ケーススタディ
「ネットに書いてあったから多分」「テレビでやっていたからきっと」情報が溢れる現代、色々と調べてから救急車を呼ぶ方がいます。そんな余裕がある人たちからの要請は緊急性の乏しく、おまけにかなり的外れなことが多いです。ただ、当たらずともの場合もあって…
出場指令
「救急出場、⚪︎町⚪︎丁目…M方、男性は全身の脱力、歩行困難、通報は母親から」
との指令に救急車は消防署を飛び出しました。ギラつく太陽がアスファルトを溶かしている。まさに猛暑、灼熱の町を救急車が走る。救急車の後部座席から隊員は119番通報があった電話に連絡しました。
119コールバック
隊員「もしもし、そちらに向かっている救急隊です、ご通報いただいたお母さんでしょうか?」
母親「はい、よろしくお願いします、具合が悪いのは私の息子です」
隊員「歩行困難と通報をいただいています、意識はしっかりされていますね?状況を教えてください」
母親「はい、体調が悪くこの3日ほど仕事を休んでいて、もう歩けないなんて連絡がありまして…」
現場のMさん方は隣の消防署の管内のため到着まで10分以上の時間を要しました。通報者の母親から救急要請に至るまでの経過をしっかりと聴取することができました。
隊員「分かりました、あと数分で到着します、保険証の用意や火の元など出かける支度をお願いします」
母親「分かりました、よろしくお願いします」
隊長と機関員に聴取できた内容を共有しました。
傷病者は20代前半の男性でMさん、3日前から体調不良で仕事を休み自宅で療養を続けていました。しかし、全く良くならないと昨夜に連絡を受けたため、今日は病院に連れて行こうと思い母親が訪ねてきたのでした。近所の病院に連れて行こうと思ったが、一人では歩けず、母親は連れて行けないからと救急要請したのでした。
隊員「…と言うことだそうです」
隊長「ふ〜ん、一人で歩けないって?」
隊員「はい、トイレはつかまり歩きで行けていたそうですけど、相当によろけているみたいです」
隊長「20代前半で?病気はないって?」
隊員「はい、病気は何もないって、ガソリンスタンドの社員だそうで元気な方だそうです」
現場到着
指令先のアパートの前には若い男性と手を振る女性の姿がありました。
機関員「何だ…出てこれているじゃないか…」
隊長「一人で歩けないってことはなさそうだな」
二人の前に救急車を停車しました。傷病者の男性はMさん、日焼けした肌にがっちりした体型、健康な若い男性にしか見えません。
隊長「ご通報いただいたMさんですね?」
母親「はい、この子です、お願いします」
隊長「我々が支えれば、ご自身で救急車に乗り込めますか?」
Mさん「はい…手を貸してもらえれば大丈夫です、すみません…」
隊員が手を貸し、Mさんは自身で救急車に乗り込みストレッチャーに横になりました。一人で歩けないと言うことはないけれども、確かにヨロヨロしており生気がない。いつかの仕事に行きたくない病だろうか?
