仰天の現場
救急隊ならば普段は知りえない、仕事でなければ行くことがない場所にも出場します。まっとうな生活していれば絶対に行くことがない場所、生涯に渡り関わってはいけない場所ー。
出場指令
「救急出場、⚪︎町⚪︎丁目…⚪︎警察署に急病人、男性は腰部痛動けないもの」
指令が終わると消防指令センターから救急隊長への伝達事項がありました。
指令員「傷病者は留置所にいる方とのことです、警察署の正面に向かってください、案内は依頼してあります」
隊長「了解しました、救急隊は出場します」
出場途上
隊長「…ってことだとさ」
機関員「要するに犯罪者ってことでしょ?」
隊長「まあそう言うことだろうな、あの警察署ってエレベーターはあるよな?」
機関員「あるでしょ?あの大きな建物ですから」
隊長「傷病者は腰痛で動けない、留置所ってメインストレッチャーで行けるのかな?」
機関員「さあ?どうだろう…オレも何度か留置所に出場したことはあるけどどこも狭かったような…?」
隊員「サブストレッチャーも携行していきます」
隊長「ああ、そうしよう」
現場到着
警察署の正面に警察官の案内がありました。誘導に従って警察署裏の駐車場に救急車を停車しました。
隊長「お疲れ様です、案内をお願いします」
警察官「どうもお疲れ様です、こちらにお願いします」
警察官の案内でメインストレッチャーに資器材を載せて警察署の中へ、ロビーを通り抜けて、事務所を通って…さらに廊下、事務所を経て、奥にあるドアが開いた。さらに階段?とても変わった構造、まるで迷路です。
隊長「この階段の上に患者さんがいるのですか?」
警察官「ええ、この上が留置所になります」
隊長「その階まで行けるエレベーターはありませんか?腰部痛で動けないのですよね?」
警察官「エレベーターはありません、この階段を上ってもらうしかないです」
隊長「そうですか…やっぱりサブストレッチャーでないとダメだったな」
メインストレッチャーで来られるのはここまでです。この狭い階段を上るのか…資器材を携行して留置所へと向かいました。この入り組んだ建物の構造、火事があったら果たして大丈夫なのだろうか?逃げやすい家は入りやすい、防犯と防災は相反する課題です。同じ理由がこんな構造にさせているのでしょう。
警察官「救急隊を案内してきました」
留置所の警察官「恐れ入ります、隊長さんのお名前教えていただけますか?」
隊長「はい、私は⚪︎救急隊の隊長で…」
機関員「案内してもらわなければ絶対に分からないよな?」
隊員「ええ、逃げられないようにこんな構造なのでしょうね、まるで迷路ですね」
警察官「×時××分、⚪︎救急隊3名の方が入ります」
留置所の警察官「了解」
留置所へと続く鉄の扉の鍵が開けられました。自分たちで要請し、緊急走行した救急車で駆けつけ、救急隊の制服で活動しているのです。それでもこの厳格な徹底ぶりです。留置所内を進むと鉄格子の中に傷病者はいました。
警察官「ほら、救急隊に来てもらったぞ、どこが痛いのかしっかり説明して」
傷病者「ああ…」
警察官「今、扉を開けます」
隊長「お願いします」
留置所ではひとつの部屋に5、6人が留置されていました。もちろん鉄格子の牢屋になっています。警察官が解錠し部屋へと入りました。同室の人たちが邪魔にならないようにと部屋の隅へと移動した。外国人といかにも反社の風貌の人たちがいる。何か怖いです…。
傷病者接触
傷病者は40代の男性でJさん、腰部の持病がある方でした。昨夜から腰痛がひどくなり、今朝の点呼の際に起き上がることもできなくなってしまったとのことでした。
隊長「Jさん、腰はどの辺が痛みますか?」
Jさん「ここ…この辺が痛い…」
隊長「転倒したり打ち付けたり、何か心当たりはありませんか?」
Jさん「いや…特には…、もともと腰痛持ちなので…」
隊員「シャツをめくって見せて下さい、腰に触りますよ」
打撲痕や外傷はないだろうか。Jさんのシャツをめくると背中から腰、臀部にかけて一面の刺青、皮膚の観察は無理…。
隊員「この辺?この辺りが一番傷みますか?」
Jさん「痛たたた…そう、その辺りが一番痛い」
警察官「もともと腰痛のある者で痛み止めの薬も飲んでいます」
隊長「分かりました、Jさん、痛いところ申し訳ないのですけど、ストレッチャーは持ってこれませんでした、肩を貸すかので少し頑張ってください」
Jさん「分かった…」
隊員「それでは私に捕まって、痛いと思いますけどここに座ってもらえば下まで搬出できます」
Jさん「悪いね、痛たた…」
重たい…。Jさんはしっかりとした体格で90キロくらいはありそうです。たぶん全身に刺青が入っている。恐らくその筋の方でしょう。Jさんをサブストレッチャーに収容し搬送をはじめると、他の部屋にいる人たちが何事だろうかと鉄格子越しにこちらを見ています。
警察官「おい、見世物じゃねえんだよ」
鉄格子の向こう側の人たち「…」
いかにも反社の風貌の人たちが目を逸らした。警察官も…何か怖いです…。
警察官「分かるよな?手錠をかけるぞ」
Jさん「はい…」
さらに腰綱が巻かれ警察官がそれを握る。留置所から出る際にも時間、救急隊3名及び留置人、誰が付き添うかを厳格に記録しました。
医療機関到着
救急車には警察官2名が同乗しました。警察官はストレッチャーに横たわったJさんの腰綱を絶対に離さない。直近の整形外科の病院に搬送しました。腰綱に繋がれた状態で診察が行われました。
「急性腰痛症 軽傷」
帰署途上
隊員「救急隊は色々な場所に行くけれど留置所には初めて行きました」
機関員「オレは留置所は何度か行ったことがあったけれど、まるで迷路だったな?」
隊員「はい…先輩は仕事で?プライベートで行ったんですか?」
機関員「この仕事で行ったに決まってんだろ!お前、ぶっ飛ばすぞ!」
隊長「他の警察署の留置所には行った事はあったけれど、あそこまで分かりづらい場所ではなかった、階段も狭かったな〜」
隊員「あんな所に入れられたら、やっていない事も私がやりましたって言ってしまう人の気持ちが分かりました」
機関員「まっとうな生活をしている人なら、あんな所に入れられたらそうなるよな?」
隊員「チラっとしか見えませんでしたけど、たぶんその筋の人たちがいましたね」
隊長「今の傷病者もあの刺青、その筋の人だろうな」
機関員「入室の時も出る時も記録が徹底されていたな」
隊長「オレも所属とフルネーム、階級まで教えてくれって言われた、何時何分に誰が入って誰が出たのか、誰がそれを確認したのか、厳格に記録していたよ」
隊員「警察では当たり前のことなのでしょうけど、同じ公安職でも消防署よりずっと厳格ですね」
機関員「ところであの人は何で捕まったのかな?」
隊長「さあな?オレも正直気にはなったけれど、救急活動には関係のない話だ」
隊員「そうですね、聞いもて教えてはもらえないでしょうね」
何をしたのかは知らないけれど、仕事以外であんな所には行きたくない、生涯に渡り関わってはいけない場所ー。
119番通報する前に1秒だけ考えてほしい、 大切な人がすぐ近くで倒れていないだろうか?今、本当に救急車が必要だろうか?と。
すべては救命のために
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