生きるべき傷病者なのか?それとも…

緊迫の現場

救急隊が判断する大変重要な項目のひとつに医療機関の選定があります。傷病者を適切に観察し様々なものを考慮して病院を選定します。病院選定の過程では常に葛藤と迷いがつきまといます。今回は明らかに重症と判断できるのですが、簡単にはいかない現場の話です。

出場指令

この日は休日の夜、消防署に出場指令が鳴り響きました。

「救急隊、消防隊出場、⚪︎町⚪︎丁目…S方、80代の方はCPAの模様、通報は家族女性」

指令の⚪︎町は受け持ちの区域、段階で心肺停止状態との情報があるため待機していた同じ消防署の消防隊と同時に出場となりました。

現場到着

家の前には50代くらいの女性が案内に出ていました。

隊長「ご通報いただいた方ですね?ご関係は?案内をお願いします」
娘さん「私は娘です、こっちです、父が息をしていないみたいで、心臓マッサージをやっています」

傷病者は80代の男性でSさん、部屋に入ると家族の男性が心臓マッサージを実施していました。適切な胸骨圧迫が行われているのに傷病者はピクリとも動かない、心肺停止状態であることは明らかでした。

隊長「救急隊です、後は任せてください」
家族男性「はい…全く反応がありません…」
隊長「まず評価するぞ」
隊員「はい、了解です」

隊長と隊員で再評価しましたがやはり心肺停止状態でした。

隊長「ご家族のみなさん、やはり呼吸も脈拍も感じられない状態です、状況を教えてください」
娘さん「本当に少しですが夕食を食べて…体調が悪いからと言って、この部屋で横になっていました」
隊長「その時はご自身でこの部屋まで歩いて移動したのですね?」
娘さん「はい、最近では歩くのもやっとになっていたのですけど、今日はどうにか歩けました」
隊長「Sさんは何かご病気をお持ちの方ですか?大分痩せていますが、かかられている病院は?」
娘さん「父はガンです、先週にA病院から退院してきました」
隊長「A病院での治療は続いているのでしょうか?」
娘さん「抗ガン剤の治療がひと段落とのことで…来月にはまた入院する予定になっています、A病院の先生にも何かあったら連れてくるように言われています」
隊長「我々としてはこのような状況ですし、処置を実施させてもらい救命センターと呼ばれる医療機関に搬送したいのですがよろしいでしょうか?」
娘さん「救命センターって?」

隊長は家族を集め傷病者の状況と搬送先医療機関について説明しました。

家族男性「なるほど、分かりました…いや、それでも…」
娘さん「…A病院への搬送をお願いします」
隊長「休日の夜ですし、A病院では説明させていただいたような救命センターで行うような処置は難しいと思いますが良いでしょうか?」
娘さん「はい…それは仕方がないです、父もA病院での治療に納得していたし、何かあったら連れてくるように言われていますし、それに実は医師からは相当に厳しい状態であると説明されていたので…A病院に搬送されてダメなら仕方がないです」

傷病者は長きに渡りA病院にかかっており主治医のことも信頼しているのだと言います。娘さんも他の家族も覚悟はできている様子でかかりつけへの搬送を強く希望していました。

隊長「分かりました、ご家族の意向のとおり、かかりつけを選定するぞ」
機関員「了解です」
隊長「機関員はかかりつけの選定に入れ、他は搬送準備」
機関員「了解です」

車内収容

機関員「え”…受け入れできない?そちらにかかりつけで、先週に退院したばかりの方ですよ、何かあったら連れてくるようにドクターにも言われているって…、急変?処置中…あぁ…そうですか…分かりました…」

嘘であって欲しい。

機関員「隊長、A病院は収容不能ですって…」
隊長「かかりつけだぞ!?」
機関員「それが…病棟の患者さんがCPAになっているって、とても無理だって…」

A病院では病棟にいた患者さんが急変しており、医師も看護師も対応中でした。

隊長「そうか…ご家族の方、よろしいですか」
娘さん「はい」
隊長「A病院にはお連れで来ません、A病院は他に重症の患者さんがいて対応できないそうです、救急隊でお連れする病院を決めさせていただきます」
娘さん「A病院にずっとかかってきたのに…どうにかなりませんか?」
隊長「お気持ちは分かりますがA病院の先生も重篤な患者さんの処置をされている最中だそうです、他の病院を探します」
娘さん「分かりました…」

とは言ったものの…どこが受け入れてくれるのだろうか?かかりつけのA病院は2次医療機関です。一方の3次医療機関と言うのは「救命」を主眼とする高度医療処置が24時間体制できる特別な病院です。(救急隊が搬送する病院の解説

この事案の場合、傷病者は心肺停止状態なので3次医療医療機関に搬送すれば良いのですが、そう単純にはいかない事情もあって…。

隊長「娘さん、お父さんのガンの進行度は分かりますか?」
娘さん「ステージ3とか…ただ、さらに進行していて、転移もしていると言っていました」
隊長「そうですか…先ほどの話なのですが、かかりつけのA病院が断られてしまったので、救命センターと言われる病院に搬送して良いでしょうか?」
娘さん「A病院が無理なら…それでお願いします、もし可能性があるのなら助けたいです、私も父も諦めてしまった訳ではないので…」
隊長「そうですか、分かりました、我々が実施できる処置も実施します」
娘さん「はい、お願いします」
隊長「3次選定、特定行為を実施するぞ」

