ごめんなさいとありがとう

緊迫の現場

救急隊に限らず消防官の仕事は人命救助です。大きな仕事の成果はより多くの失敗や課題、悔しい思いが支えている。劇的な人命救助の影には圧倒的に多くのどうにもならない現場があるのです。どうにもならなかった時の話です。

出場指令

「⚪︎隊、⚪︎隊、⚪︎救助隊…救急隊出場、⚪︎町⚪︎丁目…▲駅、人と電車の事故、要救助者が1名」

同じ消防署の消防隊、救助隊など複数の隊が連なるように消防署を飛び出しました。

出場途上

隊長「高エネルギーの資器材を傾向、無線を良く聴いておけよ」
隊員「了解です」
機関員「ロータリーの交番前に停めます」

「⚪︎町⚪︎丁目…▲駅の救助活動に伴い上下線とも運行は停止、要救助者は上り列車と接触、鉄道情報」

無線が判明している情報を伝えている。

機関員「列車と接触か…」
隊長「助かるとは思えないけど…分かっているな?」
隊員「はい、もちろんです…」

人と電車の接触事故で助かっていたなんて経験はありません。駆けつけた時にはCPA(心肺停止状態)であることばかりです。ほとんどの現場で社会死状態になっています。人間が電車と接触しているのなら助かるとは思えない。

現場到着

オレンジの精鋭たちは軽々とやっているように見えるけど、重い救助資器材を担いで駅の階段を駆け上がっていく。救急隊もそれに続いて様々な救急資機材を傾向して駅のホームへと向かいました。

大隊長「救助隊長、行くなよ!パンタグラフが上がっていることが確認できてからだ!」
救助隊長「了解!」
大隊長「駅員さん、パンタグラフは上がっている?隊員を軌道敷地に降ろして大丈夫?」

大隊長が大声を張り上げて各隊の指揮を執っている。安全確認が取れ、救助隊が軌道敷地へと降りて行きました。

救助隊員「分かりますか?今からあなたを助けますから、大丈夫ですか?お名前を教えてください」
救助隊長「救急隊、意識あるよ、要救助者は応答できる!」
隊長「了解!救急隊も降りる?」
救助隊長「スペースがない、バックボードをこっちへ、全脊柱固定もこっちでできる」
隊長「了解、救急隊はホームで待機する」

停止している電車は駅のホームの中途半端な位置で停止していました。駅で停車するため減速していたとしても、電車と接触して無事であるとは思えない。軌道敷地に飛び降りてから電車とは接触しなかったのだろうか?

救助隊員「バックボードをこっちに」
隊員「足から行くよ、ベルトはこっちから渡す、出血は?」
救助隊員「出血はほとんどない、名前も言える状態」
隊員「分かった」

同年代の救助隊員、普段は頼りないと思うところもあるけど、救助活動では頼りにしかならない。救助隊長の下でオレンジらしい機敏な動きをしている。

救助隊長「準備よし、上げるよ、要救助者はTさん、しっかり答えられる」
ポンプ隊長「全員力を貸して!」
隊長「上げたらすぐに酸素投与だ、準備いいか?他は目隠し良いか?」

各隊の隊長から指示が飛ぶ。救助隊によりバックボード上に固定処置された要救助者をホーム上に上げました。

傷病者接触

傷病者は40代の男性でTさん、自殺しようとホームから列車に飛び込んだのでした。

隊長「分かりますか?救急隊です、お名前はTさんでよいですか?」
Tさん「はい、ごめんなさい…ごめんなさい…」
隊長「Tさん、電車とは接触している?」
Tさん「電車?接触…?ごめんなさい…」
救助隊長「電車に挟まれたりはなかった、軌道敷地にただ倒れていたんだ、血の跡があったから多分相当に引きづられたか飛ばされたか、間違いない、接触してる」
隊長「了解、ロードアンドゴー!」
隊員「Tさん、ここは痛いですか…ここは?」

胸部も骨盤も鈍い感触です。肋骨が複数本、骨盤も折れている。

隊長「詳細なバイタルは車内収容後だ、機関員は3次医療機関を選定しろ」
大隊長「他の隊も救急隊の支援に当たれ!」

マンパワーが充足しています。ポンプ隊や救助隊の支援を受けてTさんを車内収容する頃には受け入れ先の救命センターは決まっていました。

現場出発

搬送途上で全身の詳細観察を進めたところ、Tさんの体表は擦り傷程度で出血はほとんどありませんでした。ただ特に左半身の損傷が酷く、胸部、骨盤に加え左腕、左大腿部にも変形がありました。前腕骨、骨盤、大腿骨…この骨折だけでも致死量の出血に至っていてもおかしくはない。

