緊張性気胸、時間との勝負だぞ!

緊迫の現場

例えば末期癌は−?癌は死に至る怖い病気であるが数ヶ月、数年をかけて全身に転移していくので…重症度は高いが緊急度は低い病態と言える。では指が切断していたら−?すぐに処置を行わなければ接合はできない。でも指が一本失われることで命に関わる可能性と言えば…緊急度は高いが重症度は低い。

救急隊はこんな風に傷病者の病態を緊急度と重症度で判断します。特に緊急性が高い代表とも言えるこの病態は、様々な研修や教養で決して見逃してはいけないと叩き込まれた。でも出会うことは滅多にない。緊急度も重症度も共に高い超・救急事態の現場の話です。

出場指令

既に日付が変わった深夜の時間帯、消防署に指令が鳴り響きました。

 「救急隊出場、⚪︎町⚪︎丁目、⚫︎街道上、乗用車同士の交通事故、怪我人がいる模様」

との指令に救急隊は出場しました。⚫︎街道は片側一車線、法定速度は40km/hです。昼間は交通量も多く、慢性的に混雑しておりあまりスピードを出して走行できる道ではありません。この時間帯もあり道はガラガラ、現場までは1kmほどですぐに到着できました。

現場到着

機関員「手を振ってる!案内人あり」
隊長「乗用車と…タクシーだな、2台とも歩道に乗り上げているぞ」

これは…思っていたよりずっと大きな事故のようでした。事故車両の周りに5、6人がおり。みんな手を振っていました。その様子が只ならぬ雰囲気を伝えてくれる。間違いない、この現場は本物です。隊長と隊員が救急車を飛び降りました。

案内人「こっちです、タクシーの運転手さんの意識がないみたいで、早く!」
隊長「分かりました!他に怪我人はいませんか?」

現場はタクシーと乗用車の交通事故でした。2台とも歩道の花壇を突き破って歩道に乗り上げていました。タクシーの前方と運転席側は大破しており、内部に運転手がハンドルにもたれかかるようにして座っていました。明らかな高エネルギー外傷です。

傷病者接触

タクシーからは何やら液体が漏れ出していました。

隊長「ガソリンじゃない、ラジエター液だ、機関員は現場全体の確認、他に怪我人がいないか、他に事故車両がないか確認、隊員は高濃度酸素の準備、ロードアンドゴー!オレが傷病者観察に当たる」
隊員・機関員「了解!」

タクシーは大破しており運転席側のドアは開かない。隊長は助手席側のドアを開けて傷病者に接触しました。隊員は頸部固定用のカラーを隊長に手渡し、酸素投与の準備を始めました。

機関員「この事故を見た方はいますか?他に怪我をしている人はいますか?」
案内人「この人も怪我人です」

案内してくれた男性に手を引かれて若い女性が歩いてきました。

機関員「あなたは?乗用車に乗っていたのですか?」
女性「はい…運転していました」
機関員「乗用車には他に誰も乗っていませんか?脱出できない人はいませんか?」
案内人「はい、乗っていたのは私だけです」
機関員「あなたはこの事故を通報してくれた方でしょうか?他に怪我をしている方はいませんか?」
案内人「はい、僕が通報しました、詳細は分からないけど…歩いていたらすごい音がしたので振り返ったらこんな風になっていたので…」
機関員「タクシーには乗客はいませんでしたか?」
案内人「ええ、乗っていなかったみたいですよ」
機関員「隊長、こちらの女性が乗用車の運転手さん、怪我はしているけど自力で車から降りて歩行も可能、こちらの男性が通報者、他に怪我人はいないって、タクシーの表示も空車になってる!」
隊長「了解、タクシーの運転手さんを扱う、救出最優先、説明を!」
機関員「了解です、ごめんなさいね、今はあなたの処置はできません、ご覧の通りタクシーの運転手さんがどう見ても重症です、あなたを搬送する救急車はすぐに手配します、申し訳ないけど我々はこちらの方を優先します、ご理解ください」
女性「はい…分かりました」
機関員「車から離れて、安全なところで待っていて下さい」

