どうする?隊長の指示は?

救命士のこぼれ話

消防署の仕事は隊単位で進めることばかりでチームワークが重要です。チームワークの醸成には常日頃からのコミュニケーションが非常に重要ですが、出場件数、稼働時間もぶっちぎりの救急隊は交替乗務、ローテーション乗務などと呼ばれる取り組みもあり、いつも同じメンバーで編成できないことも多いです。

初めましてのメンバーであったとしても対応できるのがプロなのですが、それは簡単なことではなく様々な葛藤があります。

朝の事務室

終わる…やっとの激務から解放される…。昨夜も出ずっぱり、ほとんど横になることはできなかった。朝になり交替時間が近づいて来ました。やっと24時間勤務から開放される…さあ、申し送りをして…あれ?今日の救急隊員は?

今日の救急隊長「悪いね~、隊員が遅れるんだ、1時間くらいで来られるらしいから残ってくれよ」
隊員「え”…」
今日の救急隊長「隊長、悪いけど隊員を借りるからね」
隊長「了解!どうぞどうぞ!」

自分は交替できるから軽いよなぁ…うちの隊長…。24時間稼働してからの延長戦、絶望です…。

交替するはずだった今日の救急隊員が子どもの体調不良だとか…1時間ほど遅れて出勤するとのことでした。24時間勤務からの延長戦は本当に辛いのですがそれはお互い様です。それに遅れてくると言っても1時間程度、上手くすれば出場もかからずに…

「ビ~ビ~ビ~!」

なんて訳もなく、この日最初の出場ベルが消防署に鳴り響くのでした…。

出場指令

「救急隊、消防隊出場!⚪︎町⚪︎丁目…W方、高齢男性は呼吸困難、通報は妻から」

重症と推定できる内容に救急隊と消防隊とのペアでの出場です。

機関員「あ〜あ…悪いな、頼むよ!」
隊長「明け番なのに悪いな、よろしく!」
隊員「了解です、よろしくお願いします」

消防署を救急車と消防車がペアで出場します。いつも申し送りをする隊長と機関員、明け番の隊員の即席チームでの出場です。119番の通報電話番号に連絡をするも応答なし、情報は得られない。それならば最悪の状態を考えて資器材を準備をしないと…。

隊員「コールバックは応答なし、情報は取れませんでした、CPAまで考えて資器材はこれとこれと…を持って行きます」
隊長「ああ、それで頼む」

普段ならばこんな報告はしない。いつも組んでいるチームならば信頼してもらっているし、隊長の方針は心得ています。しかし、今は即席チーム、分かっているだろうは危険です。丁寧に丁寧に、言葉にしないといけない。阿吽の呼吸はないのだから遠慮することも、遠慮しないことも必要です。その加減が分からない…。

現場到着

Wさんのお宅の前には案内がありました。到着した救急隊に駆け寄ってくる家族からは慌てている様子が伝わってくる。この現場は本物です。

隊長「患者さんはどちらですか?」
妻「こっちです、2階にいます!早く!お願いします」
隊長「案内してください」

Wさんのお宅は2階建てのお宅でした。家の中は片付いているとは言い難く、ただでさえ狭い階段にダンボールなどの荷物が置いてあり、人がひとり通るスペースがやっとあるくらいです。狭いな…このままでは傷病者を運び出せない。

傷病者接触

傷病者は70代の男性でWさん、部屋に坐位、浅くとても早い呼吸、顔面は蒼白、胸を押さえて苦しそうに座り込んでいました。

隊長「どうされました?分かりますか?」
Wさん「ふぅーふぅー息が…ふぅー…苦しくて…ふぅ〜」

これは…起坐呼吸、気管支喘息か?隊長は傷病者に呼びかけている。どうする?隊長の指示は?いつも組んでいる隊長ならどうすべきか分かる。この隊長はまずどうすべきと判断する?遠慮していてはいけない。

隊長「意識レベルは3!酸素…」
隊員「はい…えっと…流量はどうしましょう?」
隊長「高濃度でいけ、明らかな呼吸困難、重症だぞ」
隊員「はい、起坐呼吸、呼気延長もあります」
隊長「消防隊長、サブストレッチャーで搬送、なるべく坐位で搬送したいから廊下と階段の搬送路確保を頼みます」
消防隊長「了解!」

喘息の傷病者には低濃度の酸素投与から徐々に流量を上げていくのが原則です。しかし、Wさんは明らかな呼吸困難の状態、隊長は初めからの高濃度酸素投与を下命しました。別にこの判断ができなかった訳ではありません、いつもの隊長も同じ判断をするだろうし、いつもの隊なら下命など待たないでやる。初めましてのチームで出るべきか引くべきかの葛藤があるのです。隊員はWさんに酸素投与を実施し胸部にAEDのパッドを貼り付けました。

隊員「Wさん、心電図を録りますから動かないで下さい」
Wさん「はい、はぁはぁ…」
隊員「隊長、これ…STが下がっていますか?」
隊長「いや…どうだろう?波形が乱れていてどうにも分からないな…」

苦しそうに肩で息をしているため心電図の波形は乱れどうにも判断がつかない。

隊長「奥さん、Wさんは心臓のご病気がありますか?」
妻「ええ、心臓が悪いです」
隊長「病名は?どこの病院で診てもらっていますか?あと大分ぜえぜえ言っているけど喘息などありませんよね?」
妻「はい、喘息はありません、心臓は…えっと…何だっけな…?えっと…」
隊長「分からないですか?狭心症ではない?」
妻「えっと…う〜ん…分かりません…ねえ何だっけ?先生に何て言われていたっけ?」
Wさん「はぁはぁ…分からない、はあはぁ…心臓は…悪いです」

