こんな私にあんたたちがしたんでしょ!

仰天の現場

救急隊が駆け付ける先は社会問題のるつぼです。そんな問題や課題も少しずつ改善していく。一歩一歩の改善が繰り返されて、そんなことが課題だったこともあったねと過去のものになっていく。でも、もう何十年も解決されないままの棚上げの問題もあって…。

出場指令

暖かい日差しが降り注ぐ消防署に出場指令が鳴り響きました。

「救急出場、⚪︎町⚪︎丁目…⚪︎号室、M方、女性は詳細不明なるも具合が悪いもの、なお付加情報あり」

付加情報とは、出場指令には載せることのできない内容を出場隊に個別連絡してくることを言います。消防署には手続きなどで来ている住民たちもいる訳で、とても聞かせられない内容であったりします。119番通報を受けた消防指令センターから連絡がありました。

指令員「要請内容ですが、女性からの通報です、気分が落ち着かずここにはいられない、どうにかしてくれとかなり落ち着かない様子があります」
隊長「なるほど、主訴は不明と…精神科疾患ですね」
指令員「ええ、おそらくは…」
隊長「暴れているなんてことはありませんか?」
指令員「ええ、突然声を荒げたりする様子がありましたので活動には十分に注意してください、必要なら応援を呼んでください」
隊長「了解です」

一筋縄ではいかない現場であるとしか思えない…。精神科疾患の方を扱った際、多大な時間を要するケースがあります。これには様々な要因があります。まずひとつに傷病者自体の問題、「何となくイライラする」など主訴事態がはっきりしないことがあります。

119コールバック

救急車の後部座席から隊員は119番通報があった電話に連絡を入れます。

隊員「救急隊です、患者さんはあなたですか?」
Sさん「はい…」
隊員「どうされましたか?」
Sさん「どうしたって!?苦しいから救急車を呼んだに決まっているじゃない!何言ってんのあんた!」
隊員「…」

傷病者は電話口で激昂し大声をあげ始めました。隊員はそれでも穏やかに話かけ罵られながらも少しずつ情報を集めました。指令先の⚪︎号室はM方でしたが、傷病者は20代の女性でSさん、落ち着かない様子で声を荒げています。バリバリ…バリバリバリ…何かが壊れるような、潰れるような音がしている。

隊員「救急車はそちらに急いで向かっています、何が苦しいのか、どうして救急車をお呼びになったのか教えてください」
Sさん「そんなの分かる訳ないじゃない!何言ってんのよ!」
隊員「落ち着いてください!ちょっと、もしも~し?」

電話が切れた…。状況を隊長、機関員に説明する。

隊員「詳細は分かりませんけど、バリバリと何やら潰れるような壊れるような音がしていました、ひょっとしたら暴れているかも…」
隊長「そうか…それならば応援を入れないとな」

傷病者が暴れている可能性があると判断して、警察官を要請しました。

現場到着

救急車を指令先のマンションの前に停車して部屋に向かいます。⚪︎号室の表札は指令の通りM方です。まだ昼過ぎの時間、天気も良い暖かい日でした。

隊長「こんにちは!救急隊です、ドアを開けてください」
Sさん「…」

ゆっくりとドアが開いた。隙間からこちらを覗き見た女性はバタバタと走り出し奥の部屋に行ってしまいました。彼女がSさんでしょう。

隊長「資器材は玄関に置いておこう」
隊員「了解です、その方が良いですね」

持ってきた資器材は玄関に置いておく事にしました。Sさんは電話に応答でき、ドアを開け、走って奥の部屋に行くことができる。1分1秒を争う事態でないことは明らかです。

彼女が突然暴れ出した場合、救急隊は身を守らなくてはならない。その時には資器材は邪魔になるし、壊されてしまう可能性だってある。無理に携行する必要はないとの判断です。