詳細な観察はできませんが彼女は自力歩行可能、1分1秒を争う状態ではないでしょう。

隊長「応援を入れろ!」
機関員「了解、救急隊と活動支援に消防隊も応援をかけます」
隊長「ああ、頼む!ハサミを出せ!シートベルトを切らないと出せない、後ろに回れるか?」
隊員「了解、やってみます」
機関員「救急隊です、消防隊、救急隊を応援要請、本件は高エネルギー外傷、事故の概要は…」

隊長と隊員が傷病者救出へ、機関員は本部に応援要請を入れました。

隊員「隊長ダメです、運転席側は前も後ろも開かない…」
隊長「助手席側から回り込め」

大破したタクシーのドアは助手席側のみが開く状態でした。助手席のシートを倒して隊員が傷病者の後ろに回ります。大破し変形したタクシー車内に隊長、隊員、傷病者の男性が3名、活動はとても窮屈です。タクシーの助手席には運転手さんの顔写真入りのネームプレートがありました。

隊員「隊長、Hさんです、そこに表示されている」
隊長「Hさん、Hさん分かりますか?返事をして?」
Hさん「うぅううぅうう…」

Hさんは苦悶の表情、浅く早い呼吸で唸っていました。呼吸はいびきのような音がしています。気道が閉塞しつつあるのでしょう。意識レベルはJCS100不穏状態。カラーで頸部固定、シートベルトを切断して…なかなか切れない…。

隊員「隊長、足が挟まっているけどオレ達だけで出せますか?」
隊長「そうだな…これは無理かも…、機関員、救助隊もだ、出せないかもしれない!」

本部に連絡中の機関員がうなずいた。シートベルトが切れた。

隊長「まず出すぞ、気道確保が優先だ!」
隊員「分かりました」

救急隊単独の出場、マンパワーが足りない、まず出さないとどうにもならない。さらに傷病者のいびきのような呼吸状態、早くこの狭い空間から救出し気道を確保しないといけません。運転席を倒し、隊員がHさんの脇から手を入れて抱え込みます。

機関員「応援要請はOK!救助隊も呼びました、医療機関は救命センターを抑えてくれって本部に頼んだ」
隊長「了解、ストレッチャーは準備できてる?」
機関員「事故車両の後ろに、ここまでは持って来れない、バックボードはここにあります」
隊長「バックボードは差し込める?」
隊員「多分ギリギリいけます、助手席側から差し込んで頭側から滑らせて出すイメージ、ただ、足が抜けるかどうか…」
隊長「了解、それで行こう、Hさん頑張って、今からあなたを救出します!」
隊員「Hさん、腕を持ちます、引っ張ります、痛くても頑張って!」
隊長「いいぞ、引っ張れ!足が挟まってる…、もっとそっちへ引けるか?よし、それでいい、出せるぞ!」
隊員「痛てて…これでギリギリです…もっとドアは開かないですか?」
機関員「これ以上は無理、いいよ、支えてる、そのまま引き出して!もっと左へ引け!」

どうにかして救急隊3名で救出することができました。救急車のヘッドライトが照らす路上で、傷病者をバックボード上に全身固定します。隊長はHさんの頭部保持、隊員が全身観察、機関員が固定処置を実施しました。Hさんのシャツは血に染まっていましたが出血量はそれほどでもない。どこからだ?どこから出血している?徐々に消防車のサイレンが近づいてきた。

隊員「今からあなたの身体を触ります、分かりますか?」
Hさん「ううぅぅうぅぅう…」

隊長「派手な出血に目を奪われるなよ、重要なのは頭部と体幹だ、全身固定が済んだらすぐに車内収容、ここじゃそもそも見えないだろ?」
隊員「はい!」

外傷の際の全身観察は頭の先から足の先まで順番に確認漏れがないように進めます。後頭部には指が2本ほど入るような大きな創がありました。かなりの出血がありますが動脈性のものではない、緊急に処置をする必要はない。さらに全身観察を続ける。

