溜息の現場
このお話は第1話「狼少年に殺される」第2話「狼少年は反省しない」の大常習者のGさんのお話です。
医師に怒られた大常習者のGさんは見たこともない迅速な足取りで病院を立ち去った。少しは懲りてしばらくは救急車を呼ばなければ良いのだけれど、そんな思惑は見事に裏切られ、次の日、朝8時過ぎの交替直前に2度目の救急要請がありました。
この年最高の16件目の出場となったこの事案、休憩もとれずもちろん仮眠ゼロでした。一睡もしないで運転し続けていた救急機関員にはもう精気はありません…。
現場到着
常習者のGさんは昨日と同じように部屋の窓から顔を出していました。昨日と同じ、救急車がやってきたのを確認すると部屋に入っていった。アパートの前に救急車を停車するとトボトボとGさんは歩いてきました。
Gさん「…ったく、オレが足が痛いって言っているって言うのに…」
隊長「Gさん、またかい?今日はどうしたの?」
Gさん「だから足が痛いっていつも言って…、あ”…」
隊長「おはようございます、また足が痛いの?」
Gさん「…」
Gさんはいつものように罵声を飛ばすのかと思ったら、隊長の顔を見るとバツが悪そうにする黙ったのでした。同じ救急隊が来るとは思わなかったのでしょう。
Gさん「いや…そうなんだ、足が痛くて歩けないんだ…」
隊長「Gさん、昨日はD病院の先生にずいぶんと厳しく言われてなかった?それでもD病院に行くの?」
Gさん「いえ、D病院じゃなくて…、本当に申し訳ないんだけど、足が痛いので…」
あれ?あれれ??いつもなら「おめえは分からねえヤツだ!」とか「バカ野郎」とか大騒ぎするのにどうしたの?
隊員「Gさん、とにかく救急車に乗りましょう、血圧など計らせてください」
Gさん「ああ、ああ…悪いな…」
車内収容
もちろん歩けない訳はありません。いつものように自ら救急車に乗り込んだGさんは、救急車の座席に座りました。
隊長「今日も足が痛いの?」
Gさん「足が痛いんです、病院に連れて行ってもらいたいんです」
隊長「今日もD病院で診てもらいたいの?」
Gさん「いや、いいえ…、D病院はちょっと…」
隊長「何で?いつもD病院で診てもらっているじゃない?昨日もすぐに診ないって怒っていたじゃない?整形外科ならD病院で診てもらいたいのでしょ?」
Gさん「いや…D病院じゃないところで…」
「だから言ったでしょ?D病院には行きたくないって言うだけで、この人は何も変わらない」機関員の目がそう訴えている。穏やかな口調を保っているが隊長が放っている空気がこの活動を支配している。隊員も機関員も出る幕がない。
隊長「ねえ、Gさん、昨日はD病院の先生にあれだけ厳しく言われたでしょ?その後、どうしたのですか?」
Gさん「あの後、なけなしの金をはたいてタクシーに乗ってK病院に行ったんだ、だから今日はK病院に連れて行ってもらいたんです」
隊長「そうなんだね、自分で病院に行ったんだね、K病院ではなんだって?」
Gさん「いや…ええと…」
隊長「D病院にずっとかかっているのだから先生の言うことを聞いてお薬をちゃんと飲むようにって?」
Gさん「…」
隊長「Gさん、D病院の先生は言っていたよ、ちゃんと診察しているって、検査もしっかりやってお薬も出しているって、あなたはそのお薬を飲んでいるのでしたっけ?」
Gさん「…」
隊長「今日は何で救急車を呼んだの?昨日、怒こられたからD病院には行きたくないのでしょ?」
Gさん「本当に救急隊の人には申し訳ない、あなたたちは何も悪くない、本当に申し訳ない」
ひたすら低姿勢のGさん、本当にどうしたのでしょうか?
