緊迫の現場
定期的に話題になる救急隊の受け入れ先が決まらない問題、「たらい回し」「受入れ拒否」と言うキーワードで伝えられることが多いです。この状況の中で不利益を受けているのは患者さん、そして辛い思いをしているのは、緊急車両であるにも関わらず現場を出発できない救急隊…。この手の問題で特に深刻だと感じるのが高齢者です。
出場指令
深夜の消防署に出場指令が鳴り響きました。
「救急出場、⚪︎町⚪︎丁目…介護老人福祉施設▲に急病人、高齢者女性は呼吸困難、通報はヘルパー」
隊長「この時間に福祉施設からか…」
機関員「提携病院に連絡が付いていれば良いのだけどね」
この施設は担当区域、消防署から1キロも離れておらず出場から数分で到着しました。
現場到着
要請先の施設の前には案内人が立っていました。彼の案内で具合いが悪い施設利用者の下へと急ぎます。傷病者の部屋のベッドサイドには通報者のヘルパーが付き添っていました。傷病者は90代の女性でSさん、ベッド上に横になっておりとても苦しそうに肩で息をしていました。傷病者は明らかな努力呼吸、パっと見てただ事ではないと分かる状態、傷病者は重症です。
隊長「高濃度酸素準備、すぐにモニターも実施しろ!」
隊員「了解!流量は最大にします」
これは命に関わる、重症だ…
隊長「状況を教えていただけますか?何時頃からこのようになったのですか?」
ヘルパー「夕食後の見回りの時にはいつも通りだったのですが…深夜の見回りの際にこのような苦しそうな呼吸状態になっていました」
隊長「Sさんは何かご病気はありますか?かかられている病院は?」
ヘルパー「ええと…待ってください…記録を…」
隊長がヘルパーから情報を聴取しています。隊員はSさんの状態を観察、酸素投与などの処置に当たりました。肩で息をしている、全身を使わないと呼吸ができないような危険な状態です。まさに救急隊の腕の見せどころ、すべては救命のために、今こそ救急救命士として救命のために全力を尽くす時です。
隊長「それでは日常の生活状況は寝たきりの状態なのですね?」
ヘルパー「はい…」
隊長「私の呼びかけに反応できないのはいつも通りと言うことでしょうか?」
ヘルパー「はい、そうです」
隊長「Sさんへの処置や搬送する医療機関に関してご家族のご希望はありますか?」
ヘルパー「はい、ここにあります」
ヘルパーさんが持っていたファイルを見て説明してくれました。介護施設では介護職員が多くの利用者を受け持っています。職員が利用者一人一人の病歴やかかり付け病院などを記憶できる訳もなく、個人情報が記載されている書類をこのようにファイルしてあります。
施設によっては入居する際に家族との約束事や意向を書類で残してある場合があります。この施設で使用されていた書類はアンケート項目の質問に対して「はい」や「いいえ」にマルが付いており、家族の書名・捺印がされているものでした。その質問項目のひとつにこのようなものがありました。
「利用者が生命に関わるような状態になった際、積極的な医療処置を望みますか」マルが付けられていたのは「いいえ」でした。
隊長「…なるほど、ご家族のご意向はSさんに負担をかけるような、そういう事はしてほしくないと…、そう理解して良いのでしょうか?」
ヘルパー「はい、Sさんはもうご高齢ですし、その時が来たら無理な処置などはしないで『自然のままに』と仰っていました、延命は望まない、この書面はそう言うことです」
高齢化社会が進んでいく中、すべては救命のために、今こそ救急救命士として救命のために全力を尽くす時…なのかどうかを確認する必要があります。そして、すべては救命のためになんて尽くさないでくれ、そんな現場も多いのです。
隊長「分かりました、施設の提携病院がありますよね?」
ヘルパー「はい、それが…ベッドがないからと断られました」
隊長「分かりました…ご家族に連絡は取れていますか?」
ヘルパー「それが…深夜でどなたとも連絡が取れないのです」
隊長「そうですか…それは困ったな…」
機関員「これは…搬送先なんて簡単には見つかりませんよ」
隊長「ああ、そうだな、車内収容して本部に選定困難事案として協力してもらう」
機関員「了解しました」
提携施設の方が具合が悪くなった場合、受け入れるために設けられている提携病院なのですが、制度があってもそれが機能するかは別の話です。今回の介護老人福祉施設の提携病院はスタッフが連絡を取ったのですが、すでに断られていました。
傷病者の状態は非常に悪い、Sさんはもともと重度の認知症がある方で意識の判断は難しい方でした。SPO2は70%代、聴診では両肺から明らかな雑音、重度の呼吸困難の状態、生命に関わるかもしれない…。