隊長「失礼します、Sさん、どうされましたか?お部屋にあがらせてもらいますよ」
Sさん「…」

Sさんがいた部屋は6畳の和室が2部屋続いていました。真昼間で外は晴天だと言うのに、窓には厚いカーテンがひかれており部屋は薄暗い。部屋はとても散らかっていて服や雑誌、ゴミなどが散乱していました。中でも気になったのがペットボトルが数百本と並んでいました。この薄暗い部屋の奥、Sさんの表情は分かりませんでした。

隊長「Sさん、どうされましたか?救急隊です」
Sさん「苦しいから呼んだに決まっているじゃない!」

Sさんは部屋の奥にあるベッドに座っています。

隊長「何が苦しいのか、どこが苦しいのか、お話を聞かせてください、それから血圧なども測らせてもらわないと…救急隊はあなたをどの病院にお連れしたら良いか分かりません」
Sさん「…」
隊長「このお部屋は暗すぎて何も分からないからカーテンを開けさせてもらいますよ」
Sさん「ダメ〜!カーテンは開けないで!」
隊長「カーテンはダメですか?」
隊員「Sさん、血圧の他にも測らせていただかないといけないことがあります、真っ暗なお部屋じゃ何もできません」
Sさん「ダメ!カーテンは開けないで…津波が来る…」
隊員「分かりました、それなら電気を点けさせてもらいます、良いですね?」
Sさん「…」

Sさんはとても痩せていて、奥の部屋のベッドの上に座り込みこちらを睨んでいます。

隊長「Sさん、どうされたの?とにかくこちらに来てください、よくお話を聞かせてもらわないと」
Sさん「…はい」

Sさんはムクリと立ち上がり、玄関付近まで来てまた座り込みました。手にはペットボトルとマグカップが握られていました。

傷病者接触

隊長「どうされましたか?」
Sさん「どうって…それが分からないの!何か…もう…ひとりじゃいられなくって…」
隊長「どこか苦しいとか痛いとかありませんか?」
Sさん「別に痛いとかそう言うことじゃなくて…とにかく…もうどうにかしてよぉ!」

Sさんはとにかく落ち着きません。彼女が精神的な症状で苦しんでいることは分かります。救急隊も病院を選定する過程で主訴が分からないままと言う訳にはいきません。

隊長「Sさん、今一番苦しいのは何?それを教えてくれる?今、治療中のご病気とかかっている病院も教えてください」
隊員「こちらの手で血圧を測らせてください」
Sさん「⚫︎県の⚫︎病院の精神科で…うつ病の薬…飲んでいます」

⚫︎県の⚫︎病院…聞いたこともない。少なくとも高速道路で4時間以上はかかる。かかりつけの病院への搬送は無理です。手首には過去に繰り返したであろうリストカットの傷痕がありました。

隊長「⚫︎県の病院ですか…、こちらでかかっている病院はありませんか?」
Sさん「はい…」
隊長「Sさんは⚫︎県の方なの?今はどうしてこちらにいるのですか?」
Sさん「ここは彼の家で、しばらくこっちに来ています」
隊長「そうですか、彼氏はどうしたのかな?今はお仕事ですか?」
Sさん「はい…今日もきっと夜中まで帰ってきません」
隊長「そうですか、それは寂しいね」

隊長の優しい語りかけにSさんも大分落ち着いてきました。Sさんは会話の間にもバリバリとペットボトルを握り潰しています。電話で聞こえたのはこの音だったのか…。会話の間にもペットボトルのソフトドリンクをマグカップに注いでは飲み、さらに注ぐ、とにかくずっと飲んでいます。急に激昂することもありましたが話を聞き出すことができました。

警察官到着

機関員「隊長、警察の方が到着しました」
隊長「お疲れ様です、今は大分落ち着かれていて、お話を聞いているところです」
警察官「了解です」
Sさん「何で警察なの、私が何したって言うのよ~!」
隊長「別にあなたが悪いことしたからって警察の方が来た訳ではありませんよ」