隊長「こんにちは、Mさん、お電話で聞いていますが、お話の続きを聞かせてください」
Mさん「はい、分かりました」
隊員「私は血圧など、お身体の状況を確認させてもらいます」
Mさん「はい、お願いします」
Mさんの意識状態は晴明、体調不良が始まった3日前から今に至るまでの経過をしっかりと説明できるのでした。バイタルサインも全く問題ありません。
隊長「なるほど、ご自身としては熱中症だろうと?」
Mさん「はい、店長も熱中症だろうから涼しいところでしっかり水分を摂って休養するようにと早退して…それから3日も経つのに良くならなくて…」
隊長「この3日間、全く改善しない?」
Mさん「はい、全然良くならないです、部屋も涼しくしていたし、水分も充分に摂っているのに、何か病気なのかと思って…それで昨日母に連絡したんです」
隊長「なるほど、そうでしたか…」
Mさんの職場はここから近くのガソリンスタンドです。幹線道路沿いにある大型店で仕事はとても忙しい。ガソリンスタンドの一部には屋根がなく、直射日光が床のアスファルトをいつも焼いている。高温多湿環境での大声を出しての接客、ピットでの作業はさらに熱が籠る環境なのだそうです。この時期には毎日相当量の汗をかいています。
Mさん「こんな職場なのでみんな相当に気をつけています、1時間ごとに涼しい休憩室で休憩を回しているし、その度に水分も十分に摂っています」
隊長「ただこの炎天下ですからね、熱中症は確かに十分あり得ますね」
Mさん「はい、実はアルバイトがそれでも熱中症になってしまったことがあって、だから店長も熱中症だろうとすぐに早退させてくれました、翌日には回復すると思っていたのだけど…全然良くならないんです」
母親「あのう…ちょっと良いですか?」
隊長「はい、何でしょうか?」
母親「私は…多分、糖尿病なんじゃないかって思うんです」
隊長「糖尿病ですか?息子さんはこれまで何もご病気はないのですよね?」
母親「はい、何もないです」
隊長「何か心当たりがあるのですか?ご親族に若年期に1型と呼ばれる糖尿病になったとか?」
母親「いいえ…そういう訳ではないのですが…ネットで調べてみたら症状とかが糖尿病じゃないかって…」
隊長「はあ、そうですか…」
Mさんは強い喉の渇き、酷い脱力・倦怠感、吐き気の症状を訴えていました。20代前半の元気な男性が糖尿病?ネットで調べたから、か…。もちろん可能性はゼロではないけれども…。テレビで見たから、ネットで調べたから病院で調べてほしいという要望はよくあります。救急車も病院の救急部門も緊急に対応するためのもので役割が違います。精密検査を受けたいのなら通常の外来にかからないといけません。
隊長「足がつってしまったり、熱が出たりはありませんでしたか?この3日間はしっかり療養しましたか?」
Mさん「はい、部屋もずっと涼しくしていたし休養は充分です」
隊長「水分はどのぐらい摂れていますか?」
Mさん「仕事の時は1日に最低でも6リットルは飲んでいると思います」
隊長「それは確かに十分に飲んでいますね」
Mさん「はい、いつも出勤する時には2リットルのペットボトルを2本買って、店でも追加で買っているし相当に飲んでいると思います」
隊長「そうですね…」
母親「あのう…すみません、やっぱり糖尿病なんじゃないかって、部屋を見てそう思ったんです」
隊長「部屋を見て?何か気になることでも?」
母親「この子の部屋…もう全然、掃除ができていなくて、ゴミだらけなのですけど、すごい量のペットボトルが散乱していて…」
Mさん本人は熱中症だと思って療養を続けていた。母親はMさんの症状などから、ネットで調べて糖尿病ではないかと訴えている。そう思った要因は部屋に散乱しているペットボトルなのだと言うのでした。日焼けした肌、がっちりした体型、元来健康な若い男性が糖尿病?かなり懐疑的に思っていた救急隊だったのですが…。
母親「…だから糖尿病になったと思って」
隊長「なるほど…これは十分にあり得るな?」
隊員「はい、十分あり得る話です」
隊長「Mさん、お部屋を見せてもらって良いですか?」
Mさん「ええ構わないです、散らかっていますけど…」
隊長「お母さんが立ち会ってもらえますか?ちょっと見てきてくれ」
隊員「了解です、お母さん、一緒にお願いします」
母親「はい、分かりました」
隊長は救急車で傷病者管理を継続し、隊員と機関員は母親と共にMさんの部屋の確認に向かいました。クエスチョン編はここまでです。ヒントは夏の炎天下、高温多湿環境下の職場、熱中症予防のための十分な水分補給、元来健康な若い男性、傷病名は何でしょうか?続・糖尿病だと思うんですに続く。
119番通報する前に1秒だけ考えてほしい、 大切な人がすぐ近くで倒れていないだろうか?今、本当に救急車が必要だろうか?と。
すべては救命のために
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