誰かが呼んだと思って…

仰天の現場

救急車が駆け付ける現場は緊急事態、冷静な判断や普通のことだと思うことができないことがむしろ当たり前、そんな前提に立たないといけません。救急隊員たちにとってはそれが日常であっても、119番通報する人にとってはそれは一生に1回かもしれない非日常です。それは肝に銘じないといけない、でもせめて、119番通報してからにして…。


出場指令

炎天下、灼熱の日差しが降り注ぐ消防署に出場指令が流れました。

「救急隊出場、〇町〇丁目…〇運動公園、サッカー競技中の男性は熱中症の模様、通報は公園警備員のHさん男性、救急隊は東口に向かえ」

出場先は隣町の運動公園、サッカー場、陸上トラック、体育館、テニスコートなどがある広大な公園です。

機関員「あぢぃ~…こんな日にサッカーなんてやっちゃダメだよな…熱中症なんてむしろ必然だぜ」
隊長「まったくだ、運動なんて危ない暑さだな…」

119番通報電話番号に連絡をするも応答はありませんでした。


現場到着

〇運動公園の東口に到着しました。

機関員「えっと…案内はないか?サッカー場となるとさらにけっこう奥ですけど…」
隊長「この広大な敷地だからな…案内がないと厳しいな、ひとまずサッカー場に向かおう、確かもう少し先に公園事務所があるだろ?あそこで声をかけよう」
機関員「了解」

119番通報電話に応答もなく、東口で案内に出ていると思われた警備員とも接触できません。この広大な敷地で案内なしに傷病者に接触するのは難しいです。救急車は東口から少し入った公園案内所に向かいました。案内所の前にはそれと分かる制服を着た警備員がいたのでした。救急車の窓を開けて警備員に声をかけます。

隊長「お待たせしました、救急隊です、患者さんの下へ案内をお願いします!」
警備員「え…すみません、まったく聞いていなくて…」
隊長「サッカーをしていた男性が熱中症みたいだと駆け付けています、大至急確認して案内してください!」
警備員「分かりました、すぐに確認します!」

駆け付けた救急隊に慌てた様子の警備員は無線機を操作し確認を取り始めました。

警備員「すみません!確認できました、すぐ案内します!」
隊長「お願いします」
警備員「距離があるので自転車で先導します」

そう言うと警備員は案内所にある自転車に乗り救急隊を案内してくれたのでした。先導する自転車についていくと同じ制服を着た警備員が手を振っていました。その奥には日陰でぐったりとしている男性が仲間からうちわで扇がれていました。

警備員「お願いします、この方です」
隊長「分かりました、こんにちは、救急隊です、お話はできますか?」
Fさん「はい、分かります、すみません、よろしくお願いします」



傷病者接触

傷病者は30代の男性でFさん、炎天下で下肢のこむら返りを起こし、その後ぐったりとしたため熱中症になったのだろうとこの木陰で休んでいたとのことでした。 受け答えはしっかりとしており、呼吸や脈拍の状態も問題なし、緊急性は感じられない状態でした。

隊長「Fさん、血圧など測らせていただいて、それから病院選定をさせていただきます」
Fさん「すみません、水分とかかなり気を付けていたんですけど…もう何度も足がつっちゃって…」
隊長「そうですか…えっと、サッカーと聞いて駆けつけたのですけど、サッカーを?」
Fさん「サッカー?いや…ランニングです」
隊長「そうですよね…サッカーの格好には見えない…」
隊員「Fさん、それではこちらの腕で血圧を測らせていただきます」
隊長「通報者は?警備員のHさんは?」
機関員「隊長、それが…、どちらもHさんじゃないそうです」

案内所から自転車で案内してくれた警備員、Fさんに付き添っていた警備員、共にHさんではないのでした。

隊長「警備員さん、我々はサッカーをしていた方が熱中症みたいだと警備員のHさんから要請で駆け付けました、救急要請をしましたか?」
警備員「いや…私はしていません」
もう一人の警備員「いや…私もしていません、ただ、私たちが要請するとなると警備室に連絡して、それからなので…」
隊長「少なくともあなたたちは救急要請はしていないのですね?」
警備員ふたり「はい…」
隊長「それでは、その警備室に大至急連絡してください、Hさんが連絡した現場はここで良いのかを?」
警備員「はい」

「こっちで~す!こっちで~す!お願いします!」

遠くから何やら大きな声でこちらを呼んでいます。

隊長「お前はここでバイタルサインを測定、重症度緊急度の評価をしろ」
隊員「え…ええ、分かりました、えっと、その…何ですか?」
隊長「オレたちが向かう場所はここじゃないって事だ、オレは機関員とあっちに向かう、いいな?」

隊員「ここじゃない?…了解、分かりました」

呼びかけてきたのはやはりそれと分かる制服の警備員でした。あっちにサッカーをしていた男性が熱中症の症状を訴えている、隊長と機関員がそちらに対応し、隊員はランニングをしていた男性のバイタルサインを評価、緊急度重症度評価に当たりました。しばらくすると救急機関員がこちらに走ってきました。