警察官が駆けつけたことでSさんはまたも不安定に…。それでもSさんはとにかく情緒不安定ですが、危害を加えたり暴れたりすることはありませんでした。駆けつけた警察官を見て興奮状態となってしまうため、玄関ドアを閉めて、機関員が警察官に状況を申し伝えます。

機関員「どうもお疲れ様です、ありがとうございます」
警察官「お疲れ様です、暴れていることはなさそうですね」

傷病者が暴れているかもしれないとの内容にベテランの警察官、その後ろに2人の若い警察官がいました。

機関員「先ほどまで大分落ち着かない様子があったのですが、今は大分落ち着いてきました、現時点では暴れたりすることはなさそうです」
警察官「なるほど、あまり大勢で入ると良くないですね?」
機関員「そうですね、また不安定になる様子がありましたから」
警察官「それでは我々は外にいます、必要があれば呼んでください、大丈夫そうなら私だけがお話を聞きに入ります」
機関員「ありがとうございます、それでお願いします」

流石はベテランの警察官、話が早い。後ろにいる若い警察官の手には警棒が握られていました。警棒はまずい、Sさんがそれを見たらますます興奮してしまう。

警察官「おい!今の救急隊との話を聞いてなかったのか?そんな物はしまっておけ!」
若い警察官「あ…すみません」

上司に怒られしゅんとなる若い警察官、どこの組織も同じ。

まだ彼女の部屋

そんなやり取りの間にも、隊長がSさんの話をゆっくりとじっくりと聞いていました。慌てる必要はない、穏やかに、優しく落ち着いてもらわないと活動は進まない。

隊長「そうですか、では今一番に辛いのは何か落ち着かないことだね、息苦しい感じがするのですね?」
Sさん「そうです…」
隊長「それでは、救急隊は診てくれる病院を探すから辛抱してください、大きな声を出したりしないで」
Sさん「はい、分かりました」
隊長「隊員は機関員と協力して病院に連絡して」
隊員「了解…」
隊長「⚫︎県の実家にはどなたがいるのかな?」

隊長…どこの病院に連絡?何科で選定?大事な指示がない…。新規の精神科の患者を受け入れてくれる救急病院なんてない。落ち着かなくて息苦しいか…内科かな…。隊員は部屋の外に出て機関員と共に片っ端から病院を探し始めました。

医療機関選定

看護師「その方精神科疾患があるのでしょ?かかりつけは無理なの?」
機関員「⚫︎県の病院なのです、ここは彼氏の部屋で具合が悪くなったそうです」
看護師「困ったわね、一応先生に聞いてみるけど無理だと思う」
機関員「ええ、どうにかお願いします…」
看護師「…ごめんなさい、その状況じゃ精神科がないととても無理とのことです」

こんなやり取りを幾つ繰り返したでしょうか。選定を開始して30分経っても受け入れ先は全く決まりませんでした。部屋では隊長とベテランの警察官、ふたりがSさんと話をしていました。

隊長「どうだ?選定状況は?」
隊員「まだ連絡中です、せめてご家族に連絡は取れないかっていう病院はありました」
隊長「ごめんねSさん、診てくれる病院がなかなかみつからないんだ」
ベテラン警察官「ねえ、Sさん⚫︎県のご両親は迎えに来てはくれないの?」
隊長「ご家族と連絡が取れるのならって病院はあるんだ、どなたかいませんか?」
Sさん「無理だと思うけど…」
隊長「ご実家に連絡してみよう、必要なら私が替わるから」

Sさんの⚫︎県の実家に連絡し、病院に行くので必要な場合には対応してほしい旨を伝えることとなりました。病院連絡する際にも付き添いがある、家族に連絡が取れているとでは大違いです。

実家への連絡

実家に電話すると母親が応答しました。これで活動が進んでいくかもしれない。そんな微かな期待はすぐに裏切られることとなりました。みるみる興奮していくSさん。

Sさん「ちょっとあんた!何言っているの?娘が苦しいって言っているんじゃない!?あんた何なの?私がこんなに苦しいから救急隊の人も警察の人も来てくれているのよ!」
隊長「ちょ、ちょっと…Sさん落ち着いて、そんな言い方したらご家族もびっくりしちゃうよ」
Sさん「こいつは何言っても分からないんです、私なんてどうなってもいいって!」
隊長「ふぅ…替わりましょう」