隊員はバイタルサインの測定とWさんの全身の観察を進めました。起坐呼吸、呼吸困難、呼気延長、一見すると気管支喘息のような症状ですが、首と下腿には…やっぱり!間違いない、これは心臓喘息だ。隊長が家族から聴取している。傷病者は明らかに重傷、これは遠慮している場合じゃないな…下命を待つのは止めよう。

隊員「隊長、頸静脈怒張と下肢浮腫が著明です、心臓喘息ですよ」
隊長「そうだな、循環器だな?」
隊員「はい、そうするべきだと思います」
隊長「ああ、機関員は選定に入れ」
機関員「了解!」

消防隊の協力を得てWさんの搬送を開始しました。救急車に収容する頃には直近のCCUを持つ循環器の専門病院に受け入れ可能の回答が得られました。

医療機関到着

酸素投与が良く効いたようで医療機関に到着する頃にはWさんの強い呼吸苦の症状はかなり改善していました。後から分かった話ですがWさんは10年以上前から心臓を患い、不整脈や狭心症を持っていたようです。他にも慢性的な病気がいくつもあり、家族もどの病院で何を診てもらっているか把握していなかったとのことでした。

隊長がこのように聴取が難しかった情報収集に当たる中、Wさんには喘息のような症状が出ていました。気管支喘息の症状であれば呼吸器を選定します。しかし、実際は心不全から来る呼吸困難の症状でした。心臓喘息は心臓を起因とする喘息のような呼吸困難の症状です。バイタルサイン測定の際に頸静脈怒張や下肢浮腫、呼吸音が湿性であるなど、隊員の方が先に循環器からの症状であると確信を持つことができました。

機関員「悪かったな〜、よりにもよって重症だものな〜」
隊員「仕方がないですよ、容態変化しなくて本当に良かった」
機関員「心臓喘息の判断も早かったし良かったよ、やるね〜」
隊員「ありがとうございます…ただ、隊長に循環器にすべきだとか言うべきじゃなかったでしょうか?ちょっと出しゃばり過ぎたのではと思うのですけど」
機関員「何言ってんだよ?重症の傷病者がいるんだぜ?遠慮なんてしてどうするんだよ」
隊員「ええ、そうですよね」
機関員「うちの隊長はそんなことでガタガタ言う人じゃないから大丈夫だよ」

この症状は心臓喘息だ、循環器で選定すべきだ、そんな進言をしました。機関員が言うようにあの隊長は大丈夫だと思うけれども、中にはおかしなプライドの高い隊長がいるもので「隊員は隊長の下命で動くものだ、判断はオレがする、勝手に行動するんじゃねえ!」なんて怒られることもあり得る訳です。救急車の清掃、再出場体制の準備を進めていると医師引き継ぎを終えた隊長が戻ってきました。

隊長「お疲れさん、助かったよ~、明け番なのに悪かったな」
隊員「いえ、下命を待たないで循環器にすべきとか言ってすみませんでした」
隊長「何言ってんだよ、早い方が傷病者の利益なのだからそんなのどうでも良いよ」
機関員「そうそう、何の問題もない」
隊長「ただ、酸素投与の判断はいけてない、あれだけ明らかな呼吸困難だ、もっと早く酸素だったな?」
隊員「はい…ただ喘息の症状なのか心不全からなのか判断がつかなくて…」
隊長「あれだけの呼吸困難だ、酸素はすぐに最大流量で良かった」
隊員「…そうか、そうですね、勉強になりました、ありがとうございました」

「心不全 重篤」

帰署

消防署に戻ると10時を回っていました。今日の救急隊員が待っていました。

今日の隊員「残ってもらってすみませんでした、よりによって重症だったって?申し訳ない」
隊員「いいえ、勉強させてもらいました」

昨日の活動内容、試用した資器材など、申し送りしました。

隊員「今の事案は著明な心臓喘息でした、隊長からアドバイスももらえたし凄く勉強になりました」
今日の隊員「ふ〜んそう、うちの隊長に怒られなかった?」
隊員「いいえ、全然そんなことなかったですよ、隊長も機関員も優しかったです」
今日の隊員「へえ、そうなんだ、その事案は秒で最大流量で酸素投与だ、オレならもたもたしているって怒鳴られているところかもな…」
隊員「そうなんですか?やっぱり自分の隊員じゃないから隊長も遠慮してくれていたってことでしょうか?」
今日の隊員「うん、多分そうだと思う、うちの隊長も機関員も普段は大人しいけど本物の事案ではしっかりスイッチが入るタイプだから」

遠慮して活動してくれていたのは隊長の方だったのか…。



救急に限らず消防の仕事、特に災害現場での隊活動ではチームワーク、コミュニケーションが非常に大切です。知識・技術に匹敵するくらい「阿吽の呼吸」がものを言います。はじめましての隊でも阿吽の呼吸を発揮しなくてはならないのです。それには遠慮することもしないことも大切で…本当に難しいです。

救急出場件数の増大に伴い一当務を救急隊が3名だけで乗り切ることはめっきり少なくなりました。24時間の間にメンバーが入れ替わることもよくあることです。これは圧倒的に膨れ上がってしまった救急隊の出場、隊員たちの労務管理のため、救急資格者たちで乗り換え乗務を行い救急隊員たちの労務負担を平準化しようとする試みです。

労務負担の平準化というメリットがある一方で、交替乗務のデメリットはチームワークが育てにくくなってきていると言うことが挙げられます。寝食を共にして培ってきたチームワーク、それが消防の伝統でした。でもそれは徐々に崩れつつあります。これも時代かな…。

119番通報する前に1秒だけ考えてほしい、大切な人がすぐ近くで倒れていないだろうか?今、本当に救急車が必要だろうか?と。
すべては救命のために
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