機関員「Fさん、友人のみなさん、救急車は呼んだ?」
Fさんの仲間「いや…呼んでないです」
機関員「警備員さんは呼んでいないって話でしたよね?」
警備員「はい…いや…誰かが呼んだと思って…」
Fさんの仲間「オレたちもです…」
機関員「そうですか…我々が要請されたのはあっちでサッカーをしていた方でした、Fさんはどうされますか?救急車で病院に行きますか?」
Fさん「いや…その…正直、別に救急車で行くほどじゃないかなって…」
仲間「いや…そうですね…オレたちも…車で来ているし、送って帰ります、必要なら病院もオレたちが連れていきますから」
機関員「分かりました、お前は隊長のところに行け、隊長がバイタルを測って全部やってる、 こっちはオレがやるから!」
隊員「了解!」

危ない…。現場はここではないのでした。今日は炎天下、この広大な敷地、他にも熱中症で具合が悪くなっている人がいる、そんなことまで想定しないといけないのがプロなのでしょう。しかし、通報は警備員、その警備員の制服を着た人がこっちだと案内したのです…。

指令先の現場はFさんがいた木陰から陸上トラック、芝生のサッカーグランドを対角線上200mほど行った先、既に隊長がバイタルサインを測定、判断を下し選定を進めていました。

隊長「あっちは?救急車が必要だって?」
隊員「いや…救急車で行くほどじゃないと…必要なら仲間が連れていけると言っていました」
隊長「了解、機関員とこっちにストレッチャーを搬送、選定連絡までオレがやるから」
隊員「了解です」

Fさんはそもそも救急車なんて呼んでいないし病院にいくつもりもない、もし必要なら仲間が連れて行くからと搬送を希望していませんでした。Fさんは仲間たちと自宅に帰って休むことになりました。


病院到着

救急隊は本来、駆け付けるべきサッカーをしていた男性の下に駆け付け医療機関に搬送しました。

「熱中症 軽症」


帰署途上

隊長「現場の恐ろしさだな?通報者を確認する、基本の大切さを改めて学んだな…」
機関員「ええ…しかしねぇ…通報者は警備員のHさん、それで、案内したのは警備員、確かにHさんではなかったけど通報は警備室から行う、案内した警備員もHさんが通報したのだろうと思っている…これって防げますか?」
隊長「難しいだろうな…それでも気が付かなかったらいけないんだよな、ヒントはあったはずだってな」
隊員「オレは疑いもしませんでした、警備員のHさんからの通報、それで警備員がこっちですって案内している、そこに指令通りの熱中症の症状の男性がいる、これって厳しくないですか?オレ達は間違えたって叩かれるんですか?」
隊長「ああ、そうだよ、救急隊は間違えたらいけないんだ、人命がかかっているから…、だから絶対に現場に間違いがないか確認しないといけない、指令はサッカーをしている男性だった、Fさんはサッカーの格好をしていなかっただろ?ヒントはそこだったな…この現場はそこだけだったな…」
隊員「それは…そうです…確かに違和感を感じないといけないんですね…隊長は感じていましたもんな…」
隊長「うん…何かおかしいなって…でも、通報が嚙み合わないなんて良くある話だ、サッカーと聞いていたのにランニングなんて別に良くある話だからなぁ…おかしいなって思った程度だよ」
機関員「しかしねぇ…この現場は難しいですよ、警備員もFさんもその仲間に聞いても、誰も119番なんてしていないって言うんです、じゃあ何で救急隊が来たと思ったのって聞いたら、誰かが呼んだんだろうって…、警備員も案内所に誰かが連絡して、Hさんが要請してくれたんだろうって、そう思ったってそう言うんですよ、そりゃ案内してこっちですって言うよな…要はさ…全員悪くなんてないんだよ、みんな良かれと思っての善意の行動なんだよな…」

現場ではまず、ここが指令先なのか否かを確認する、それが大前提です。指令先に向かうとこちらですと案内がある、でも、その人が通報者とは限らない。案内した人は誰かが通報したのだろうと思っていて早く救急隊を傷病者の下へと善意で行動している。この現場では通報者は警備員のHさん、案内した警備員も警備員の制服を着てHさんが通報したのだろうと案内し、そこにはしっかりと熱中症の男性がいたのでした。

実はこんな事案は救急隊あるあるです。 人命がかかっているのだから救急隊は絶対に現場を間違ってはいけない、間違いないと確信が持てるまで確認しないといけない。しかし、あんまり慎重に行動していると、もたもたしていると叩かれる。こっちです、こっちに具合が悪い方がいます、案内してくれる人は本当にありがたいです、でもせめて、119番通報したとそこだけは確認してほしい…。

119番通報する前に1秒だけ考えてほしい、 大切な人がすぐ近くで倒れていないだろうか?今、本当に救急車が必要だろうか?と。
すべては救命のために
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