食道静脈瘤破裂、それが本望?

緊迫の現場

救急隊とは決して切り離せないアルコールに関わるトラブル、当サイトでもアルコールに関わるトラブルを抱えた様々な事案を紹介してきました。そんな人たちが至る最後の場面のお話です。

出場指令

「救急出場、○町○丁目○番地E方、男性は動けないもの、通報は家族女性から」

との指令に救急隊は出場しました。

出場途上・119コールバック

緊急走行する救急車内、救急隊員が指令先電話番号に連絡を入れ情報を取ります。

隊員「もしもしEさんのお宅ですね?救急隊です」
姉「救急隊、お願いします!」
隊員「通報いただいた方ですか?患者さんのご様子を教えていただけますか?」
姉「弟なのですがここ数日具合が悪くて…動けないみたいなのでお願いしました」
隊員「そうですか、患者さんは今はどうされていますか?意識はありますね?」
姉「はい、部屋でずっと寝ています」
隊員「弟さんは何かご病気、かかっている病院はありますか?」
姉「はい、アルコール依存症がありまして…K病院にかかっていたのですが、もうここ半年近くはかかっていません」
隊員「半年…そうですか、あと数分で到着できるかと思います、もう少しお待ち下さい」
姉「はい、お願いします」

アルコール依存症で半年は病院にかかっていない、か…。アルコール依存症の治療はまずアルコールを断つことから始まります。救急隊はそれができないから病院を飛び出した、行かなくなった、そんな人を扱うことは度々です。状況を隊長と機関員に状況を伝えました。

機関員「酒をたらふく飲んでぐっすり眠っているってことは?」
隊員「あり得ないことはないと思いますけど…お姉さんはここ数日具合いが悪いとの話でした」
隊長「一悶着あるってことだろ?」
隊員「はい…間違いないと思います」

現場到着

通報者であるお姉さんが案内に出ていました。お姉さんと言っても50代くらいの女性です。

姉「こっちです、今朝から動けないみたいで…」
隊長「そうですか、K病院は治療が終わって行かなくなったのですか?」
姉「いいえ…入院して治療しないといけないのですが、それができなくて…」
隊長「アルコール依存症の?」
姉「はい…」

案内に出てくれていたお姉さんはやつれており、心底疲れ果てている、そんな雰囲気が漂っていました。

傷病者接触

傷病者はEさん、50代の男性でした。1階居室の畳上にうつ伏せでおり、口元からは鮮紅色の血液が流れ出ていました。正気が感じられない、これは寝ているではない、血を吐いて倒れているです。CPAでは?話が違うじゃないか…。

隊長「まず観察、血液に注意しろ!」
隊員「了解!」
隊長「脈拍…なし」
隊員「…呼吸もありません!」
隊長「CPAだCPR!機関員はAED準備!」
隊員、機関員「了解!」

緊迫の現場へと空気が変わりました。Eさんは心肺停止状態でしたが、顔色は蒼白と言うよりも真っ黄色でした。

隊長「ご家族はお姉さんでしたよね?」
姉「はい…」
隊長「弟さんなのですが、呼吸も脈拍もない危険な状態です、今、心肺蘇生法を開始しました」
姉「まあ…それは…」
隊長「弟さんはご病気はアルコール依存症だけでしょうか?」
姉「あと、肝臓も相当に悪いです」
隊長「半年前にK病院にかかって以来、治療はしていない訳ですね?」
姉「そうです」
隊長「肝臓は肝硬変ですか?相当に進行していますよね?」
姉「はい…半年前にもかなり悪いと言われていましたから多分…」
隊長「…それでもお酒は断てなかったということですか?」
姉「ええ…」
隊長「分かりました、医師の指示の下でできる医療処置があります、弟さんを救命するために必要な処置です、実施させていただいてよろしいですか?」
姉「医療処置…?あの…それはいったい?」
隊長「弟さんを助けるために、ここでできる処置を実施させていただきたいのです、救命センターにお連れしてよろしいですか?」
姉「はあ…ちょっと待ってください…奥の部屋に母がいるから相談させてください」
隊長「いや…ちょっとお姉さん、ゆっくり相談している時間などないですよ!」
姉「ちょっと…ちょっと待ってください、母を呼んできますから…」

そう言うとお姉さんは奥の部屋へと行ってしまうのでした。弟が危険な状態だと告げられても慌ることもなく、淡々と落ち着いた様子でした。

隊長「家族の意向も分からないし、同意が得られないのでは指示要請も入れられないよ…」
機関員「やる前提で特定行為の準備は進めますよ」
隊長「そうしてくれ」
隊員「隊長、換気できてますか?血液が上がってきたみたいですよ」
隊長「…ダメだな、胸骨圧迫だけ続けてくれ!吸引しよう」
機関員「了解」

