悪いのは誰かじゃなくて

溜息の現場

新型コロナウイルスが猛威を振るう中、全国の罹患者もうなぎ上りの状況で医療機関がひっ迫しています。救急隊の出場率も高まり続け、これまでに増して救急隊は出ずっぱりの状況が続いています。これは、救急車の不適切な利用に合わせて、コロナ禍が故の理由もあって…。


出場指令

「救急出場、〇町〇丁目…、M方、女性は発熱、通報は夫」

機関員「〇町…また遠いなぁ…、20分以上はかかるぞ」
隊員「了解、コールバックで伝えておきます」
隊長「また発熱か…搬送先、決まらないかなぁ…。」

猛暑の中、救急車は10キロ以上先の現場に急行します。隊員は119番の通報先に連絡しました。

(119コールバック)

隊員「Mさんのお電話ですね?そちらに向かっている救急隊です」
夫「よろしくお願いします、妻なのですが今、準備しています」
隊員「奥さんはご自身で身支度ができる方ですね?意識や呼吸に問題はありませんね?」
夫「はい、それは問題ありません」

電話に応答したのは通報者である夫、30代の妻が発熱しているため要請したとのことでした。

隊員「…なるほど、それでは特に持病はないのですね、他に症状は?」
夫「喉が痛いみたいなんですが、それ以上は分からないです」
隊員「分からない?一緒に暮らしているのですよね?」
夫「妻の職場にコロナ罹患者が出ていまして、多分、妻もうつったと思うなんて言うので、昨日からは別の部屋で接触を避けていました、私と娘がいるので入院できるところに連れて行ってやってください」
隊員「はあ…入院できるところですか…詳しいことはそちらで患者さんの様子を見せていただいてから判断させてください、まだ大分かかりますが間違いなく向かっていますのでご安心ください」
夫「分かりました、待っています」

聴取した内容を隊長と機関員に報告します。

機関員「出た出た…入院できるところへ…」
隊長「そんなところ…オレたちが教えてほしいよな?…さて、これも簡単にはいかないぞ」
隊員「でしょうね、きっと…、緊急性も重症度も低そうです、自分で身支度中とのことでした」
隊長「了解、やれやれ…」


現場到着

機関員「彼女だろ?入院セット…準備万全だ…」
隊長「だな…」

指令先の家の前には女性がバックを抱えて待っていました。傷病者は30代でMさん、身支度をすっかり整えて、この炎天下に家の前で待っていられる方です。しっかりした足取りで自ら救急車に乗り込みました。

Mさん「すみません、さっき夫からも聞いたかと思うんですけど、同僚にコロナ陽性者が出ていまして、多分私もうつったと思うんです」
隊長「そうですか、お話を聞かせていただいて、酸素飽和度や血圧などを測定させてください」

隊長はMさんから状況を聴取、隊員はバイタルサインを測定しました。Mさんは体温が39℃代の発熱以外のバイタルサインに特に異常値はありませんでした。

隊長「それでは昨日の夕方から発熱を…今は倦怠感と喉の痛み、それ以外に症状はありませんか?」
Mさん「はい、そのくらいです、昨夜からは夫と娘とは違う部屋にいたんですけど、うつしてしまったらいけないので、入院できるところでお願いします」
隊長「入院加療が必要かどうかは医師が診察してから判断します、ご存じのとおり、コロナウイルスが蔓延していまして、医療機関はどこもひっ迫しています、Mさんの今のこのバイタルサインだと入院になる可能性は相当に低いと思いますよ」
Mさん「そうですか…でも家にいたら夫や娘にうつしちゃいますよね?どうしたらいいんですか?」
隊長「ごめんなさい、我々は緊急事態の方を医療機関に急いでお連れすることが仕事ですので、その質問については分かりません、ただ、入院加療の必要がない方にはホテル療養などもあるみたいですよ」
Mさん「ああ、なるほど、それでも構いません、夫と娘と離れなくてはいけないのでホテル療養でも良いのでお願いします」
隊長「いえ、ですから、それも含めて医師の診察の後の話です、そもそもMさんはコロナ陽性なのかどうかも何も分かりませんから」
Mさん「そうですね、陰性だったら解決ですもんね、まずは検査ですよね」
隊長「ええ、まあ…そうですね…」

