溜息の現場
街はクリスマスムード一色、街のあちらこちらでイルミネーションが街を様々な色に染めて綺麗です。家族連れや恋人たちがとても楽しそう。歓楽街に行けばみんなほろ酔いでやっぱり楽しそう。
師走、特に夜間は大都市部の救急車が足りません。みんな出ずっぱりで出場しているからです。こんな時に命に関わる事故や病気になったら絶望的です。救急車が迅速に現場に駆けつけることの方が稀だからです。それが大都市部の救急車を取り巻く現実です。
この日も食事も休憩もまったくないまま出ずっぱりでした。周辺の救急隊もみんな出場中なので帰署途上に無線で呼び出され、また遠くの町まで出場していく。現場到着まで10分以上は軽くかかる現場ばかりでした。夜も更けてきた時間帯にやっとたどり着いた消防署だったのですが、車庫入れの最中に再び出場出場がかかりました。朝から一度もエンジンが切れない。
出場指令
「救急出場、○町2丁目…△マンション前路上、飲酒した男性は倒れているもの、通報者はKさん男性」
との指令には出場しました。街はクリスマス、救急隊はイソイデマス。
119コールバック
救急車の後部座席から隊員が通報電話番号に電話をかけました。
隊員「もしもし、通報していただいたKさんですか?救急隊の者です」
Kさん「すみません、お願いします」
隊員「急いで向かっています、倒れている方の状態を教えてください、出血はありませんか?」
Kさん「倒れているというか…酔っ払いです、寝ているだけですよ」
隊員「え?寝ているだけ?」
Kさん「ええ、こいつ…飲み過ぎて、この寒い中、道で寝ちゃったんですよ、オレ一人で困ったので救急車を呼びました」
隊員「そうですか、もう少しでそちらに着きますからお待ちください…」
Kさん「はい、大丈夫ですからサイレンを止めて来て下さい」
隊員「緊急車両なのでそれはできません、ご理解ください、患者さんの様子を見守っていてください」
聴取できた状況を隊長と機関員に報告しました。はぁぁ…救急隊3人の深い溜息が漏れた。明るい街の空気とは裏腹にどんよりと暗い空気が立ち込める救急車内…。
現場到着
指令先の△マンションの前で男性が横たわっていました。通報者のKさんがこちらに向かって手を振っています。
Kさん「こいつです、お願いします」
隊長「分かりました、どうされたのですか?」
隊員は傷病者の下へと駆けつけ声をかけました。傷病者は30代のHさん、道に倒れ込んでいました。
隊員「こんばんは、どうされましたか?」
Hさん「zzz…」
隊員「こんばんは、目を開けてください」
Hさん「うるせえな、寝たい」
脈を取ろうとする隊員の手を払い、Hさんは再び道に横たわりました。凄いアルコール臭…明らかなる酔っぱらいです。
隊長「Kさんはこの方のご友人ですか?」
Kさん「ええ、同僚です、さっきまで一緒に飲んでいて、ここが家だっていうのにここで…」
HさんとKさんはつい先ほどまで職場の仲間たちとの忘年会で大いに盛り上がった後の帰宅途上とのことでした。
Kさん「病気じゃないから大丈夫です、病院とか行かなくて良いので家まで運んでください」
隊長「あのね…Kさん…救急車は緊急の方を病院に連れて行くためにあるのですよ」
Kさん「でも、ただ飲み過ぎただけですよ、怪我でも病気でもないのに病院に連れて行っても仕方がないでしょ?」
隊長「…」
酷すぎる…。
隊長「ふぅ…Hさんの家はどこなのですか?」
Kさん「このマンションです、あと部屋に上がれば良いだけなのにここで寝ちゃったんですよ」
隊長「Hさんの家にはどなたか家族がいるのですか?」
Kさん「両親がいるはずです」
隊長「ふぅ…ちょっと声をかけてきてくれよ」
機関員「ええ…了解です…」
機関員がHさんの部屋へと向かいました。両親にも事情を説明し、迎えに来てもらうためです。Hさんはと言うと…
隊員「Hさん、病院には行かなくて大丈夫ですか?怪我はされていませんか?ねえ?家に帰りますか?ねえ、Hさん!」
Hさん「あぁ~!うるせえ!オレは眠たいんだ!」