隊長「あなたを救命センターに搬送します、心配しないで、急いで連れていくからね」
Tさん「こんなこと…こんなこと…しなければよかった…」
隊長「どうして電車に?」
Tさん「死のうと思って…痛い…痛い…」

Tさんは苦痛に歪ませた表情で後悔の念を訴え、涙がとめどなく溢れているのでした。JCS1と会話はしっかりできました。ただ、血圧が低く頻脈、体内に相当の出血があるでしょう。これは出血性ショックで間違いない。緊急走行の救急車は救命センターへと急ぎました。Tさんの脈拍はさらにどんどん早くなるのでした。

隊長「Tさん、大丈夫だよ、頑張って、もうすぐ病院だからね」
Tさん「ごめんなさい…はぁ…ごめんなさい…、はぁはぁ…痛いよ、痛いよ、こんなに辛いなんて…は〜ぁ…は〜ぁ…こんなこと…しなければ…は〜ぁ…は〜ぁ…」
隊長「Tさん、Tさん、しっかりして、Tさん」

早かった呼吸も脈拍も突然遅くなり、そしてすぐに止まりました。

隊員「隊長、ダメです、脈が触れない、心マ開始します」
隊長「ああ…CPR開始」

医療機関到着

待ち構えていた救命医たちの処置が行われる。

救命医「心肺停止の時間は?」
隊長「⚪︎時⚪︎分です、本当に突然止まりました」

懸命な処置も虚しく救命センターに運び込んでから数十分でTさんの心肺蘇生は中止されました。大腿骨、骨盤、他にも骨折は多数あり腹腔、骨盤には相当の出血があったのでした。

「多発外傷 重篤」

引き揚げ準備

救命センターの駐車場、隊員と機関員は資器材の整備や消毒を行っていました。特に外傷事案の場合は思わぬところまで血が飛んでいることがあり、広く明るいところでしっかりと点検しないといけません。そんなところにパトカーが入ってきた。

警察官「お疲れまさです、この救急隊は▲駅の事案のでしょうか?」
隊員「はい、お疲れ様です」
警察官「処置中ですよね?お母さんをお連れしました」
隊員「ああ、なるほど、では私が家族待機室にご案内します、病院のスタッフにも警察の方とご家族が到着したと伝えます、こちらです」
警察官「ありがとうございます、お母さん、救急隊の方が案内してくれるって、こちらですよ」
母親「はい、今回は息子がお世話になってしまって、ご迷惑をおかけして申し訳なかったです」
隊員「いいえ、ご案内します、こちらですよ」

80代くらいだろうか、足が不自由そうな様子で母親はトボトボと歩き始めました。

警察官「我々が▲駅に駆けつけた時には話ができたのですよ」
母親「そうですか、大怪我なのだろうけれど良かったです、家族はもう私たち二人しかいないから、助けてもらってありがとうございました」
隊員「いえ…そんな…」

救命センターの家族待機室に案内すると、医師引き継ぎを終えた隊長が戻ってきました。

隊員「隊長、警察の方とお母さんです、スタッフに到着したことを伝えてきます」
隊長「ああ、頼むよ」
母親「この度はご面倒をおかけしてしまって本当に申し訳ありません」
隊長「いいえ、お大事になさってください…」
母親「助けてくれて、ありがとうございました」
隊長「お大事に…」

引き揚げ途上

隊長「亡くなったよ、死亡確認された…」
機関員「そうですか…あのお母さん、一人になってしまったな…」
隊員「意識があって良かったって…お礼を言われたけど、どう返して良いか分かりませんでした…」
隊長「オレもだよ…かける言葉が思い浮かばなかった…」
機関員「いつかの大学生の首吊りの事案もそうだけど、見ていられないな…やっぱり親より先には死ねない、自殺なんて絶対にダメだ」
隊長「ああ、本当にそうだな…」



もう少しあと少しで病院だった。目の前で止まってしまった呼吸、脈拍…間に合わなかった。どうにもできなかった辛い現場のこと。今でも心に刺さるトゲのようにチクリと思い出すのは傷病者と母親のごめんなさいとありがとう。

119番通報する前に1秒だけ考えてほしい、 大切な人がすぐ近くで倒れていないだろうか?今、本当に救急車が必要だろうか?と。
すべては救命のために
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