終わりまして、入院の必要はないそうです、お帰りいただいて良いのことでした」
施設長「そうですか、ありがとうございました」

ブスーっとしているFさんに施設長が話しかけます。

施設長「なあFさん、あんたどうするつもりだい?施設に帰ってくるのかい?」
Fさん「帰る訳ないだろ?あんなところにいてやるもんかよ!昨日もそう言っただろうが!」
施設長「そうかい!だったら荷物を置いていかないでくれ、荷物をまとめて部屋もしっかり片付けて、それから出て行ってくれよ」
Fさん「荷物はそのうち取りに行くつもりだったんだ」
施設長「出て行くんなら、もううちの住人じゃないだろ?勝手に荷物を置いておかれちゃ迷惑なんだよ」
Fさん「なんだと!」

スクっと立ち上がったFさん、まあまあまあ、間に入って静止する隊長と隊員、はぁぁ…。ふらふらして立ち上がれないって話はどこに?

隊長「ほら、とにかくさ、診察は終わりました、ここは病院の待合室だから行きましょうよ」
Fさん「どこに行けって言うんだよ!」
施設長「そんなこと知らないよ、あんたが出て行くって決めたんだろ、行きたいところに行けばいいじゃないか」
Fさん「分かっているんだよ!そんなことは!」

施設長に促されFさんは病院の外へ、どこかに歩いていきました。

隊長「どうも、朝早くに申し訳なかったですね」
施設長「いいえ、こちらこそいつもお世話になってしまって」
隊長「やっぱり今のFさんみたいに施設を飛び出していく方は多いのですか?」
施設長「ええ、ルールや規則正しい生活がどうも肌に合わないみたいでね…今のFも昨日、酒を相当に飲んで帰ってきましてね…」
隊長「なるほど、お酒は禁止なんでしたっけ」
施設長「ええ、もともと酒が原因で施設に入っているような者も多いですから、結局ルールが守れずに路上生活に戻っていくのも多いのですよ」


帰署途上

隊員「Fさんみたいな人にはどうしてやれば良いのでしょうね?」
隊長「さあな…せっかく支援施設に入居してもそれが嫌だって言うんじゃな…」
機関員「もう仕方がないんじゃないの?生活保護を受けて住むところだって用意されて、社会復帰するための場所が用意されているって言うのに…」
隊員「ホームレスの支援が足りないだとかいろいろ言っていますけど、Fさんみたいな人がいることも伝えてもらいたいものですね」
機関員「そうだよな、たくさんの人たちの善意や努力で支えられている支援を受けたくないって言うんだからな」
隊長「でも、あのFさんからしてみれば施設での暮らしの方がよっぽど恵まれていないのかもしれないよな?」
隊員「路上生活より屋根のある暮らしが良いだろうなんてのは、オレたちのものさしで測った勝手な理屈ってことですか?」
隊長「そうだな、路上より施設の暮らしの方が良いだろう、路上生活は可哀そうじゃないかなんていつだかの事案みたいだ、あの人にとってみれば善意の勝手な押しつけかもしれないよな?」
機関員「オレは甘ったれていると思いますけどね…、今の生活が嫌ならとっとと自立して自分で納得のいく暮らしをすれば良いじゃないか、だって、ほとんどの人が頑張って働いて自分の生活を守っているんじゃないですか、みんな我慢している、何が嫌だ何が納得できないって、そんなことばかりじゃ結局何もできないでしょ?」
隊員「そうですね、社会人のほとんどがいろんなルールの中で一生懸命やって、我慢しているから賃金を得ている訳ですからね」
隊長「支援だ、社会のサポートだ、何が足りない、何がいけないって、いろいろ言っているけど結局、それを蹴ってしまう人もいるからな…最終的には本人の問題ってことだな」

こういった社会のサポートを受けて社会復帰を果たす人たちがいる一方で、Fさんのようにせっかくの社会復帰の機会を自ら蹴ってしまう人もいるのです。

119番通報する前に1秒だけ考えてほしい、 大切な人がすぐ近くで倒れていないだろうか?今、本当に救急車が必要だろうか?と。
すべては救命のために
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