運転して徘徊、一晩中

仰天の現場

仰天してしまう現場に多々出会う救急隊、仰天とは、恐ろしいと感じる気持ちも含んでいたりして…。もう朝も近づいてきた深夜も深夜、消防署に出場指令が鳴り響きました。


出場指令

「救急出場、○町○丁目コンビニエンスストア、高齢の男性は頭部からの出血、通報は店員男性」

との指令に救急隊は出場しました。

東の空もうっすらと明るくなり始めた時間です。道路はガラガラ、指令先のコンビニエンスストアにすぐに到着できました。この時間は店内もガラガラ、店内には要請した店員と傷病者の男性が立っていました。


傷病者接触

隊長「こんばんは、要請いただいた店員さんですね?」
店員「はい」
隊長「患者さんはこちらの方ですね、こんばんは」
傷病者「…」
隊長「こんばんは、救急隊です、頭をお怪我されているみたいですけがどうされましたか?」
傷病者「ええ、ああ、うん?」

傷病者は高齢の男性、確かに頭部から出血があり、おでこに出血の痕がありました。ただ、もうすでにかさぶたになっており、血液も乾いていました。受傷してからかなりの時間が経っている様子でした。

さらに…。

隊長「どうしちゃったの?ズボンがびしょびしょですけど…?」
傷病者「え?ん?ああ…」

この受け答えの感じ、傷病者は認知症がある方でしょう。ズボンは濡れておりコンビニエンスストアの床には点々と小便の跡が残っていました。

隊長「漏れちゃったのかな?お怪我もしているみたいですし、救急車の中でお怪我したところを良く見せてくださいよ」
傷病者「え、うん、ああ…」
店員「すみません、お願いします、警察に電話しようか迷ったんですけど、怪我をしているみたいだったので119番しました」
機関員「分かりました、通報ありがとうございました。ちょっとお話を聞かせてもらって良いですか?」
店員「分かりました」

隊長と隊員が傷病者を案内し救急車へ、機関員は通報してくれた店員さんから情報を聴取しました。店員さんの話によると傷病者は、トイレを貸してくれとこのコンビニエンスストアを訪れたと思ったら、そのままレジの前でおしっこを漏らしてしまったみたいだとの事でした。

様子がおかしいので110番しようか119番しようか迷ったとのことでしたが、額から出血していたので119番したとのことでした。ひとまず傷病者をメインストレッチャーに乗せて救急車に向かいます。

隊長「ここまではどうやって来たのですか?車で?」
傷病者「ああ、そうだ」

人通りもないこの早朝、コンビニエンスストアの駐車場には救急車、そして明らかに駐車場のラインからはみ出して止まっているボコボコの乗用車しか停車していません。多分この乗用車に乗って傷病者はやってきたのでしょう。認知症があるであろう高齢者…こりゃ長期戦になるぞ…。


車内収容

隊長「そうですか、それでは、お名前はKさんですか?」
Kさん「そうだ」

傷病者は明らかに認知症があるであろう受け答えをします。それでも自分の名前などはしっかりと応えるのでした。名前はKさん、80代の男性でした。

隊長「Kさんはどちらから来られたのですか?ご住所はどちらですか?」
Kさん「○町の○商店で買い物をしようと思ったんだ」
隊長「○町?…それってどこかな?」
Kさん「○商店で買い物をしようと思って出かけたんだ」
隊長「そうですか…」

Kさんは額に怪我をしていましたが、受傷したのはずいぶんと前のようでした。他に特に怪我をしている様子もなく、本人もどこが痛いなど訴えることはありませんでした。

機関員「隊長、警察官を要請します?」
隊長「ああ、身元も分からないし要請して」

名前は分かりましたが住所などそれ以上の情報は分からない。身元不明の高齢男性を扱い中とのことで警察官の協力要請を入れました。救急車内、話はなかなか進みません。かなりの時間がかかりましたが、少しずつKさんの話の内容が見えてきました。

○町にある○商店と言うところに買い物に出かけたところ帰り道が分からなくなり、おしっこがしたくなったのでこのコンビニに立ち寄ったが、我慢できずレジの前で漏らしてしまったとの事でした。

隊長「Kさん、○町ってどこにあるの?何市?どこの県ですか?」
Kさん「○県…」
機関員「○県!?Kさん○県から来たの?」
Kさん「…」
隊長「調べてみてくれよ」
隊員「ちょっと待って下さい、調べてみます…」
機関員「ちょっと待ってくださいよ…、確か広域の地図はあるけど…、○県まで行くことは絶対にないからな…」
隊員「あっ!あった!○県○町、えっと…ここから…ええっ!?100キロ以上はありますよ!」