隊長が電話に替わりました。

隊長「Sさんのお母様ですか?救急隊の者です、私たちが病院にお連れしますから、病院から要請があった際には迎えに来てはいただけませんか?」
母親「入院させてもらえるんですか?」
隊長「入院?それは先生が決めることなので診察を受けてからのご判断です、入院にならなくてもご家族が来てくれた方がSさんにとっても良いとのですが…」
母親「買い物に行かないといけないので…」
隊長「え”…買い物?いや、お母さん、お嬢さんが具合が悪いと救急要請しているので…」
母親「猫にも餌をあげないといけないのでごめんなさい…」
隊長「猫?いや…お母さん、救急隊も警察官も緊急事態に対応するためにいるのですよ…」
Sさん「替わります!どうせ買い物に行くからとか猫の餌がとか言っているのでしょ?」

Sさんが隊長から受話器を取り上げた。

Sさん「何なのあんた?買い物?餌?頭おかしいんじゃないの?あんたの娘が救急車で病院に行かなくちゃいけないって言っているのよ、何で買い物なのよ!あんたたちがそんなんだから私がこんな風になったんじゃない!こんな私にあんたたちがしたんじゃない!私なんてどうなってもいいって言うんでしょ!」

興奮したSさんは受話器を投げ捨てるように電話を切った…。

Sさん「いつもこうなんです、私が何を言っても買い物があるとか、掃除があるとか、猫に餌をあげなくちゃならないとか…迎えになんて来たことないんです」
隊長「そうですか…」
Sさん「もう救急隊も警察もいいです、帰ってください」
隊長「そんなこと言わないで、病院を探しているから」
Sさん「もういい!帰って!」

自分で救急要請したSさんでしたが、実家への連絡を機に病院には行かないと言い出しました。隊長とベテランの警察官が根気よく説得し、医療機関選定も続けたのですが、彼女の意志は変わらず何の解決もないまま活動は終わりました。

「不搬送 傷病者辞退」

帰署途上

隊長「彼女の実家、目茶苦茶だよ…」
機関員「そうでしょうね」
隊長「もう娘のことは勘弁してくれ、いつもの事だから救急隊は帰ってくれ、救急隊はそうはいきませんって言うだろ?そうしたらどこかに入院させろって、それから買い物に行かなくちゃいけないとか、猫の餌があるからとか…」
機関員「お母さんも疲弊しているんだな」
隊員「それにしても何の解決にも役にもたてなかったですね」
機関員「仕方ないよ、こんなの現場の問題じゃないよ、診てくれる病院もないし、家族はほっとけって言うし」
隊長「彼女は大丈夫かな?」
隊員「本人が病院に行きたくないって言うのならどうにもならないからなぁ…」
機関員「仮に選定を続けていたとしても、今もまだ病院なんて決まっていないと思うけどな」
隊長「ああ…言えているね…」



精神科疾患に関わる活動は日常茶飯事、一番の課題は受け入れてくれる病院が簡単には見つからないことです。そもそも救急車が対応するのは緊急事態の怪我や疾患です。精神科疾患を起因とした怪我や自損行為への対応はできても、その根本の対応は難しい。救急隊はこういった事案に当たった場合どうすれば良いのでしょうか?

これまで様々な医師とこの手の問題の話をしたことがありますが、具体的な回答は得られませんでした。実際、救急病院の医師たちが対応しなければならない内容であるとも思えない。救急病院の医師や看護師もまさに現場で戦う人間たち、誰もどうにもならないままの課題や問題はいつも末端の現場に負担が行っているのです。

119番通報する前に1秒だけ考えてほしい、 大切な人がすぐ近くで倒れていないだろうか?今、本当に救急車が必要だろうか?と。
すべては救命のために
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