救急車内に消防隊員も乗り込み心肺蘇生法を継続、隊員は心臓マッサージをポンプ隊員に任せMC指導医に連絡を取りました。MCとはメディカルコントロールのこれから行う救急救命士が行う特定行為はMC指導医からの実施の指示がなければ実施することができません。

指示要請

隊員「…と言う状況です」
MC指導医「そう…それはA病院に搬送すべきだね、本当に救命が必要なの?」
隊員「A病院は病棟で急変とのことで対応できないと断られました…ご家族も可能性があるならできる限りを尽くして欲しいとのことです」
MC指導医「ガンは進行しているのでしょ?」
隊員「はい、ステージ3と言われたみたいなのですが、さらに進行していて転移もあるとの説明があったそうです、退院の時に相当に厳しい状況にあると説明はあったみたいです」
MC指導医「家族はできる限りをやりたいって?」
隊員「はい、傷病者も娘さんも諦めている訳ではないと言っています」
MC指導医「なるほど、特定行為を実施してください」
隊員「了解しました、特定行為を実施します」

救急隊の使命は救命すること。連携している消防隊もみんな同じ、人命が第一です。しかし、高齢化社会、終末期医療など、世の中はそう単純ではない。MC指導医からの指示の歯切れは悪い。

医療機関到着

救命医「ふぅ…この患者さん…うちに運び込むべき患者さんではないでしょ?」
隊長「仰りたいことは良く分かります…かかりつけのA病院は急変の患者さんの対応中とのことで…」
救命医「ここは3次病院です、救命しなければならない患者さんを助けるためにあるのですよ、今この時にうちでなければならない人がいたらどうなるか、分かりますよね?」
隊長「分かります…」
救命医「救命センターの医師も処置室も限られています、2次がダメだから3次と言うのは間違いです」
隊長「はい…、申し訳ありませんでした」
救命医「ふぅ…まあ隊長が誤ることでないですけど…」

「心肺停止 死亡」

帰署途上

隊員「先生から厳しいことを言われたんじゃないですか?」
隊長「まあね…今の傷病者は救命センターに運ぶべき人じゃないってさ」
隊員「まあそう言われるでしょうね…」
機関員「オレは何も間違っていないと思いますけどね、心肺停止の傷病者だから緊急性も重症度も高いから3次医療機関を選定した、プロトコールに準じた活動じゃないですか?決められたことを決められたとおりにやっている」
隊員「ええこの手の事案の度に感じます、傷病者がいくら高齢でも、末期の疾患があっても、現場で2次にすべきか3次にすべきかを判断するなんて、実質は生きるべき傷病者なのか否か判断するに等しい、そんな権限は救急隊にも医師にも…誰にもないはずなのに」
機関員「そうだよな?駆けつけて数分の救急隊にそれを判断させるなんて酷だよな?いつだってそういう傷病者は3次に搬送すれば良いよな?」
隊長「確かにそれが正論かもね…でもそれだと先がないことが分かっている人のために助けられる人も死んでしまうよ」
隊員「それは…そうですね…どうすれば良いのですかね?」
隊長「さあな?この手の問題はずっと起こり続けているけど、ずっと現場に丸投げのままだからな…」
機関員「現場レベルの問題じゃないですよ、もっと上の偉い人にどうにかしてもらわないと」
隊員「どうにかしてくれるのはいつになるのですかね…」


高齢化社会が待ったなしの状況の中で、この手の問題は全国で起こっています。議論はされているようですが、人命、人権、生きる権利、最後をどこで迎えるか、治療を受ける自由または受けない自由、それを誰が選ぶか、センシティブな問題が複雑に絡み合い厳格なルールがないのです。

末期の疾患や100歳を超える高齢者を扱った場合、駆けつけた現場で心肺蘇生法を行うことに難色を示す家族に出会うことも珍しくありません。こんな時にどうするのか、制度も基準もないままで現場の活動は進んでいるのです。救命することが救急隊の使命…そう簡単にはいかないのが現実で、葛藤と迷いの中で彷徨っています。

この記事は2007年の記事を再編集したものです。あれから随分の時間が経ち少しずつ制度も整ってきましたが、厳格な仕組みはありません。少しの間、コメントを解放します。終末期の傷病者や、施設に入居している延命処置を望まない高齢者の方を扱った際の対応など、コメントいただけると嬉しいです。もちろん、SNSでのコメントも大歓迎です。

119番通報する前に1秒だけ考えてほしい、大切な人がすぐ近くで倒れていないだろうか?今、本当に救急車が必要だろうか?と。
すべては救命のために
この記事に対するご意見・ご感想をお待ちしています。twitterなどSNSでのコメントを頂けると嬉しいです。

@paramedic119 フォローお願いします。