病院までもたないぞ…

緊迫の現場

単隊活動が多い救急隊ですが、火災や救助など災害現場では様々な隊と連携活動する事案もあります。怪我人、急病人の対応は救急隊、火災は放水を担当する消防隊、救助は様々な救助資器材を扱う救助隊、それぞれの隊がメインとなり活動することが多いです。ただどの隊も行き着く目的は同じです。すべては傷病者のために、すべては要救助者のために。どの隊にいても消防官の使命は住民の生命・安全を守ることです。災害現場ではみんなが一丸となり同じ目的のために邁進する。いつもそうなら良いのですが…。

出場指令

「救助活動、⚪︎町⚪︎丁目…高速道路上り車線○料金所付近、トラック同士の交通事故、脱出不能あり」

との指令に救急隊、同じ消防署の消防隊、救助隊など複数の隊が出場しました。これだけの隊が出場する現場、119番通報時点でかなり大きな交通事故であることが予想できる。救助隊、消防隊、救急隊が連なって緊急走行し現場に急ぎます。高速道路の入り口が見える頃には近隣の署所からの隊も集まりました。

現場到着

現場は大型トラックと4tトラックの交通事故、料金所手前で減速した大型トラックに中型トラックが突っ込んだ模様でした。中型トラック前方部は激しく変形していました。救助隊長が激しく変形したトラックにしがみついて叫んでいました。

隊長「あのトラックに傷病者がいるぞ、オレと隊員で現場確認、機関員は他に怪我人がいないか確認しろ!」
隊員・機関員「了解!」

隊長と隊員は最低限の資器材を傾向して大破した中型トラックに向かいます。機関員は大型トラックに向かい他に怪我人がいないのか確認に向かいました。救助隊の資器材準備が進んでいました。トラックは前方部がほぼつぶれており、運転席には40代くらいの男性がハンドルとダッシュボードに挟まれ脱出不能の状態となっていました。腹部には変形したハンドルがめり込んでいました。

救助隊長「要救助者は1名!」
隊長「観察できる?意識は?」
救助隊長「今から救出する、今準備中だから離れて、脱出不能!」
隊長「観察は?隙間から観察できない?」
救助隊長「車両を切って救出する、救急隊は離れろ!」
隊長「自発呼吸は?救助と並行してできる処置は?呼吸があるなら隙間からでも酸素投与を!頸部だけでも固定したい!」

救助隊長は一刻も早く救出を、救急隊長は少しの隙間からでもできる処置を、両隊長がぶつかっている。共に傷病者を思ってのことですが救助と救急の役目の違いから生じている衝突です。こんな時は傷病者ファースト、傷病者にとって何がベストであるかを総合的に判断しないといけません。この時は救助隊長が一歩引く形となりました。

救助隊長「了解!少し待って…、ダメ、救急隊が詳細な観察ができるスペースはない、呼びかけ反応なし、自発呼吸はある」
隊長「了解、傷病者の口元に酸素マスクを、頸部だけでも固定処置は?」
救助隊長「了解!酸素マスクをこっちへ、固定はオレがやる」
隊長「了解!準備は?」
隊員「今、準備中です、少し待ってください」
隊長「急げ!高エネルギー外傷だぞ!」
隊員「はい!救助隊長、酸素マスクです、お願いします!」
救助隊長「了解、ただ頸部固定はやっぱり無理だ、スペースがない、腕が入らない…」
隊員「分かりました、呼びかけても反応もないですね?」
救助隊長「ああ、反応なし!」
隊長「救急隊は車両の横で待機、救出後に全身固定してメインストレッチャーへ収容します」
救助隊長「了解!」
隊長「ここで待機しよう、救助隊の邪魔にならないようにな」
隊員「了解です」