そう言ってまた道に寝込む、バイタルサインを取ろうにも嫌がって払いのけられる。埒が明かないのです…。
隊長「連れて帰ろう…」
Kさん「こいつ重いですから担架を使わないとダメですよ」
救急隊「…」
こんなことは救急隊がやるべきことではありません。こうしている間にも本当に救急車を必要としている人がいたのなら、助からなくなってしまう。
こんな現場では一喝して救急隊は引き揚げるべきだと思う方もいるかと思います。しかし、ここで連れて帰れ、それはできない、そんな押し問答で時間を要するより、家に運んでサヨナラした方がずっと時間もかからないのです。
しかし、Kさんの要求のとおり担架を使って部屋まで運べば、そんな前例も出来上がってしまいます。「救急車のこんな使い方もあり」とされてしまう訳にもいきません。機関員がHさんの両親を連れて戻ってきました。
父親「すみません、すみなせん、このバカが!本当に申し訳ありません、おい!起きろ、お前何やってんだ!」
Hさん「へ?あれ?何でいるの?」
隊長「お父さんに迎えに来てもらったのですよ、お怪我はありませんか?痛いところは?」
Hさん「いや別に…眠いだけ…」
母親「本当に申し訳ありませんでした、連れて帰りますから、本当にすみませんでした」
父親「ほら、これ以上迷惑をかけるんじゃない、帰るぞ!」
隊員「ほら、Hさん、手を貸しますよ」
父親と隊員が手を貸してよろよろと立ち上がったHさん、まさに千鳥足で今にも倒れそうです。
隊員「ほら、Hさん、もっと力を入れて」
父親「しっかりしろ、ほら、しっかり立て!」
結局…。
△マンションへ
隊員「はぁはぁはぁ…Hさん、はぁはぁ…ほらしっかり…」
母親「本当に申し訳ないです、すみません、すみません…」
機関員「いいえ…いいですよ、はぁはぁはぁ…」
ご高齢の両親だけで部屋まで連れて帰るのは難しいだろうと、隊員と機関員が両脇から肩を貸して部屋まで送ることになりました。ほら、もっと足腰に力を入れて、ほら、自分でしっかり立って、Hさんの重いのなんのって…。
Hさんは自宅の玄関部に倒れ込み再び寝込みました。はぁぁ…やれやれ…。こんなの救急隊の仕事じゃない。
隊長「Kさん、先ほども説明させて頂きましたが救急車は緊急の方を病院に運ぶためにあります。緊急事態でないのであれば119番はご遠慮ください」
Kさん「ええ、ああ、そうっすね、すみませんでした」
隊長「それでは救急隊はこれで帰ります」
Kさん「助かりました、ありがとうございました」
母親「本当に申し訳ありませんでした」
隊長「…いいえ」
「不搬送 搬送辞退」
帰署途上
隊長「この時季に30男どもでクリスマスパーティーか…」
機関員「情けねえなぁ〜」
隊員「ええ、でも、オレたちが一番情けないですね…」
隊長「ああ…言えてる…」
機関員「そうだな…」
ピ~ピ~ピ~!無線機が鳴る。はぁぁ…。今度はどこに?また酔っ払い?
無線機「救急隊、▢町で入電です、出場が入ります、受信体制を取ってください」
なかなかの不適切な内容ですが、まったく珍しい話ではありません。119番通報する人の中にはこうした間違った使い方をする人がたくさんいるのです。こんな使い方して良い訳がないのですが不適切な救急要請をしてもペナルティがある訳ではありません。
救急車は住民たちの共有財産、不適切な救急要請には毅然とした態度でNOと宣言する。この記事をご覧の皆さんは、救急隊にそんな姿勢を望む人たちが多いことでしょう。
しかし、苦情を受けると右往左往…叱責されるのが組織人…。どんなに不適切な現場で、どんなに理不尽な言動であっても、トラブルを避けて小さくなって活動する。
街のイルミネーションが救急隊の影を色濃く浮かび上がらせる師走の夜の話。
119番通報する前に1秒だけ考えてほしい、 大切な人がすぐ近くで倒れていないだろうか?今、本当に救急車が必要だろうか?と。
すべては救命のために
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