どうにか年を越せそうだな

緊迫の現場

コンビニに代表される24時間356日営業のお店、年末もお正月もお店が営業していないから困ってしまうなんてことはあまりなくなりました。そんな便利な時代がやってくるずっと前から24時間365日営業と言えば、消防署です。


朝、大交替

「本年も1年ありがとうございました、良いお年をお過ごしください」
「本年もありがとうございました、良いお年を」
「昨日も大忙し、忘年会の酔っ払いだらけだったよ、全然休めなかった…」

12月31日大晦日、 交替制の消防職員にとってはいつもと変わらない大交替の風景、挨拶がちょっと違うだけ。

隊長「今年は年越し勤務か…何十年もこの仕事をやっているけど、年越しは家にいたいものだよなぁ~」
機関員「本当、そうですね、せめて署でゆっくりしたいものですね」

こんな会話も空しく、点検の時間もままならないタイミングで出場指令が流れ、あくせくとしたいつもとおりの激務が始まるのでした。



夜、消防署

みんなまったりモード。災害がなければ大晦日やお正月くらいはみんなのんびりとするのです…救急隊以外は…。救急隊の分だけラップされた夕食を若い消防士がレンジで温めてくれています。

消防士「あと、スープです、他はみんな温まっているので早く食べちゃってください」
隊長「ありがとう!」
機関員「周辺の隊はみんな出ていますよ、確かに早く食べた方が良いです」
隊長「やれやれ…師走だねぇ…大晦日だっていうのにオレたちだけはいつもとおりだ」
隊員「本当…自分で志した救急隊ですけど…この日ばかりはなんか残念です」
隊長「な~に言ってんだよ、オレはお前が生まれた頃からずっとこれだぜ」

どうにか食事を終えるとまたすぐに出場指令が流れるのでした。

機関員「はぁぁ…休憩はなしか…」
消防士「今夜は年越しそばがありますから」
隊長「了解!楽しみにしてるよ」



23時過ぎ、消防署

朝からほとんど待機することのできない消防署、今年も1時間を切っていました。

「今年もここまでは白だな」
「いやいや、紅もなかなかだって」

ちぇ…、もう終盤じゃないか…、今年のトリは推し、せめてそれくらい見たい。そんな願いも空しく、今年最後の指令が流れるのでした。



出場指令

「救急隊、消防隊出場、〇町〇丁目…F方、男性は呼びかけに反応なし、通報は妻」

指令先は直近の受け持ち区域、待機していたこの消防署の救急隊と消防隊にペアでの出場指令です。トリが見られないのは救急隊だけじゃないのが救い。

出場途上に通報電話番号に連絡を取りましたが応答はありませんでした。


現場到着

指令先のF方は古い木造住宅、呼び鈴を鳴らし玄関ドアを開けると高齢の女性が出てきました。

隊長「ご通報いただいた奥さんですね、患者さんの下へ案内してください、意識はありますか?」
妻「はい…こっちです、急に意識がなくなってしまって」
隊長「呼吸は出来ていますか?」
妻「いや…どうかしら…」


傷病者接触

傷病者は80代の男性でFさん、自宅のソファーに座っており顔貌は蒼白、パっと見て生気がありません。

隊長「テーブルを移動して活動スぺースを取れ!隊員は観察、評価!」
隊員「了解!」

ソファーにもたれかかるように座っているFさんに駆け寄り、隊長と隊員が評価します。機関員はポンプ隊員と共にソファー前のテーブルを移動し活動スペースを確保しました。

隊員「呼吸…なし」
隊長「脈拍なし!CPA、床上に移動!」
機関員「了解!準備できてます」

Fさんを床に設定した担架上に移動し心肺蘇生法を開始しました。

隊長「奥さん、奥さん!状況を教えてください」
奥さん「は、はい、テレビを見ていたんですけど、私が台所から戻ってみたらこんな風になっていて…」
隊長「ご主人の意識がなくなる瞬間は見ていないのですか?」
奥さん「はい、でも、ついさっきまで一緒にテレビを見ていました」
機関員「隊長、モニター準備よし!」
隊員「胸骨圧迫中断します、波形記録…」