救急機関員が走ってきた。

機関員「隊長!傷病者は1名、大型トラックの運転手さんは怪我ないって」
隊長「了解、機関員は選定に入れ、3次医療機関を抑えて」
機関員「了解です」

まだ救出作業中、詳細なバイタルサインなど全くとれていない状況です。この現場は高エネルギー外傷、緊急性も重傷度も明らかに高いことから3次救命救急センターへの搬送を判断しました。

救助隊長「救急隊、もう少しで救出できる、バックボードを!」
隊長「了解、こっちから差し込むよ!」
救助隊長「そう、そっちから差し込んでくれ!」
救助隊員「ボード掴めました、もっと押して」

バックボードは傷病者の全身を一本の丸太のように固定する資機材です。高エネルギーの外傷では頸髄、背骨の損傷の可能性があります。背骨が損傷された場合、救命できても半身不随になったり首から下が動かなくなったりと社会復帰が難しい状態となってしまうことがあります。

救急隊の使命はただ救命すれば良い訳ではありません。救命はもちろん、目指すべきは傷病者が元通りの生活に戻ること、後遺症なく社会復帰することです。この日、現場で連携した救助隊長は救出の際、最も傷病者に動揺を与える場所で、救急隊の資器材を活用して傷病者にとって最も動揺を与えないで済むようにとても気を使っていました。

救出と同時に救急隊、救助隊が連携して全身固定処置を行いメインストレッチャーに収容しました。

隊長「急げ!詳細観察は車内収容してから行うぞ!」
隊員「了解!」
機関員「みんな協力して、車内収容したらすぐに出発する、救命センターを選定中!」

バックボード上に全身固定した傷病者をメインストレッチャーに収容し搬送を開始しました。砕け散ったガラスや車両の破片に注意しながら救急車に向かってストレッチャーを曳航する。この時には指揮隊が到着しており現場を統制していました。

指揮隊員「要救助者の年齢は?意識は?怪我の部位は?状況は?」
隊長「まだ何も分からない、詳細観察は車内でやるから、高エネ、重症判断している」
指揮隊員「要救助者の身元は?搬送先は?」
隊長「3次病院に行く、受け入れ先が決まったらすぐに向かう」

指揮隊の任務はこの現場の指揮統制、安全管理、情報収集などです。彼も任務を遂行している。でも、ロードアンドゴーの現場、そんなのは後回しだ。

車内収容

救助隊や消防隊の協力を得て救急車に収容しました。すぐさま全身の詳細観察を開始しました。傷病者は相当のスピードのまま大型トラックの後方に追突したと思われます。外観からは変形や出血はありませんでした。意識はJCS100不穏状態でした。呼吸、脈拍はやや速く、血圧は正常値でした。救急車のリアドアが開いていました。

隊長「変形、出血ないな?」
隊員「ないです、ただあの挟まれ方ですから胸部と腹部が…」
隊長「そうだな多分、胸部への衝撃、腹腔内に大分出血がありそうだよな?」
指揮隊員「要救助者の年齢、名前等分からない?」

だから…今やっと傷病者の詳細観察ができるんだって…

隊長「そんなの後だ!保温の必要な傷病者だぞ、そこを閉めろ!」
指揮隊員「…はい」
隊長「分かりしだい連絡するから、▲病院に急ぐよ」
指揮隊員「了解です」

指揮隊員が救急車のリアドアを閉めた。

機関員「搬送先、▲病院、出発しますよ!」
隊長「ああ、忘れ物はないな?」
隊員「大丈夫です」
隊長「出てくれ!」
警察官「待って待って待って!運転手さんの名前分かりませんか?怪我の部位は?状況は?」
隊長「…」

今度は警察官が救急車のスライドドアを開けて静止します。

機関員「搬送先は▲病院救命センター、出発します!」
警察官「待って待って!怪我人の名前は年齢は分かりませんか?」
隊長「そこを閉めて!命に関わる状態なんだよ、もう出発します!」
警察官「あ…すみません」

