その辺りにいるはずなんだけど

溜息の現場

どの町に勤務しても、いつも救急隊を困らせる酔っ払い。歓楽街を管内に持つ救急隊はその頻度が高いです。傷病者が酔っ払いと言うだけでも十分困りものなのに、仲間が元気な酔っ払いだとさらに困った事案になることが多く、時に暴言や罵声を浴びることもあります。今回も仲間が要請をしたのですが…。


出場指令

「救急隊出場、○町〇丁目…路上、20代の男性は倒れているもの、通報はFさん男性」

指令先は管内の歓楽街、朝まで営業している飲食店が多い眠らない街です。出場途上で通報電話番号であった携帯電話に電話をするも通報者の応答はなく情報は取れませんでした。
(119コールバック応答なし)

隊長「この時間じゃ、この街は酔っ払いばっかりだなぁ…」
隊員「20代の男性が倒れているって…やっぱり酔っ払いですかね…」
隊長「ああ、でも油断するなよ」
隊員「はい、了解です」

若い人が歓楽街で倒れていればお酒が入っていて酔っている可能性が非常に高い。でも、酔っ払いと決め付けてはいけない、現場は行ってみないと本当に分かりません。通報者が冷静沈着に現場のありのままを的確に通報してくれるなんてことの方がマレだからです。

ひょっとしたらナイフで刺されて倒れているのかもしれない。ひょっとして心臓の持病を持っていて心肺停止状態で倒れているのかもしれない。「あらゆる可能性に備え活動するのがプロの仕事だ」とは思ってはいるけど…多分、酔っ払いなんだろうなぁ~…。


現場到着

指令番地の前に停車するもそれらしき人はいない。

機関員「○丁目○番○号…の前だなぁ…、それらしき人はいないよな?」
隊長「そうだな…とりあえず停車しよう」

停車して機関員はもう一度、地図と番地を確認、隊長と隊員は救急車から降りて現場周辺を確認しました。いない、やっぱりそれらしき人はいない。

隊長「もう一度救急車でこの番地を一回りしてみよう、通報者はどうだ?」
隊員「何度かけても応答なしです、コールの呼び出しはされるんですけど」
隊長「そうか…本部に状況報告、追加の情報はないか確認して」
隊員「了解です」

救急車は再び動き出し現場周辺を一回り。傷病者や通報者が歩き出して離れたところにいる可能性もあります。サイレンを止めて、赤色回転灯を回した救急車が指令番地周辺を一回り…駆け寄ってくる人も手を振る人もやっぱりいない。本部に状況を入れるも、119番通報が再度あった事実や指令番地が間違っていることもありませんでした。

本部「状況は分かりました、通報者はどうですか?」
隊員「何度も呼び出すのですが応答はありません」
本部「了解です、救急隊はもう少し現場を検索して、傷病者がいないようでしたら引き揚げてください」
隊員「了解しました」

誤報か?いたずらか?もし、怪我や病気ではないただの酔っ払いだったら、目を覚まして帰ったのかもしれない。仲間や周辺の人が救急車を呼んだけど、本人が大丈夫と立ち去ってしまう、こんなことは良くあることです。救急車を停車して救急隊3人でもう一度周辺を探してみることにしました。懐中電灯を片手に歓楽街をウロウロする救急隊、隊員は携帯電話を片手に通報先電話番号への呼び出しを続けていました。

通報者「はい、Fです」

何度かけても応答のなかった通報者が応答したのでした。

隊員「夜分に申し訳ありません、救急隊の者なのですが、Fさんですね?119番通報されてますよね?」
通報者「ええ、しました」
隊員「今、通報先に来ているのですが患者さんがどこにいるのか分からないのです、今どちらにいますか?」
通報者「おかしいなぁ、その辺にいるはずなんだけど、え~っと、ほらそこに〇って飲み屋あるでしょ?その目の前にいるはずです」
隊員「〇という飲み屋…あ!あります!居酒屋ですね、そちらの前にいるんですか?」
通報者「はい、そこにいるはずなんですよ」

いるはず?…いるはずってどういうこと?

隊員「…ちょっと見当たらないんですよ、救急隊もすぐ目の前に停車しています、分からないはずはないのですが、あなたが案内に出ていただけませんか?」
通報者「それは無理です、オレは今、J駅にいますから」
隊員「え!あなたは患者さんとご一緒ではないのですか?」
通報者「ええ」
隊員「ちょっとお待ちください、隊長、あの店の前にいるって」

隊長、機関員、そして携帯片手に救急隊員がそれに続く。

隊員「ちょっとお話がよく分からないのですが、どのようにして救急車を要請することになったか教えていただけますか?」
通報者「ええ、○町でさっきまで飲んでたんですけど、友達が飲みつぶれちゃって、その〇って店の前の植え込みで寝ちゃって、ほっとこうと思ったんですけど、この寒さだしやっぱり救急車呼んでおいた方が良いかなぁって思って…」
隊長「いた!いたいた!」

