呼吸が止まり、脈拍が止まり…

緊迫の現場

緊迫の現場では1分1秒で命の駆け引きがあります。1秒でも早く搬送か?ここで1分を使ってでも処置を優先すべきなのか?救急隊はその知識、経験から数秒間でそれを判断します。今回のお話はまさに1分1秒を争う事案です。

出場指令

「救急隊、消防隊出場、⚪︎町⚪︎丁目…H方、男性は意識なし、通報は家族女性から」

意識なし、重症と想定できる内容に同じ消防署の消防隊とペアでの出場、現場は管轄区域で現場到着まで5分とかからない距離でした。

出場途上、緊急走行する救急車から119番通報の電話に連絡を取りました。

出場途上・119コールバック

隊員「今、そちらに急いで向かっています、意識なしと言うことですが今はどのような状況ですか?」
家族女性「あの…あの…父が急に…お父さん、しっかりして!とにかく早く来てください!どんどん悪くなってる、早く!」
隊員「呼びかけて返事ができる状況ですか?」
家族女性「さっきまで返事はできたのですけど…今は白眼向いていて…早く来てください!」
隊員「分かりました、顎の先を持ち上げてあげて窒息しないように空気の通り道を作ってあげてください」
家族女性「空気?通り道?私…そんなこと言われても、早く来てください!」
隊員「分かりました、もう少しで着きます」

あと数分で到着する。傷病者への応急処置を指示するにはかなり慌てており難しい様子でした。

現場到着

救急車を停車すると、女性が飛び出してきました。彼女が通報者で傷病者の娘さんでした。

娘さん「こっちです、早く、お願いします」
隊長「お待たせしまいた、救急隊です、案内をお願いします」

傷病者のは70代の男性でHさん、ソファーに半座位となり苦しそうに浅く早い呼吸をしていました。

隊長「酸素とAEDの準備、除細動パッドを貼れ!」
隊員「了解です!」

ベテランの隊長が傷病者を見た瞬間に除細動パッドを貼れと指示する。これから電気ショックを打つかもしれない、つまり心臓が止まってしまうくらい危険な状態と判断した。ベテランの感は当たる、超・緊急事態です。

隊長「Hさん大丈夫ですか、お話できますか?娘さんは状況を教えてください」
娘さん「それが、急にこんな風になってしまって…先ほどまでは普通にしていたのに…」

Hさんは開眼しているも白目を向いている状態、隊長の呼びかけに応答できる状態ではありません。

隊長「意識レベルはJCS100、呼吸は30、浅く速い、バイタルサインを早期に測定、重症だぞ」
機関員「了解」

直ちに高濃度酸素投与を実施、それでも酸素飽和度は80%代でした。心電図波形は不整脈の嵐でした。

隊長「Hさんは何かご病気や掛かられている病院はありますか?」
娘さん「いろいろあって…高血圧もあるし心臓も良くないし…ずっともう、20年も△病院に掛かっています、△病院にお願いします」
隊長「これからHさんを△病院まで搬送するとなると、救急車でも30分以上はかかります、ご覧の通り大変危険な状態です、一番近い高度な救命処置ができる救命救急センターに搬送した方が良いと思います」
娘さん「でも、もう20年もかかっているし…」

娘さんは20年来のかかりつけ病院への搬送を強く希望していました。緊急走行しても30分以上はかかる距離です、リスクが高すぎる。隊長はどれだけ危ない状況であるか、いかに早く処置する必要があるかを説明し説得を続けました。この間にも隊員、機関員、消防隊員が搬出する準備を進めていました。

Hさん「はぁ…はぁ………は…………………」

浅く早い呼吸をしていたHさんの呼吸が急に遅く深い呼吸になりました。

隊員「隊長!呼吸の確認をします」
隊長「ああ、娘さん、本当に危険な状態です、我々に任せてください、近くの救命センターに搬送しますよ、30分以上もかかる病院まではとても行けないです」
娘さん「は…はい…分かりました、お願いします」
隊員「呼吸…なし、人工呼吸を開始します」