警察官にも早期に怪我人の身元を確認し対応する使命があります。様々な任務がある者たちが集っていますが、再優先順位は救命です。

隊長「指揮隊には病着後に連絡入れる、警察さんはどうする?一刻も早く出発する、情報なんてここで取っていられない、同乗しますか?」
警察官「分かりました、警察官が1名同乗します」
指揮隊員「▲病院ね、ひと段落したら連絡して!」

現場出発

警察官が同乗して救急車は現場を出発しました。そのまま高速道路を走行して救命センターに向かう。警察官が同乗してくれれば傷病者の持ち物を確認できます。

傷病者「はぁはぁはぁはぁ…」
隊長「頑張ってください、あなたを急いで病院に連れて行くからね」
警察官「あった、免許証があった…ええと…Sさん、顔写真も…間違いないな」

持ち物から傷病者は40代の男性でSさんと判明しました。救急隊の声かけに分かっている様子のない傷病者、浅く早い呼吸がますます浅く速くなっていく。ついさっきまで充実していた橈骨動脈での拍動も徐々に触知しずらくなってきた。時間と共に明らかに血圧が低下している…。脈拍もどんどん早くなっていく。

隊長「出血性ショックだ、病院までもたないぞ…」
隊員「バックマスクの準備します」

病院到着まであと少しもう少し、頑張って頑張ってくれ。…でも、こんな時のベテランの予感は当たってしまうもので…。

傷病者「は~あ…はぁ~あ…」
隊長「Sさん、Sさん、もう少しだよ!頑張って、頑張って!」

深い大呼吸になったと思ったらすぐに呼吸が止まりました。劇的な容態変化でした。

隊長「呼吸停止…」
隊員「…隊長、脈拍も触れません」
隊長「CPR開始しろ」
隊員「はい」

搬送途上、Sさんは心肺停止状態となりました。呼吸も脈拍もほぼ同時に止まりました。

病院到着

隊長「CPAです、容態変化は○時○○分」
救命医「分かった急いで!」

容態変化から数分後に医療機関に到着しました。医師たちによる様々な救命処置が施されていく。しかしSさんが回復することはありませんでした。

「交通外傷 重篤」

 

帰署途上

救急車の清掃、再出場態勢が整う頃にはSさんの死亡が確認されました。

隊員「外傷は怖いです、あっという間に容態が変わる…」
隊長「やっぱり腹腔内に大量の出血があった…」
隊員「出血性ショックですね…」
隊長「うん、間違いない」
機関員「間に合わなかったね…」
隊長「ああ…ただ、あと数分早かったからってどうにかなる状態ではなかったけどな…」
隊員「ええ…それはそうでしょうね…」
機関員「現場でずいぶんと救助隊長とぶつかっていたみたいですね」
隊長「別にぶつかっていた訳じゃないよ、お互いの仕事をしていただけだ、やっぱりあの救助隊長はデキるよな?活動中も救出した後の全身固定まで考えていた、外傷学の知識もあるのだろうな」
隊員「外傷の知識は救助隊にこそ必要な知識ですよね?」
隊長「ああ、ずいぶん時代が変わったよ、昔の救助隊ならあんな連携はできなかった」
機関員「救助隊の中にも救急資格者も増えてきたし、外傷の勉強する者も多いしね」
隊長「救急隊もお互い様だけど、みんな自分の仕事に集中し過ぎてなかなか全体を見渡せないものだな?」
隊員「ええ、救助隊は救助だ救出だ、救急隊は酸素だ処置だ、指揮隊や警察は名前だ情報だって…」
機関員「いつまで経っても課題だよな?」

どの隊にいても目的は同じ。すべては救命のために、要救助者の利益を最優先に活動すべきです。論点なんて存在しない当たり前のことなのですが…なかなか上手くいかないものです。

119番通報する前に1秒だけ考えてほしい、大切な人がすぐ近くで倒れていないだろうか?今、本当に救急車が必要だろうか?と。
すべては救命のために
この記事に対するご意見・ご感想をお待ちしています。SNSでのコメントを頂けると嬉しいです。

@paramedic119 フォローお願いします。