救急隊のAEDには不規則な心電図波形が映し出されるのでした。

隊長「波形VF、除細動を行うぞ、全員周囲の状況確認、誰も傷病者に触るな!奥さん、今のご主人の心臓の状態なのですが…」

Fさんの初期心電図波形は心室細動(VF)、心臓にある4つの部屋が不規則に震えるように動いてしまう致死的不整脈を起こしています。効果的な治療法は除細動、電気ショックです。隊長は奥さんに簡単な説明を実施し除細動を実施しました。ビクンと跳ねるようにFさんの身体が動く。

隊長「〇時〇分、1回目除細動!」
機関員「了解!〇時〇分、時間記録しました」

奥さんから状況を確認すると夫婦ふたり、ソファーでテレビを見ていました。奥さんはそろそろ年越しそばを食べようとお湯を沸かしに、鍋に火をつけて部屋に戻るとFさんの意識がもうなかったとのことでした。心肺停止になって数分しか経っていないことは明らかです。隊長はFさんの状況、救命センターに搬送すること、救急救命士が行う特定行為について説明し実施しました。


現場出発

Fさんの心電図にはその後、心室細動が現れることはなく心肺蘇生法を行いながら直近の救命救急センターに救急車は深夜の街を急ぎます。

隊長「そうですか…それでは奥さんが台所に行ったのは本当に5分程度ということになりますね」
奥さん「はい、もうずっとそうなんです、トリを見てから年越しそばを食べて…だからあの時間に鍋に火をかけたんです」
隊長「なるほど…部屋に戻ったら意識がなかった…と?」
奥さん「はい…なんだかんだでどうにか年を越せそうだなって、今年も年越しそばをふたりで食べられるなって…そう言っていたのに…」
隊長「奥さん…今もご主人は頑張っていますから」
奥さん「あと少しだったのに…越せなかった…」


医療機関到着

救命救急センターでは医師たちによる懸命な救命処置が行われましたがFさんの心臓が動き出すことはありませんでした。隊長は医師引き継ぎのため処置室へ、隊員と機関員は次の出場のため救急車の清掃、資器材の準備を整えるのでした。

隊員「今年も年が越せそうだな、それが最後の言葉って…」
機関員「ああ、凄い話だよな、本当にあと少し、人生って分からないものなんだな」
隊員「そうですね…あ!あぁぁ…」
機関員「え?何?何だよ、どうした?」
隊員「いえ…先輩、あけましておめでとうございます、本年もよろしくお願いします」
機関員「え?あ!あぁぁ…、こちらこそよろしく…、改めて、すげえ仕事しているよなぁ…」
隊員「ええ、そうですね…」

トリを見てから年越しそばを食べて新しい年を迎える、救急隊も叶わなかった。この隊は緊急走行する救急車内で心臓マッサージをしている間に年が明けていたのでした。

「心肺停止 死亡」


帰署途上

隊長「トリを見る、年越しそばを食べる、全然叶わなかったな…」
機関員「ええ、Fさんもオレたちも」
隊員「まさか年越しの瞬間に心肺蘇生をしているなんて…」
隊長「よりにもよって大晦日に、最後に年越しは叶わなかったって…奥さんは泣いていたよ」


真っ暗な消防署の食堂

機関員「誰も起きてねえじゃねえか!」
隊長「そりゃそうだろ、こんな深夜だ…、せっかくだから食べよう、年越しちゃったそば」
隊員「汁は温まりましたよ」
機関員「そば…すげえのびてる…」


119番通報する前に1秒だけ考えてほしい、 大切な人がすぐ近くで倒れていないだろうか?今、本当に救急車が必要だろうか?と。
すべては救命のために
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