目の前でHさんの呼吸が止まりました。

隊長「娘さん落ち着いて聞いてください、Hさんの呼吸が止まりました、人工呼吸をして病院にお連れします」
娘さん「お父さん~!ダメ、まだ死んじゃダメ!お父さん~!」

パニック状態に陥った娘さんが人工呼吸をしているHさんに抱きついた。機関員と消防隊員が娘さんをHさんから引き離しました。

機関員「娘さん、お出かけの支度をしてください、我々が処置していますから」
隊長「人工呼吸を始めました、落ち着いて下さい、私たちが最善を尽くしますから!」
娘さん「あぁぁ…お父さん…」
機関員「慌てないで、ご自宅の戸締りと火の元を確認してください、救急車に向かいます」
娘さん「はい…」
隊長「機関員は救命センターを選定、他は搬送を開始するぞ」
隊員「了解です」
消防隊員「搬送準備はできています」

Hさんの呼吸は止まりましたが脈拍はありました。しかし、搬送を開始する頃には橈骨動脈では既に触知できない状態となっていました。

車内収容

救急車に車内収容した時には直近の救命救急センターから受け入れ可能の回答が得られていました。

機関員「隊長、⚪︎病院救命センターが受入可能です」
隊長「了解、娘さんを乗せたらすぐに出発」
消防隊長「了解」

人工呼吸を継続しHさんを車内収容すると、ここまででもとても不規則であった心電図波形にも変化が現れ始めました。

ピ…ピ……    ピ…    

心電図の音が途切れ途切れになっていく…。

ピ…            ピ……       …

隊員「隊長、触知できません」
隊長「心電図はPEA、心マ開始」

心臓がたった今、止まった。隊員が心臓マッサージを開始しました。

隊長「娘さん、落ち着いて聞いてください、Hさんの心臓が止まりました、救急隊は心臓マッサージと人工呼吸を行いながら病院まで搬送します」
娘さん「お父さんっ~!お父さんまだ死んだらダメ~!」
機関員「隊長、出発します!」
隊長「ああ、出発して!」

現場出発

心肺蘇生法を行いながら救急車は直近の救命救急センターへと走り出しました。Hさんが回復する様子はない…。この時には心電図波形は心静止となっていました。パニック状態であった娘さんは呆然と救急車の後部座席に座っていました。

病院到着

救命センターの入り口では医師たちが待ち構えていました。Hさんを診察台に移すと、すぐに医師たち懸命な医療処置が行われました。懸命な処置が行われましたが、Hさんが回復することはありませんでした。

「心肺停止 重篤」

引揚途上

救急車の清掃、消毒、救命資器材の整備など再出場体制が整う頃にはHさんの死亡が確認されました。

隊長「辛い現場だったな…」
隊員「はい…たった数分で呼吸が止まって、脈も止まってしまった…」
隊長「娘さんがパニックになるのも分かるよな?ついさっきまで元気だったと言うのならなおさらだ…」
機関員「直近隊が駆け付けて直近の救命センターに運び込んだ、活動時間だって相当に短い、どうにかできた事案じゃないですよ」
隊長「ああ、救急隊にとっては管内だったのがまだ救いだな…これが20kmも離れた隊が駆けつけていたのなら地獄だ…」
隊員「実際にあるじゃないですか…そんな現場は…」

この現場では救急隊の目の前で呼吸が止まり心臓が止まりました。傷病者の容態がどんどん悪くなっていき、容態変化し心肺停止となりました。とても辛い現場ですが、容態変化するかもしれいない危険な状態の傷病者を扱うことは想定しないといけません。

この事案では傷病者宅を管轄する消防署の救急隊と消防隊がペアで出場しました。本来守るべき町に直近隊が迅速に駆けつけ、それでも間に合わなかった…。こんな現場に遥か彼方の救急隊が駆けつけていてはいけないのですが、最近の救急隊の稼働状況と言えば…。

119番通報する前に1秒だけ考えてほしい、 大切な人がすぐ近くで倒れていないだろうか?今、本当に救急車が必要だろうか?と。
すべては救命のために
この記事に対するご意見・ご感想をお待ちしています。SNSでのコメントを頂けると嬉しいです。

@paramedic119 フォローお願いします。