羨ましい大型テレビ

仰天の現場


救急隊は様々な人々の生活に飛び込む仕事をしています。プライバシーに関わること、秘め事にだって触れてしまうことがあります。時に犯罪の現場にだって向かうことがある訳です。今回のお話は私が救急隊員になりたての頃、犯罪とまではいかないのかもしれないのだけれども…。果たしてこれで良いのか…?みなさんはどうお考えになるでしょうか?

出場指令

「救急出場、◯町◯丁目◯番◯団地◯号棟◯号室、子どもは発熱、動けない、通報は母親」

との指令に救急隊は出場しました。

現場到着

現場はかなり年季の入った公営住宅でした。玄関先に30代であろう母親が出てきて、救急隊を傷病者のいる部屋まで案内しました。玄関に入ると部屋の中は整頓されていて、しっかりした生活をしている印象でした。

隊長「ご通報頂いたお母さんですね?お待たせしました救急隊です」
母親「奥の部屋です、お願いします」

傷病者接触

傷病者は小学校低学年の女の子でSちゃん、39度を超える発熱でぐったりしており、リビングに引かれた布団に横になっていました。このリビングも掃除が行き届いており、部屋には少し大き過ぎると感じてしまう大型テレビが置いてありました。

隊長「熱があるのかな?今は何が辛いですか?」
Sちゃん「はい、咳が…ゴホ…ゴホ…」

熱と咳で辛そうではありましたが、意識ははっきりしている状態でした。

母親「昨日も病院に行ってきたのですけど、今日になっても熱が下がらないし、もう動けないなんて言うので119番しました」
隊長「分かりました。お母さんは保険証を持って、戸締りをして、救急車に行きましょう」
母親「はい…でもうちは生活保護ですから保険証はありません…」
隊長「そうですか、それならばけっこうです。病院で診てもらえるよう準備して出かけましょう。Sちゃんは私が抱っこしてお連れしますから、先に救急車に行っています」

このお宅は傷病者と母親のふたり暮らしで生活保護を受けて暮らしていました。119番に至る概要は抑えられたので母親には戸締まり、火の元など出かける支度を依頼しました。先に傷病者を連れて行き、詳細なバイタルサインは救急車内で測定することにしました。それにしてもこれだけしっかりした生活をしていて、あんなに大きなテレビまで置いてあって生活保護を受けているものなのか…。

車内収容

詳細なバイタルサインを測定し病院に連絡、搬送先はすぐに決まりました。いつでも出発できる準備が整いました。あとは母親、なかなか救急車にやってこないのでした。

隊長「お母さんは何をやっているのかな?」
隊員「本当ですね、もう病院は決まったって言うのに…」

病院が決まってから3分ほどして母親が団地の入り口から出てきました。携帯電話を片手に何やら話しています。

隊員「お母さん、病院決まりましたよ、さあ救急車に乗って下さい」
母親「はい、すみません、…だから私だけじゃ何かあった時に困るじゃない!あなたも来てよ、今、救急車が家の前に停まってるから、早く!」

まだ誰かと話しています。救急車のリアドアを開けました。

隊員「どうぞ、足元に注意して乗って下さい」
母親「とにかく来てよ!Sのこと、あなたも心配でしょ」

救急車に乗り込んだ母親、まだ誰かと話している。さあ出発…と思ったのに…。

母親「あの…もうちょっと待ってもらえますか?」
隊長「待つ?」
母親「この子の父親が今こっちに向かっているんです、もう来ると思いますからちょっとだけ待ってください」
隊長「救急車は緊急車両ですよ、もう病院も決まりました」
母親「もうすぐなので、あっちの棟に住んでるんです、すぐに来ますから」

出発したい救急隊に母親が「待ってくれ、待ってくれ、もうちょっとだけだから」と連呼するのでした。結局さらに5分くらい待つ事になりました。こちらに向かって走ってきたのはやはり30代後半くらいの男性、同じ公営住宅の別棟に暮らしているSちゃんの父親でした。結局、Sちゃんの両親に同乗してもらい現場出発できたのでした。

現場出発

隊長「同乗していただいたお父さんとお母さんのお名前を教えてください」
父親「え…はい、私はこの子の父親でMといいます」
隊長「はい、分かりました」

Sちゃんとお母さんとは違う姓です。

母親「あの…私たちは離婚していますので夫婦ではありませんから…」
隊長「はい、分かりました…」

救急車内でも病院に着いてからも何かコソコソしている元・夫婦だったのでした。

医療機関到着

「感冒 軽症」

帰署途上

隊員「何かコソコソしている元夫婦でしたね、離婚した夫婦で同じ公営住宅…しかもすぐそばの棟に暮らすって不自然だな?」
機関員「あれ?お前、分かってないの?」
隊長「まだ救急隊員になったばかりだものな、分からないよな?あの二人、多分だけど偽装離婚なんだよ」
隊員「え”…偽装離婚?」
隊長「つまり実際は夫婦の関係は継続しているってことだよ、籍だけ抜いて離婚しているってこと」
隊員「何でそんなことするのですか?」
機関員「詳しいことは知らないけど、生活保護は世帯に支給される、だからあの旦那に稼ぎがある場合は、母親が受けている生活保護は受けられなくなってしまう」
隊長「あの旦那も生活保護を受けているんだってさ」
機関員「なるほど…であれば、夫と奥さんで離婚して二つの世帯、生活保護をダブルで取るんだよ、結婚していたら1つの世帯になっちゃうから、母子加算もあるしダブルの方がメリットがあるみたいだぜ」
隊員「そんなこと許されるんですか!?」
機関員「許されないからコソコソしていたんじゃないか」
隊員「だって、大型テレビとかありましたよ!」
機関員「ああ、あのでかいヤツ、あれ高いよな~!生活保護ダブル取りなら買えるのだろうさ、お前なんかより余裕があるかもな?」
隊員「オレも欲しいな…今度の給料で…」
機関員「お前の給料じゃ無理じゃねえか?」
隊員「とても無理です…」
機関員「そうだよな〜、救急隊なんてやっていると世の中の不条理にいっぱい出会うんだぜ?でもこれが世の中なんだよな…」

離婚した夫婦が同じ公営住宅に住んでいるとか、徒歩3分の距離で生活している、救急隊ならたまに出会うケースです。今回のこの元夫婦にこういった意思があるのか、それとも別の事情があるのかは分かりません。

ただ、夫に収入があるから偽装離婚し生活保護を受給、さらに母子加算を狙う、ダブルで貰う。そんなことをしている人たちは存在します。バレてしまえば生活保護を取り消されてしまうかもしれない、コソコソもするはずです。

救急隊にならなければ、そんな事情のある人が世の中にいるなんて夢にも思わなかった…。羨ましい大型テレビ…。欲しいものは一生懸命働いて買おう…。何かが引っかかるけれど…。

119番通報する前に1秒だけ考えてほしい、 大切な人がすぐ近くで倒れていないだろうか?今、本当に救急車が必要だろうか?と。
すべては救命のために
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