プロトコールに従えば緊急度も重傷度も共に高いと判断し高度な救命処置ができる3次医療機関を選定し搬送すれば良い、これが正論です。しかし、プロトコールには「家族の意向に配慮する」とも記載があるのでした。
Sさんは100歳も近い高齢者、これまで生命に関わるような大病をいくつも患っており、その後遺症、認知症で寝たきり状態の方でした。家族からは明確に延命処置の辞退を示す書類が用意されていました。救命を主眼とする医療機関への搬送は不適切でしょう。
近くの2次医療機関を選定することにしました。選定困難な状況が見込まれることから、救急隊は早々に本部に連絡を取り一緒に受け入れ先を探してもらうよう依頼しました。
病院選定
機関員は救急病院への連絡を続けています。
機関員「…という患者さんなのです受け入れいかがでしょうか?」
看護師「救急隊さん、その患者さんの状態では2次選定では無理でしょう?」
機関員「高度医療は望まないとのご家族の署名入りの書類があるのです」
看護師「そうですか…確かに3次に搬送するべき患者さんではないとは思うけど、う〜ん…」
機関員「そちらで受け入れていただけませんか?」
看護師「医師にも確認したのですけど、その状態では入院させない訳にはいきませんし、しかも一般病棟と言う訳にもいかないって、当院では対応できません、ごめんなさい」
隊員は本部と交信しています。
隊員「★病院は受け入れ不能、現在まで7医療機関から収容不能の回答です、そちら選定状況いかがでしょうか?」
本部「現在、△病院に連絡中、なお⚪︎病院他4病院は受け入れ不能との回答でした」
隊員「了解です…」
断られてしまう理由としてはベッドが満床であること。確かにこの方を入院させない訳にはいかないでしょう。さらにこの状態、いくら延命を望まないと言っても安定している方と同じ病棟と言う訳にはいかないでしょう。ICUやそれに準ずるような管理ができる環境が必要となります。
さらに処置の問題、家族の「自然のままに」とはどのようなこと?具体的にはどこまでの処置をして良いのか?「処置はしないで良いと書面まであるのにこんな事までやるなんて、私たちはそんなことを望んでいなかったのに」または「いくら書面があるからって何もするなと言う意味ではなかった、もう少し処置をしてくれたなら私たちは最後の瞬間に立ち会えたかもしれないのに」
どちらもトラブルになる可能性が見えてきます。こんなトラブルにより一生懸命やっている医師や看護師が家族から罵倒されるなんてよく聞く話です…。しかも手薄な深夜の時間帯、当直医1名、看護師も数名、そんな体制の病院ではこのような状態の新規の患者さんの受入れは相当に難しいでしょう。
この深夜に家族と連絡が取れていないのが大きな障壁になっていました。せめて家族と連絡が取れていれば、しっかりとした家族の意向確認があるのならもう少し違うのでしょうが、受け入れ先は決まらないのでした。救急隊も本当に苦しい、どうにか受け入れてほしい。対応不能、受入れ困難、様々な表現があるのでしょうが、それでもこれは「拒否」とか「たらい回し」と呼ぶべきものなのでしょうか?
まだ選定中
深夜の介護老人福祉施設の駐車場、動くことのできない救急車、選定を開始して実に1時間が経とうとしていました…。Sさんは救急隊の酸素投与が効いたようで、容態は落ち着いていました。ただ、容態変化があってもおかしくない…。救急隊も焦りの気持ちが高まります、非常に危険な傷病者をこの狭い救急車内で管理し続けなければなりません。引き継ぐべき医療機関は決まらない、終わりが見えないのです。
深夜の活動に肉体的にはもちろん、さらに精神が削られます…。そんな中、救いとなったのが、施設から家族への連絡が取れた事でした。書面に書いてある意向に変更はないこと。病院が決まり次第、すぐに駆けつけてくれることの確約が取れたのでした。これが大きな決め手となり病院が決定しました。
病院到着
医師「家族はすぐに来てくれるの?」
隊長「今こちらに向かっているそうです、この時間ですからそれほどかからずに到着すると思います」
医師「そうですか、分かりました、それにしてもずいぶん遠くから来たね、見つからなかった?」
隊長「ええ…まったく受け入れ先がありませんでした、ありがとうございました」
医師「うちも他の病院と何も変わらないのだけどね…」
救急隊と本部とで選定した選定医療機関数は16、選定時間は約1時間でした。これだけ探して搬送した病院、当然かなり遠くになりました。119番通報から医師に引き継ぐまで2時間近くもの時間がかかりました。
「呼吸困難 重症」
帰署途上
機関員「オレは容態変化するじゃないかと冷や冷やしていましたよ」
隊長「オレもだ…」