調べてみると○県○町は確かに存在し、ここから100キロ以上、高速道路を乗りついでも2時間もかかるような場所でした。


警察官到着

そうこうしているうちに警察官が到着しました。一連の流れを警察官に説明し救急車に乗り込みました。

警察官「おはようございます、Kさん、警察の者ですけど」
Kさん「どうも」
警察官「Kさん、どうされました?○県から来られたんですか?」
Kさん「そうだ」
警察官「ご自宅の住所か電話番号教えてもらえませんか?」
Kさん「…思い出せないな」
警察官「何か分かるものお持ちではありませんか?ちょっと持ち物を見せてもらって良いですか?」
Kさん「うん、ああ…」

本人の了解を得て警察官がKさんの持ち物を調べました。するとKさんの自宅であろう○県○町の住所や自宅であろう電話番号が分かりました。

隊長「ねえ、Kさん、これがあなたのご自宅?」
Kさん「…?」
隊長「ちょっとこんな時間だけどさ、かけてみようよ」
隊員「了解です」

救急隊員がKさんの自宅だと思われる電話番号にかけてみることにしました。


電話連絡

プルルルル、プルルル…

女性「…はい」
隊員「朝早くに申し訳ございません、Kさんのお宅ですか?」
女性「はい」
隊員「私、○消防署にある救急隊の者なのですが、そちらにKさんと言うおじいちゃんはお住まいですか?」
女性「見つかったんですか!」
隊員「Kさんのお宅で間違いないですね?」
女性「はい、私の父です。昨日から行方不明になって警察に捜索願いを出してあるんです」
隊員「そうですか、良かった…」

Kさんの娘さんによると昨日の昼頃から父が行方知れずになってしまったとの事でした。父は認知症があるものの、身体はとても元気で過去にも何度か徘徊して捜し歩いたことがあるのだそうです。自動車に乗るのが大好きな方で、今でも自動車を運転したがるので、危ないからと乗れないようにとキーを隠していたそうです。昨日はどうやったのか、キーを持ち出し自宅の乗用車と共にいなくなってしまったとのことでした。

隊員「そうですか、分かりました」
娘さん「あの…○消防署ってどこにあるんですか?」
隊員「○にあるんですよ」
娘さん「ええぇ!」

娘さんも驚きです。100キロ以上離れた所まで認知症のおじいちゃんは乗用車を運転してやってきたのだと思われます。乗用車はボコボコ、きっとあちこちにぶつかってきたのでしょう。

隊長「○県警に捜索願いが出ている方ですって、額の怪我も多分、昨日今日の怪我ではないみたいなので、ここまま警察の方で保護ってことでよろしいですか?」
警察官「ええ、了解しました」

娘さんと繋がった電話を警察官に渡し、Kさんはこのまま警察官に引継ぎ保護してもらい、家族が迎えに来ることとなりました。救急車を降りてパトカーに乗せられたKさん。

隊長「お疲れ様でした、それではお願いします」
警察官「どうも、お疲れ様でした」

「不搬送 怪我人の事実なし」


帰署途上

辺りはすっかり明るくなり朝になっていました。

機関員「恐ろしい話だよな、あんな人が運転しているんだぜ、徘徊して一晩中…」
隊長「そうだよな、昨日の昼から行方不明だって言うんだからどれだけ運転してきたのか分からないよな」
隊員「あの車、ひとつやふたつのヘコみじゃなかったからですね、あれ相当ぶつけていますね…」
隊長「認知症はあっても身体は元気なお年寄りっているからな」
隊員「娘さんの話だと、Kさんは運転する仕事をずっとやっていたみたいです、いつも運転したがっていたって言っていました」
機関員「危ないよなぁ…」
隊長「ハンドルを握る機関員としてはたまらないね」
機関員「本当ですよ…、そんな車とぶつかっても機関員の立場は厳しいですからね…」
隊長「そんな人が運転していることもあるって、そんな前提で頼むよ」
機関員「ええ…まあ…そうですね…」
隊長「何だよ?何か歯切れが悪いな?」
機関員「いや、その…、それが前提だと…、緊急走行でも赤信号に入れません…」


119番通報する前に1秒だけ考えてほしい、 大切な人がすぐ近くで倒れていないだろうか?今、本当に救急車が必要だろうか?と。

すべては救命のために

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