隊長「Gさん、どうしたの?いつもなら「この野郎」とか、「オメエら」とか言うじゃない?昨日、先生に怒られたからやり方を変えたの?」
Gさん「…」
隊長「ねえGさん、あなた昨日も私たちがD病院に搬送した、先生も言っていたでしょ?あなたがこんな風に救急車を使ったら本当に必要な人が死んじゃうって、今もこの近くで誰かが死にそうになっているかもしれない」
Gさん「それは…」
隊長「ふぅ…もうこんなことはやめていただけませんか?救急隊は命を助けるためにあるんだ!」
静まり返る救急車内、隊員も機関員もGさんも黙りこくる。言葉こそ丁寧だが、隊長は怒っている。
Gさん「…病院は行かないです」
隊長「ふぅ…行かなくて大丈夫なの?救急隊はあなたが病院に行く必要があると言うなら行かなくて良いと言えないし、そんな事は言わないよ」
Gさん「大丈夫だ、もう少し様子をみます」
隊長「そうですか、分かりました。あのね、Gさん、これからは今までみたいに救急車を使わないでね、昨日先生が言っていた様に、本当に困っている人が使えなくなっちゃうんだ」
Gさん「そうだな…」
隊長「救急隊はあなたが本当に困った時には全力であなたを助けるよ、あなたの呼吸が止まっていたら人口呼吸をするし、心臓が止まっていたら一生懸命心臓マッサージする、私が持っている知識も経験もあなたの命のために全力で使う」
Gさん「うん…」
隊長「だけど…あなたがこんなこと続けていたら狼少年になっちゃうよ、あなたの命が本当に危ない時に、今日もまたかって、誰も信じなくなってしまうよ」
Gさん「そうだな…分かった…」
こんなこと続けていたら狼少年になっちゃうよ。Gさんは本当に分かってくれたのでしょうか?
「不搬送 傷病者辞退」
引揚途上
16件目の活動、本人が搬送を辞退して終了。…終わった、終わった…本当に疲れた。申し送りを終えて今日の活動の報告書等々、事務処理がある。事務室でその処理をしている中、ポンプ隊員たちが申し訳なさそうに帰っていく、なんて恨めしいのでしょうか。シャワーを浴びに行ったのか隊長がいない。
隊員「それにしても今日の隊長、今までで一番の大迫力でしたね、オレは出る幕がないって感じでした、これに懲りてさすがのGさんもしばらくは呼ばないでしょ?」
機関員「ふん…甘いよ、甘い!隊長には悪いけどあの手の人たちはよく知ってるんだよ、119したってオレたちがいつも行くわけじゃないのだから…変わらないって、今回はたまたまうちらが来ちゃったから都合が悪かったんだ、絶対に変わらない」
隊員「ふぅ…まあ、確かにそうですね…」
出場指令
この日1件目の出場指令が流れました。申し送ったフレッシュな救急隊が車庫に走っていった。
「救急出場、⚪︎町⚪︎丁目…G方急病、腹痛、本人から」
機関員「はぁぁ…な?」
隊員「はぁ…本当だ、何も分かってないや…」
後日、状況を聞いたところGさんは何も変わらない様子でした。いつものように不平不満を訴え病院でも横暴な態度で看護師を罵る。
ただ、変わったこともありました。D病院だけはダメだ、あの病院意外に連れて行けと訴える。そして、うちの隊が駆けつけ隊長の顔を見ると「すみません、申し訳ない」を連呼するようになったのです。私たちの隊が駆けつける時だけ手口をかえる狼少年、現実は何も変わりませんでした。
残念ながら常習者と呼ばれる人は不思議なことにどの町にも必ずいるのです。ほとんどの方が一生に一回使うか使わないかの救急車なのですが、彼らは救急隊と顔馴染みです。
119番通報する前に1秒だけ考えてほしい、 大切な人がすぐ近くで倒れていないだろうか?今、本当に救急車が必要だろうか?と。
すべては救命のために
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