隊員「高度な処置を希望するにマルがついていた方がよっぽど苦労がないですよね」
隊長「そうだな、でもだからって今のSさんを3次医療機関になんて搬送したら、先生に相当のお叱りを受けるだろうなぁ」
隊員「そうですね、3次医療機関の目的を考えれば適正な選定とは言えないですものね」
機関員「プロトコールに従わなくてはいけないし、従った選定をすれば先生に怒られて…泣けてくるね」
隊員「でも限りある医療資源に配慮した選定すればプロトコールからは外れてしまう…何かあった時、救急隊はこの身を守ってもらえますかね?」
隊長「さあな?まるで綱渡りだよな…」
隊員「本当ですね、この手の特に施設に入っている高齢者の対応は現場にばかりしわ寄せが来ていますね…救急隊はもちろん、病院にも」
機関員「そうだな、本当よく受け入れてくれたよな?」
隊長「良い先生だった、本当に助かった…」
機関員「このH病院は本当に困った時に助けてくれるんだよな」
隊員「そうですね、前にもどうにか受け入れてもらった事がありましたね」
隊長「でも先生もこぼしていよ、救急隊がとんでもない事案ばかり運んでくるって」
隊員「救急隊は診てくれるならどこからでもやってきますからね」
隊長「こうやって献身的にやってくれている病院が疲弊していっているのも垣間見えるよな、いつか壊れちゃうぜ?」
機関員「でもそこしか受け入れてくれないのなら、行くしかないですからね」
隊員「もし容態変化していたらと思うとぞっとしますね…」
機関員「マスコミが飛びつきそうだね、『16医療機関拒否、またもたらい回し』なんて…」
隊員「そうなっている状況や事情なんてちっとも伝えられないですからね」
機関員「医者が診ないのが悪い、行政の政策が悪い、現場の救急隊が悪いって誰かを悪者にするのに夢中でそれどころではないのだろうさ」
隊員「現場の人間はみんな必死の思いで頑張っているって言うのに酷いものですね…」
今回の事案、傷病者は車内収容した後、ある程度容態が落ち着いたため2次選定し、どうにか受け入れ先が見つかった事案となりました。ただ、あの肩で息をしている危険な状態が続いていたのなら、あるいは途中で3次選定に切り替えて救命センターなどに搬送していたかもしれません。
いつだか2次がないから3次、それは間違っていると指摘を受けた事がありましたが、そんな事は救急隊も本当によく分かっているのです。そんな事を続けていては救命センターのベッド、ICUのベッドはSさんのような患者ですぐに埋まってしまう。
何よりも重きは人命、救急隊はそんな事になんて配慮しなくてよい、ただすべては人命のためにと活動すればよい、それも正論でしょう。でもみなさんは自分や家族が3次医療機関でなくては助けられない重篤な病気や事故にあった際、Sさんのような方や末期ガンの患者など、先がないと分かっている患者でベッドが満床だからと受け入れられなくても納得できるでしょうか?
人命救助を第一とする消防官であると同時に医療従事者の端くれである救急救命士、答えが見つかりません…。救急隊が住民みんなの共有財産であり適正な利用が必要なのと同じように、限りある医療機関もみんなの適正な利用が必要なのです。それはみんなのため、そしていつかの自分のためにもです。
今の高齢者医療の現実にかなり綱渡りな部分を垣間見ています。今回の事案でも綱はギリギリ切れずに済んだ、”たまたま”切れなかった。詳細な内容、状況、背景は詳しく伝えられないため真相は分かりませんが、これまでの「たらい回し」や「受入れ拒否」という表現で伝えられた事案の中には、今回のようなケースが少なからず含まれていると思っています。「綱が切れてしまった事案」が注目され伝えれらていると思うのです。
介護老人福祉施設のお年寄りを扱う際、似たような活動になり苦労することがとても多いです。今回と同じような事案はあちこちで起こっています、たまたま容態変化がないから騒がれないだけです…。誰が悪いのでしょうか?誰が悪いとか、誰かを叩こうとか、そんな事より何より事の真相を確かめ、繰り返さないようにすることの方がずっと大切だと思うのですが…。
今回のこのお話とあわせて読んでいただきたい献身的な病院の評判というお話があります。今回は献身的な病院に受け入れてもらい助けてもらいました。そんな献身的な病院の報われない話をよく耳にします…。こんな事が続いていれば必ず綱渡りの綱は切れてしまうと心配しています。
119番通報する前に1秒だけ考えてほしい、 大切な人がすぐ近くで倒れていないだろうか?今、本当に救急車が必要だろうか?と。
すべては救命のために
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