溜息の現場
生涯に1度使うか使わないかの救急車、そんな救急車でのルールなんて、知らないのが当たり前です。しかし、郷に入らずんれば郷に従えです。従ってもらわなければならないルールがあります。
救急車には酸素ボンベが積載されており、車内での喫煙は危険があり禁煙車両です。喫煙者が適切に節度を持った喫煙が推進されているこのご時世、具合の悪い方が乗る救急車での喫煙が好ましいことでないのは明らかです。
出場指令
「救急出場、乗用車同士の交通事故、怪我人が1名、警察官扱い中」
との指令に救急隊は出場しました。
隊長「警察官からの通報か…」
機関員「また事故発生からずいぶんと経っているってことはないでしょうね…」
隊長「いつかの現場みたいに?」
この現場もいつかの現場(あなたの家族でも同じようにするの?)みたいに、ずいぶんと時間が経ってからの救急要請なのでしょうか。
現場到着
現場にはパトカーの他に、交通捜査の車両も停止しており、事故処理に当たっていました。事故車両に大破している様子はありませんでした。う~ん…これは事故発生から大分時間が経っているぞ…。
隊長「救急隊です、到着しました、患者さんはどちらですか?」
警察官「お疲れ様です、怪我人はこちらです」
傷病者は歩道で警察官からの事情聴取を受けている20代前半の男性でJさん、もちろん自力歩行は可能で自身で救急車に乗り込みました。隊長が警察官からの申し送りを受け、隊員と機関員は救急車内で怪我の部位や処置、バイタルサインの測定などに当たります。
車内収容
隊員「それではJさんは信号待ちでこの交差点で停止している時に後ろから追突されたと?」
Jさん「そうなんスよね~、まったくツイてないッスよ」
隊員「首が痛いと言う訳ではないのですね?」
Jさん「痛くはないんだけど、なんか重いっていうか、ダルいっつうか…」
隊員「それではちょっと窮屈かもしれないけど固定させてくださいね」
Jさんの訴えは頸部の違和感、ネックカラーで固定処置しました。他に怪我もなくバイタルサインにも問題はありません。警察官から話を聞いてきた救急隊長が救急車内に戻ってきました。
隊長「Jさん、救急隊で近くの病院を選定します」
Jさん「ええ、それでいいっスよ、オレは全然大丈夫なんスけどね、なんか警察官が人身事故だから救急車で病院に行けとか言うから、マジで大丈夫だって言ってんのにさ」
なんともこのJさん、この軽い感じです…。機関員が病院への搬送連絡を始めました。救急車に乗り込んでから数分、Jさんがこんなことを言いはじめました。
Jさん「あのさ、火貸してくんない?」
隊長「は?ひ?」
Jさん「火だよ、ライター、タバコ吸いたいんだけど、とりあえず一服させてくんない?」
隊長「あのね、Jさん、救急車は具合の悪い人の乗る車ですから禁煙なんですよ」
Jさん「ああ、そうなんだ…外で吸うからさ、お願いしますよ」
隊長「Jさん、あなた事故に遭って病院に行かなくちゃならないんだよ、救急車降りてタバコ吸っている場合じゃないですよ」
Jさん「だから全然大丈夫だって、警察の話が長くてもう1時間も吸ってないからマジで辛いんだって」
そう言うとJさんは救急車のリアドアを開けようとしました。
隊員「ああ、待って待って!そこを開けないで!危ないですから!」
隊長「分かったから、ちょっと待って!今、後ろを開けるから」
救急車のリアドアは中から開けると後ろに人がいた場合、たいへん危険です。さらにここは公道、そんなことされたらたまりません。
仕方がないので救急車のリアドアを開けるとJさんはぴょんと救急車から降りるのでした。警察官に声を掛けてライターを借りたのか?路上で一服を始めました。さらにこんな事を言い出しました。
Jさん「これもいいや、大丈夫だから」
そう言うとネックカラーを外しはじめました。
隊員「ああ、待って待って!そんな風にしたら壊れちゃいますから!」
隊長「Jさん、それは一応つけておいた方が良いって!」
Jさん「だから大丈夫だって、なんか苦しいから嫌なんだよ」
説得しても嫌だと自分で外してしまうのでネックカラーも外すことになりました。
機関員「○病院受入れOKです」
隊長「了解、それじゃあ出発しよう」
警察官「○病院ですね、了解しました」
隊員「Jさん、○病院に行きますよ」
Jさん「分かった、ちょっと待って待って、この一服が終わったら行くから」
警察官「Jさん、治療が終わったら警察署に連絡してね、さっき話した通りだから」
Jさん「はいはい、さっきの電話番号にかければいいんでしょ」
救急車は緊急事態に駆け付ける緊急車両です。一服が終わってから乗り込むものでない…。Jさんは吸い終わったタバコを路上に捨てて踏み消しました。はぁぁ…おまわりさん、路上にポイ捨てですよ、現行犯ですよ~。Jさんを救急車に乗せてリアドアを閉めた。はぁぁ…やれやれ…。
医療機関到着
「頸部打撲 軽症」
帰署途上
機関員「救急車内で一服させろって?ふざけてるよな?」
隊長「案の定、事故が起きてからずいぶん経ってからの救急要請だったな…、長いこと事故処理で待たされたから吸いたくなったんだろ、でもだからって一服はないよな」
機関員「事故処理を済ませてから救急車って警察官も酷いけど、彼もなかなかだったな…」
隊員「タバコってそんなに我慢できないものですか?」
機関員「彼は知らないんだって、我慢なんて」
隊長「愛煙家としては気持ちは分からないでもないね、今の病院も敷地内全面禁煙だってさ、オレも吸いたい… 」
隊員「隊長は署に戻るまで我慢ですね」
機関員「隊長も止めればいいんだよ、タバコなんて何も良いことないんだから」
隊長「分かっちゃいるけど止められないんだって…」
機関員「なら引き揚げますか、隊長も一服しなくちゃいけないし」
隊員「そうですね、でも署まで辿り着けなかったりして…」
隊長「そんな事言うなよ、帰って少し休憩しようぜ」
消防署に戻る道中、やっぱり鳴り響いた救急車の無線機…。
救急隊3人「はぁぁ…」
本部「○町で救急入電です、受信体制を取ってください」
隊長「了解しました、今停車しますから少しお待ち下さい」
機関員「お前が変なこと言うからだぞ」
隊員「オレのせいじゃないですよ!」
喫煙できる病院はかなり減りました。おかげで愛煙家の救急隊員たちは我慢を強いられ喫煙本数もめっきり減ってきたようです。
隊長「仕方がない、救急隊は我慢の仕事だから」
機関員「我慢の仕事…確かに…」
119番通報する前に1秒だけ考えてほしい、 大切な人がすぐ近くで倒れていないだろうか?今、本当に救急車が必要だろうか?と。
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