入院セットを準備し身支度万全、救急車でまず検査、こんな要請の多いこと多いこと…。それがどんなに不適切と思われる要請であっても駆け付け搬送する…。医療機関がひっ迫してしまう要因のひとつを救急隊が作ってしまっている…。


救急車内、医療機関選定

隊長は救急車の後部座席で傷病者の継続観察、運転席、助手席で隊員と機関員が手分けして受け入れ先を探しました。選定は当然のように難航しました。

看護師「はぁ…それって検査目的ってことですか?緊急性はどこにあるの?」
機関員「緊急性は…正直ないと思います」
看護師「ですよね…、救急隊も大変ね、こんなのばっかりでしょ?」
機関員「ええ、申し訳ないです、どうでしょうか?」
看護師「…ごめんなさい、確認したけどやっぱり無理です、発熱患者はもうとても無理…」

隊員「ええ、ご自身で救急車に乗り込むことはできました…」
看護師「なら何で救急車なんですか?」
隊員「看護師さん…私たちが聞きたいくらいです…」
看護師「ですよね…大変ね、ごめんなさい、発熱患者の対応はできません」

救急車の後部座席では隊長がMさんに状況を説明します。

隊長「ごめんなさいね、どこの医療機関もひっ迫していまして、受け入れ先は簡単には決まらないのです」
Mさん「ええ、仕方がないですよね、報道とかでもやっていますもんね、大変なんですね」
隊長「ええ、これだけコロナが蔓延していますから、医療機関も本当に一生懸命やっているんですよ」
Mさん「大丈夫です、救急隊の方も病院の方もみんな一生懸命なのは分かっていますから、悪いのはコロナですよね」
隊長「ええ、そうですね…」

10件近くの病院に当たり受け入れ可能な病院が見つかりました。ただし、ベッドは満床のため入院はできない。コロナウイルスの検査はすぐにやるが結果が出るまで院内に入れる訳にはいかない。検査は救急車内で行い結果が出るまで待機してほしい。陽性の場合、院内に入るまでどれだけ時間がかかるかは約束ができない。

隊長「…とのことですが、〇病院が診察してくれるそうです」
Mさん「仕方がないですよね、でもすぐ検査はしてくれるんですよね?」
隊長「ええ、先ほどから説明させていただいている通りです、入院になるかは診察を受けないことには判断がつきません」
Mさん「分かりました、お願いします」

難航した選定にMさんは意外と素直に〇病院への搬送を了承したのでした。ごねられても困ってしまう…。


医療機関到着

病院に到着するとすぐに防護服を着た看護師が救急車内に乗り込み検査が行われました。

看護師「コロナの検査です、30~40分程度で結果が出ますから救急車で待機してください、結果が出たら声をかけに来ます」
隊長「了解です」

陰性なら引継ぎができる。しかし陽性の場合は院内に入るまでさらに時間がかかる。医療機関に到着したら救急隊の仕事はひと段落とはいかないのが今の現状であったりします。事前にしっかり説明し、同意の上で搬送しています。すぐに検査を受けられたこともあってか、Mさんは不満を訴えることもなく救急車で結果を待っていました。ゴネたのは…。

本部「救急隊、状況どうでしょうか?再出場いかがですか?」
機関員「いや…ですから、報告のとおりです、まだ傷病者は車内にいます、検査の結果が出るまでは院内には入れないとのことでした」
本部「どうにかなりませんか?救急出場がひっ迫しています、病院に何とかお願いしてください」
機関員「無理してどうにか受け入れてもらっている状況です、相当に難しいです、うちの隊だけじゃないですよ、他の隊も似たような状況で連なっています」
本部「了解…」

救急出場がひっ迫している。早く出場態勢を確保せよ。できる訳ないだろ…。40分ほどして検査結果が出ました。

看護師「陽性でした、診察室にお通しできる時間は約束できません」
Mさん「そうですか…やっぱり」
看護師「感染症対応の部屋が準備できません、こちらは△救急隊の後になります」
隊長「了解です」