あ!ホントだ!いた!…これは見つからない。傷病者の男性はこの寒さの中、小さくうずくまり歩道の植え込みの中にスッポリと納まって寝ていました。

隊員「いました、分かりました」
通報者「そうですか、良かった!それじゃ、お願いします」
隊員「ちょ、ちょっと待ってください!見たところお友達は大分お飲みになっているみたいですね。お名前などご本人から聞くのは難しそうですからこのまま教えてもらえますか」
通報者「そうですか、分かりました」

…電話越し、通報者の彼からいろいろ事情を聞きました。隊長と機関員がメインストレッチャーに収容しました。


車内収容

隊長「はぁぁ…で、なんだって言うの?」
隊員「ええ…通報者のFさんはさっきまで一緒に飲んでいた友人だそうで…」

隊長はあまりのバカバカしさに怒っています。隊員に怒ったって仕方がないじゃないか…。話を要約すると…。

彼らは大学の友人たち数名で夕方からこの深夜まで散々飲み明かしました。もう終電が迫る時間に店を出ると、傷病者は植え込みの中に倒れこみそのまま寝てしまった。どうにか起こして帰るように声をかけたが起きる気配がない。「このままにしておいたらやっぱりヤバイかなぁ」と思ったから救急車を呼ぶことにした。119番通報後、終電ギリギリだからと帰路を急いだ。幾度と電話が鳴っていたのは分かっていたが、電車に乗っていたので出られなかった。自宅の最寄り駅に着いたら再び電話が鳴ったので応答したのだそうです。

隊員「…と言うことだそうですよ」
隊長「やれやれ…」

「それじゃあお願いします」じゃないだろ?学生とはいえ君は大人だろ?一緒に飲んでつぶれた仲間を街に捨てて、救急車におまかせって、そんなの社会じゃ通用しないんだよ!って言いたくても、ここにいるのは酩酊状態の傷病者だけ…。これが通用する世の中なのだから何かが違う気がしてしまう…。

隊長「はぁぁ…、診てくれるところ探そうか」

傷病者は20代の男性でGさん、大学生、相当のアルコール臭がありましたが外傷などはなし。酩酊状態ですが、意識状態以外のバイタルサインにはまったく問題ありませんでした。温かい救急車内で毛布で包み保温すると、傷病者は徐々に覚醒し、寒いと訴え始めました。緊急度も重症度も低そうです。

歓楽街で人の往来も激しい街ですが、深夜の極寒の中、植え込みの中に隠れるように倒れていたら、凍死するまで誰も見つけてくれなくれもおかしくありません。私たちが見つけられずに引き揚げていたなら、あるいは最悪の事態になっていたかもしれません。

看護師「そんなに酔っ払っているのならどなたか付き添いの方がいないとうちでは診れませんね、ごめんなさいね」

…やっぱり病院はなかなか決まらない。どうにか決まった病院に搬送して、この活動は終了しました。2時間ほどかかってしまいました。


病院到着

「酩酊 軽症」


帰署途上

機関員「酷い事案だったなぁ…」
隊長「酒を飲める大人だってのに、やっていることは子ども以下だな」
機関員「現場立ち去りはよくあるけど、通報と同時に立ち去りだもんな」
隊長「バカにしているよな?世の中を…」
隊員「でも見つかったから良いですけど、あのまま見つけられずに救急隊が帰っていたらどうなったでしょうね?」
機関員「そんなの決まっているじゃない?オレたちのせいってことになるんだよ」
隊長「そうそう…」
隊員「そんなの酷くありませんか?一緒に飲んだ人にも責任はあると思うんですけど」
隊長「通報した彼からしてみれば、救急要請は何かあった時のための保険みたいなものだろ?通報したのに見つけれれなかったなら救急隊が悪いって理論だ」
機関員「うちらの上司も現場をよく探さなかったお前たちが悪いって…そうなりそうだなぁ…」
隊員「多分…そうなりそうです…」

つい先ほどまで大騒ぎができていたであろう元気な人たち。大人だから飲むことができるお酒、節度ある量、節度ある時間で楽しみ、自分の足で無事に自宅に帰る。そんな当たり前だと思うことができない人が繁華街には多く、救急車を利用しています。

自分のお金で飲んだ酒、税金で走っている救急車、使って何が悪いって言うんだ?そんな理論の人もいます。しかし、忘れないでほしいのはそんな使い方をしている間に、誰かの大切な人が一大事になっているかもしれないということ。お酒を飲む時は1秒だけじゃなく、5秒だけでもそんなことを考えてほしいものです…。


119番通報する前に1秒だけ考えてほしい、 大切な人がすぐ近くで倒れていないだろうか?今、本当に救急車が必要だろうか?と。

すべては救命のために

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