緊迫の現場
救急隊が目指しているのは救命です。しかし、それができる時は本当に少なくて…
出場指令
「救急出場、◯町◯丁目◯番、△ビル7階、□株式会社に急病人、男性は倒れたもの」
との指令に私たち救急隊は出場しました。出場してすぐに救急車の無線機が鳴りました。
本部「現場より119番の第2報を入電、傷病者は意識、呼吸なし、現在本部にてCPR(心肺蘇生法)の口頭指導を実施中、消防隊も指令済、連携して活動に当たれ」
隊長「救急隊、了解」
隊員「通報電話は話し中です」
機関員「無線聞いていたろ?本部で口頭指導中だ」
隊長「CPA(心肺停止状態)だぞ、現場は7階だ、救命資機材を全部傾向しろ」
隊員「了解です」
隊長「消防隊とどっちが早い?」
機関員「どうだろう…多分、うちが少しだけ早いかな?」
現場到着
現場の△ビル前には手を振る同僚男性の姿がありました。救急隊はメインストレッチャーに救急資器材を載せ、彼の案内で荷物搬送用のエレベーターへと向かいました。遠くから消防隊のサイレンが聞こえてきた。大型のエレベーターはストレッチャーが入り、男性が4人乗ってもゆとりのある広さでした。
隊長「我々の支援のため消防車も間もなく到着します、この後、消防隊も案内してください」
同僚「分かりました、案内したらもう一度1階に降ります」
隊長「今、どのような状況ですか?」
同僚「オフィスで横にしています、顔色がもの凄く悪くて、様子がおかしいです」
隊長「119番を受けた者から心肺蘇生法をするよう指示があったと思うのですがどうですか?」
同僚「いや…僕は案内のためにすぐに下に降りてしまったので分かりません…」
隊長「そうですか」
7階に着いた。エレベーターのドアが開くと案内の同僚が走り始めた。
同僚「こちらです、お願いします!」
他の同僚「あっ!来た!お願いします、早く、早く!」
隊長「助かりました、あなたはもう一度、消防隊の案内をお願いします」
同僚「分かりました!もう一度下にいきます」
傷病者は40代の男性でSさん、オフィスの床上で仰臥位となっており、身体には胸元まで毛布が掛かっていました。それを取り囲む30人ほどの同僚たちは、何をどうしたら良いのか分からない様子でただ見守っている。心肺蘇生法は行われていませんでした…。
隊長「分かりますか?分かりますか?反応…なし、レベル300」
隊員「呼吸…脈…なし」
隊長「CPR開始、AED準備」
隊員「心マ開始、1、2、3、4…」
機関員「胸を開けさせてもらいます、パッドを貼らせてもらいます」
隊員は直ちに胸骨圧迫心マッサージを開始しました。機関員はAEDの準備に取り掛かり、傷病者の胸にパッドを貼った。
・・・ピ・・・・・・・・・ピ・・・・ピ・・・・・・・・・・。
波形が出ている…正常な波形とはとても言えない形、何よりとても遅い…。
隊長「心電図はPEA」
隊員・機関員「了解です」
PEAとは心電図上の波形は出るが脈拍は触れず、有効な血液の循環が行われていない状態です。
隊長「みなさんは同僚の方たちですね、状況が分かる方は?」
上司「は…はい…私が一緒にいました…」
Sさんはこの会社のオフィスで朝からデスクワークをしていました。救急要請の20分ほど前から体調が悪い、息苦しいと訴えるため応接室のソファーで休んでいました。どんどん様子がおかしくなり、汗をびっしょりとかいて、顔色が真っ青になったため上司が119番通報しました。その数分後に意識を失ったため、再度119番に連絡を入れたのでした。
本部からの指示で男性数名でソファーから床上に移動し仰臥位にしましたが、誰も心臓マッサージはできなかったのでした。聴取できた状況も心電図波形も、Sさんが心肺停止に陥ってからまだ時間が経っていないことを示している。救命のチャンスが大いにあります。消防隊がなだれ込んできた。
消防隊長「消防隊到着」
隊長「傷病者はCPA、ポンプ隊はCPRを支援を、特定行為いくぞ!」
消防隊長「了解、お前は心マを替われ!」
消防隊員「はいっ!了解です!」