新型コロナウイルス陽性患者に対応できる部屋は順番待ちの状態、同じ状況の救急隊が同じように緊急車両待機スペースに停車していました。さらに待ち時間が続く。状況は説明してあるのに…。

本部「再出場、どうにかなりませんか?」
機関員「どうにもなりませんよ!傷病者がまだ乗っています、コロナ陽性でした!消毒も当然これからです!」

本部からも運用する救急隊がない、どうにか出場できないか、悲痛な叫びとも思える無線呼び出しがあるのでした。どうにもならない…。結局、Mさんを感染症対応の処置室に連れていけたのは、さらに1時間ほど経ってからでした。

「COVID19 軽症」


引き揚げ準備

医療機関に到着してから2時間近くもの間、傷病者を院内に連れていくことはできませんでした。引継ぎ後も車内の換気、消毒の徹底を行う必要があります。そんな中、消毒作業を早々に終わらせてくれ、一刻も早く出場準備を整えてくれ、本部からの指示があるのでした。

機関員「状況は伝えてあるって言うのによぉ…」
隊長「それだけ切羽詰まっているってことだよ、ほら見ろよあの隊、□救急隊だってよ」
機関員「□救急隊!そりゃすげえや…」
隊長「昨日の隊だって…交替できないままこの時間だ、70件くらい選定してここにたどり着いたって…」
機関員「可哀想に…でもこの状況だと、あの隊までまた使うなんてことまでありそうだな…30時間勤務、殺されてしまう…」
隊長「Mさんはすぐに検査してもらえたから良かったってさ…、大変な状況なのが良く分かったって、救急隊も病院も、誰も悪くないから頑張ってくれってさ…」
機関員「誰も悪くないって?こんな状況で疲弊しきっている病院、保健所、救急隊、おかげ様で本当に入院が必要なコロナ患者は100件近くも病院が決まらない!Mさんみたいな不適切利用が後を絶たないからだよ!」
隊長「まあ、そう言いたくもなるわな?」
隊員「検査が受けたいから救急車、隔離したいから救急車、発想が理解できない…微塵も不適切な利用とは思わないのかな…」
機関員「思う訳ないでしょ?この利用がオッケーならこの国は1日10万件の救急要請も正当ってことになっちまう、でもやったもん勝ちだ、実際、検査はすぐに受けられたんだから」
隊長「確かに…そうだよなぁ…、もう現場の気合いとか根性とか、そんなものでどうにかできないところまで来ているよな?仕組みごと変えないと…」
機関員「仕組みを変える…重い腰を上げることになりますかね~、上にはこんな現実をそもそも分かっていない人も多そうだけど」
隊長「結局のところ、今のMさんも上の人たちも、知らないんだよな…、知らないんだから問題点なんて分かるはずもない…」
機関員「まあ…救急車の使い方なんて教えてもらったことないもんな…」
隊長「悪いのは誰かじゃなくて、知らないってことと思いたいものだね」


救急隊がひっ迫する要因は、これまでもずっと課題であった不適切な利用が多いこと。コロナ禍にはさらに、感染対応の診察室が空かないなど医療機関の事情、さらに救急車の消毒や換気、医療廃棄物の廃棄など、手間と時間のかかる作業があることがあります。連日の激務に壊れていく救急隊、心配している家族もいます。本当に救急車が必要な緊急性のある人を迅速に搬送することはできません。

連日の報道は決断する誰かを叩いている。SNSは誰が悪いと罵詈雑言で溢れている。悪いのは誰かじゃなくて、今のこの仕組み。悪いのは誰かじゃなくて、知らないこと。報道機関が連続伝えるパンデミックの脅威、医療崩壊の危機、そんな内容のひとつに救急隊の現実もぜひ加えてもらいたいものです。

119番通報する前に1秒だけ考えてほしい、 大切な人がすぐ近くで倒れていないだろうか?今、本当に救急車が必要だろうか?と。
すべては救命のために
この記事に対するご意見・ご感想をお待ちしています。twitterなどSNSでのコメントを頂けると嬉しいです。
@paramedic119 フォローお願いします。