胸骨圧迫心マッサージを続けていくとEさんの口からは鮮紅の血液が噴出してきました。血液で満たされた口腔内、このままでは人工呼吸はできません。吸引器でずるずると吸い上げられる鮮紅の血液、かなりの量でした。

隊長「やっぱり肝硬変から来ているな…」
隊員「この肌の色…眼球もまっ黄色です、瞳孔は対光反応なし、腹壁静脈怒張…お腹まで黄疸著明です」
隊長「多分、食道静脈瘤の破裂だな…」

お姉さんが奥にいた母を連れて戻ってきました。

姉「救急隊の方が息をしていないって…」
母「まあ…」
隊長「お母さん、ここでできる医療処置を実施してよろしいですか?息子さんを助けるためには必要な処置です」
母「ああ、そうですか…どうしようかね?」
姉「どうしようか…?」
隊長「お母さん、お姉さん、ゆっくり相談している時間はありません、緊急事態なんです!」
姉「それは分かっているのですけど…ねえ?」
母「うん…どうしようかね?」
隊長「…」

煮え切らない家族、隊長が説得を続けると家族から処置に対する同意が得られ、救命センターに搬送することになりました。搬送途上も母と姉は全く慌てることもなく「どうにか助けてほしい」そんな言葉は聞かれませんでした。駆け出しの頃はそんな家族に違和感を感じたものですが、経験を重ねていくと見えてくるものなのです。

アルコール依存症だが酒は断てず治療は進まない、肝硬変が進行した。食道静脈瘤破裂で心肺停止に陥った。これまでの背景を想像できるようになってくると、むしろ納得さえしてしまう…。

病院到着

Eさんはまだ50代と年齢も若く、救急隊が到着した時点で体温もあり、心肺停止となってからそれほど時間が経っていないだろうと推察できる状態でした。救命医たちの懸命の処置が行われましたがEさんが回復することはありませんでした。

隊長「この吐血、やっぱり食道静脈瘤破裂でしょうか?」
救命医「ええ…この人のカルテがありました、やっぱり食道静脈瘤破裂で過去にも搬送歴がありましたよ」
隊長「そうですか、ご家族はこちらにかかった事があるとはあると言っていましたが、救命センターにでしたか…」
救命医「アルコールを断たないと死ぬことは本人も知っていたはずです、先ほどご家族に状況説明に行ってきたのですがね、これでやっと終わるって…むしろほっとした様子でした」

「心肺停止 死亡」

帰署途上

隊員「あの黄疸、すぐに肝硬変だって思いました、でも食道静脈瘤破裂ってもっと部屋中が真っ赤になるくらいの吐血のイメージでした」
機関員「事案によるんじゃないのか?いつだかの事案は部屋中血だらけだったものな?」
隊員「胸骨圧迫で血が吹き上がってくるはずですね、きっと胃は血だらけだったのでしょうね?」
隊長「ああ、きっとそうだろうな」
機関員「アルコール依存症の治療をしないで半年も飲み続けてきた訳だろ?肝臓なんてボロボロだろうな」
隊長「お姉さんの話だと1日中、升単位で飲むんだとさ」
隊員「それは…家族も大変だったでしょうね?」
隊長「酒を断てば暴れる、病院に連れて行こうとしたら暴力、何度か警察沙汰にもなっているって…」
機関員「なるほどね、そんな状況なら家族も諦めてしまうか…」
隊員「疲弊しているはずだ…」
機関員「救命センターに運び込んだけど、家族からしてみれば助けて欲しくなかったのが本音だったかもな?」
隊員「実際そうじゃないですか?処置も救命センターに運ぶことだって、なかなか同意してくれなかった」
隊長「説明に来た先生に、家族はこれでやっと終わるって、そう言ったってさ」
隊員「酒を飲めば命に関わるって知っていただろうに…それでも飲むのだから…」
機関員「好きなことを散々、まさに死ぬまでやったんだ、本望なんじゃないのか?」
隊長「そういう病気だからなぁ…本望ではないだろう」

酒を飲めば死ぬ、それでも飲み続けた傷病者と助けて欲しいとは言わなかった家族たち…。救命のために最善を尽くすのが救急隊の使命です。もちろんこの時だって最善を尽くしました。でもこの引っかかる感じ…?何となく漏れてしまう溜息…。いつもすべては救命のためにと努めれば良い?これは救急隊のよくある現場の話、現代社会の闇は深い。

この記事は2009年1月の記事を編集したものです。15年以上経ちましたが、似たような現場はまだよくある話です。

119番通報する前に1秒だけ考えてほしい、 大切な人がすぐ近くで倒れていないだろうか?今、本当に救急車が必要だろうか?と。
すべては救命のために
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