消防隊の支援体制が整い救命処置に取り掛かります。特定行為とは救急救命士のみに許される救命処置のことです。Sさんを救命救急センターに搬送することを判断しました。連携した消防隊の活動もとても迅速でこの活動はとてもよく流れました。
現場出発
搬送先も現場からすぐ近くの救命救急センターが受け入れてくれることになりました。救急隊はSさんにできるかぎりの救命処置を行い、上司を同乗させて救命センターへと向かいました。
隊長「…それでは奥さんに連絡は取れたのですね?」
上司「はい、今、会社から行き先の病院を連絡しています」
隊長「ご病気はどうでしたか?」
上司「奥さんにも確認したのですが、やっぱり特にはないと…通院しているところもないそうです」
AEDのタイマーが鳴った。
隊員「隊長、時間です」
隊長「ああ、中断観察…」
心肺蘇生法を実施の際には、定期的に容態変化がないか最小限の時間で評価します。
ピ・・・ピ・・・ピ・・・ピ・・・ピ・・・
心電図には規則正しい波形が映し出されている。
隊長「脈…触れるぞ!」
隊員「呼吸はダメです、感じない」
隊長「回復兆候、心マは中断、バイタルサインを全部再評価しろ」
隊員「了解です」
現場出発してから数分後にSさんの脈拍が回復しました。隊長は回復しない呼吸の管理を継続、隊員は心臓マッサージを中断し、バイタルサインを再評価しました。血圧も100mmHg程度あり、総頸動脈でも橈骨動脈でも脈拍を確認できるまでに回復しました。
医療機関到着
救命センターの救急入口には医師や看護師たちが待ち構えていました。初療室に運び込んだSさんに救命処置が実施されていく。隊長は医師への引き継ぎに向かいました。隊員と機関員は使用した資器材の片付け、救急車内の清掃や消毒など再出場体制を整えます。
隊員「現場出発してすぐに脈が戻った、救命のチャンスは十分ですよね?」
機関員「ああ、オレと同年代だ、助かってほしいものだな…」
隊員「同僚の人たち…怖いのは分かるけど心臓マッサージをやっていて欲しかったな…」
機関員「そうだな…みんな傍観者だったな…」
医師への申し送りを終えた隊長が戻ってきた。
隊長「不安定だけど呼吸も再会したってさ」
隊員「よしっ!やりましたね!」
隊長「う~ん…でも意識はダメみたいだ…脳のダメージが心配だな、消防隊も頑張ってくれたし、良い活動だっだ、助かると良いな…バイスタンダーCPRがあればな…」
機関員「今まさにそう話していたところですよ、誰かが勇気を持ってやっていてくれたならって…」
「院外心肺停止 重篤」
翌朝
活動時間も短く、傷病者の脈拍を回復させ、院内では呼吸も回復した。救急隊と連携した消防隊の活動は評価され、表彰が検討されることになりました。仕事を評価してもらえることは嬉しいことですが、一番嬉しいのはSさんが歩いて消防署を訪ねて来てくれることです。
数日後の事務室
Sさんが亡くなった事が分かりました。良い活動ができた事案だったけど…助けることはできなかった。それでもこの活動は評価され表彰の話は前に進んでいる…。脈拍を回復させた…功績?
隊員「結局は助けることができなかったと言うのに?」
機関員「社会復帰までできたなら最高だけど、そんな事案は本当に少ないよ」
隊長「Sさんは亡くなってしまったけど、遠方にいる家族がいたとしても駆けつけるだけの時間ができた…家族が温かい手を握ることができるって大切だとは思わないか?」
機関員「救命が理想だけど延命だった、でも家族が見守る中で亡くなったのだよ、それだって意味のあることじゃないか?」
隊員「温かい手を握る時間か…なるほど…そうですね、きっと…」
伴わなかった結果と謎の功績。助けられなくても意味はあったか?はたまたなかったのか?助けたかったな…。
119番通報する前に1秒だけ考えてほしい、 大切な人がすぐ近くで倒れていないだろうか?今、本当に救急車が必要だろうか?と。
すべては救命のために
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