隊員「頭部に指が入ってしまうくらいの大きな創があります、Hさん、胸を触ります!」
隊長「四肢は後だ、しっかり体幹部を見ろ!」

Hさんの胸部にはプツプツと弾けるような鈍い感覚がありました。これは…

隊員「胸部全体に皮下気腫、左胸部は恐らく多発骨折です」
隊長「全身固定できた!まず車内収容、ここじゃダメだ、車内収容を優先する」
隊員「了解です」

消防隊が到着した。

隊長「消防隊長、高エネルギー外傷!この傷病者を扱う、もう1名女性の怪我人がいる、あそこに立っているあの人、話もしっかりできる状態、救急隊は応援要請済み」
隊長「了解、お前は救急隊の支援に当たれ!」
消防隊員「了解です!」

救急資格者である消防隊員が救急隊の活動支援に当たりました。消防隊の支援でマンパワーが整った。

車内収容

Hさんの全身観察の続き、救命に直結する処置のみを始めました。この現場は救急隊のみの出場で明らかにマンパワーが不足していました。応援要請の際に状況を報告して、本部に病院を選定するよう伝えてありました。

機関員「車内収容完了、ええ、どうにか救急隊のみで救出できました、救助隊は引き揚げで大丈夫です、病院はいかがでしょうか?はい…はい、了解、▲病院救命センターですね?了解です」
隊長「了解!聞こえたよ、▲病院救命センター、行こう!」

現場出発

緊急走行する救急車内、Hさんの呼吸はますます浅く早く、胸部はさっきよりずいぶんと大きく膨らんできました。聴診器で呼吸音を確認してもとても聞こえずらい。先ほどより皮下気腫も胸部全体に広がってきた。やっぱりこれは…。

隊員「隊長これって…間違いないですよね?」
隊長「ああ間違いない、緊張性気胸だ、時間との勝負だぞ!」
機関員「了解!道は空いてます、あと10分はかからないと思う」
隊長「Hさん頑張って!急いで病院に向かっています、もうちょっとだから、Hさん頑張ってよ!」
Hさん「ううぅぅぅぅうぅぅ…」

もうできることは急ぐこと、声を掛けることくらいです。Hさんの胸は大きく膨れ上がり、呼吸はどんどん苦しそうになっていきました。それでもどうにか呼吸も脈拍も止まることなく病院に到着できた。

病院到着

救命センターの入り口には救命医たちスタッフが待ち構えていました。

隊長「先生、緊張性気胸です、皮下気腫が進行してます」
救命医「本当だね、すごいねこれは…」

Hさんは救命センターの処置室に入るとすぐに医師たちによる救命処置が行われました。相当な重症ですが1分1秒の危機は回避されました。Hさんは脳挫傷、緊張性気胸、さらに血胸、肋骨の多発骨折、腹腔内への出血などがありました。

「多発交通外傷 重篤」

帰署途上

隊員「危ない現場だった…まさにロードアンドゴー…」
隊長「いつ心臓が止まるかと思ったよ…」
機関員「運転していても呼吸様式がどんどん危なくなっていくのが分かった、呼吸が止まったらやっぱりすぐにCPAになるんですかね?」
隊長「多分ね、閉塞性ショックによる心停止だな」
隊員「腹腔にもかなりの出血はあったのですよね?あちこちに骨折もあったし出血量も相当…、出血性ショックからの心停止も充分にあり得たと思います」
隊長「確かにそうだな…」
隊員「まさに時間との勝負、相当の高エネルギーですけど助かりますよね?」
隊長「そうなって欲しいものだな」



緊張性気胸は超・緊急度の高い病態として救急救命士国家試験でも頻出問題となっています。しかし、出会う機会は本当に少ないレアケースです。

今回のような派手な外傷の現場なら分かりやすいのですが、時に自然気胸から緊張性気胸に至るような場合もあり、緊急度が高い傷病者には全く見えないこともあるので要注意です。

まさに緊迫の現場、あと5分搬送が遅れていたらあるいは分からなかった事案でした。こう言う活動こそが救急隊が活躍すべき現場だと思います。

119番通報する前に1秒だけ考えてほしい、 大切な人がすぐ近くで倒れていないだろうか?今、本当に救急車が必要だろうか?と。
すべては救命のために
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