溜息の現場
携帯電話はどんどん高機能になりとても便利です。そんな中でその使い方のモラルが社会問題にもなっています。携帯カメラでの盗撮も後を絶ちません。犯罪ではないけども…それって?そんな現場のお話です。
出場指令
辺りが暗くなりはじめた時間帯、消防署に指令が鳴り響きました。
「救急出場、⚪︎町⚪︎丁目スポーツクラブ▲に怪我人、男性は足部を受傷、通報は従業員男性から」
出場先はすぐ近くのスポーツクラブです。緊急走行する救急車の後部座席から、隊員は119番のあった電話に連絡を取りました。
119コールバック
隊員「スポーツクラブ▲でしょうか?そちらに向かっている救急隊です」
従業員「私が通報しました、よろしくお願いします」
隊員「怪我をされた方の状況を教えてください」
従業員「私は頼まれて通報したので詳細な状況は分からないのですが、フットサルをしていた方です、チームメイトがアキレス腱をやったみたいだから救急車を手配して欲しいとのことでした」
隊員「そうですか、それでは意識などはしっかりしている方なのですね?」
従業員「多分…怪我は足とのことだったので、それ以上は分かりません」
隊員「分かりました、間もなく到着できるので案内をお願いします」
聴取できた内容を救急隊3名で共有しました。
隊員「…という状況だそうです、従業員の方は頼まれただけで詳細までは分からない、フットサルで受傷とのことです」
隊長「まあフットサルをしている人だ、元来健康な人だろうな、整形外科を調べておいてくれ」
隊員「了解です」
現場到着
スポーツクラブ従業員の案内で怪我人がいるフットサルコートに向かいました。ストレッチャーを引いて行くと、コート脇のベンチに10人くらいの人たちが集まっていました。
仲間たち「ひょぉ~、来た来た!あははぁ~!来たよぉ~!」
救急隊「…」
駆けつけた救急隊を見て、こんな歓声が飛んできました。家族や友人の一大事に笑い声混じりの歓声が飛ぶでしょうか?緊急事態でないことは明らかです…。
隊長「足を怪我された方がいるとのことですけど、怪我人はどちらですか?」
仲間「ああ、こいつです、そりゃ分からないよな〜あははは~」
Kさん「すみません、僕です、フットサルをやっていたらブチって音がして…」
傷病者は30代の男性でKさん、フットサルコートの脇にあるベンチに座っていました。出血がある訳でもなく、他に休憩している人たちと何ら変わらない様子であったため怪我人とはまったく分かりませんでした。
隊長「怪我はどちらの足でしょうか?」
Kさん「こっちです、痛たたた…」
隊員「こちらの腕で血圧を測らせてください」
Kさん「ええ、分かりました」
仲間「いいなぁ~これ、オレも乗りたいなぁ~」
隊員「痛っ!」
機関員「ちょ、ちょっと、止めてください!」
仲間「あっ…ごめんなさい」
仲間たち「お前、邪魔するなって、ウケる〜あははははは〜」
傷病者の怪我の状況を確認していると、仲間のひとりが勢いよくメインストレッチャーに飛び乗ったのでした。ストッパーはかけてあったのですが、勢いよく横たわったのでストレッチャーが動いて、隊員の背中にガツンと当たったのでした。
痛い…イライライライラ…。いけないいけない…。救急隊は傷病者のためにいるんだ、周りに振り回されたらいけない。
隊長「これは…アキレス腱が切れているみたいだな、多分間違いないですね」
Kさん「そうですか…」
隊長「近くの整形外科の病院に行きましょう」
Kさん「お願いします」
仲間「オレが付き添います」
Kさん「うん悪いね、ねえみんな、切れちゃってるって、切れちゃってるってさ、切れちゃってる宣言されちゃったよ~!」
仲間たち「ぎゃはははははははぁ~」
Kさん「あははははは〜」
爆笑するみなさん、ねえ何が面白いの?はぁぁ…。救急隊はげんなりとしてしまう。
…とは言うものの、傷病者のアキレス腱は切れていました。これだけ仲間がいるし肩を貸してあげればタクシーでも病院には行けるとは思いますが、相当に痛いはずです。これでは一人では歩けない。Kさんは仲間に心配をさせたくないから、あえてこうやって笑っているのかもしれません。
そうであるのなら、そんな気持ちも分からなくもない。傷病者と仲間の言動にイライラしつつも冷静沈着にプロの仕事に徹さなくてはならない。足関節を固定して搬送準備を整えました。
搬送を開始するとこちらを見つめるものが…。仲間がビデオカメラを持ってずっとこちらを録っている。ストレッチャーに乗ったKさんはそのカメラに向かって手を振っている。はぁぁ…やれやれ…。
車内収容
車内収容しドアを閉めても仲間はビデオカメラで救急車を録っていました。それを見て同乗した友人が救急車のカーテンを開けたのでした。笑顔でピースサインのKさん、笑顔で手を振る友人、はぁぁ…やれやれ…やれやれだ…。すぐに病院は決まりました。
搬送途上
Kさん「何か騒ぎになっちゃったな、悪かったね」
友人「アキレス腱が切れているなら仕方がないよ」
Kさん「久しぶりに救急車に乗ったな〜」
友人「オレはこうやって同乗するのは2回目だよ」
Kさん「オレは実はけっこう乗っているんだ、これで4、5回は乗ってるんじゃないかな?」
友人「お前乗りすぎ〜あはは」
Kさん「それにしても大変ですね、オレみたいにピンピンしているのばかりではないでしょ?死にそうな人も運ぶのでしょ?死んでいる人見たことあるんですか?」
隊長「はぁ、ええ、まぁ…」
Kさん「ですよねぇ~大変だなぁ〜」
隊長「はぁ、そうですね…」
救急車は緊急の方を搬送するための緊急車両です。ピンピンしていると自分で言う人は使っちゃだめ…。
友人「ほらK、こっち向けって」
Kさん「え?ああ、ピースっ!」
ストレッチャー上でピースサインを送るKさん、携帯カメラでそれを撮る友人…。はぁぁ…、一刻も早く病院に着きたい。
病院到着
病院に着くまで和気藹々とKさんと友人はいったい何枚の写真を撮ったのでしょうか?フットサルコートにいた仲間たちにこれを送るのでしょうか?
医師「ちょっと足を触りますよ」
Kさん「痛い痛い!」
医師「はいはい、ごめんなさいね、アキレス腱が切れていますね、ギブスで治す方法と手術する方法があります、手術した方が早く治ります、リハビリも含めて全治5から6ヶ月ってところですね」
Kさん「え”…」
隊長「それではKさんお大事に、救急隊はこれで引き揚げます、先生よろしくお願いします」
医師「ええ、お疲れ様でした」
Kさん「あ”…はい…ありがとうございました…」
全治まで半年近くかかると言われたKさんはすっかり大人しくなっていました。
「アキレス腱断裂 中等傷」
帰署途上
隊長「治るまで半年って言われて固まっていたよ」
機関員「少しでもお灸になると良いな、彼も仲間も流石に不謹慎すぎる…」
隊員「携帯の性能は上がっているし、撮られる写真もどんどん高画質になっている、そのうちビデオも高画質で撮られる機種が出てくるでしょ?こんな事案はどんどん増えてきますね、きっと…」
隊長「ああ、間違いないね、これからの活動は撮られている前提で進めていく時代になるだろうな」
機関員「はぁぁ…益々やりずらくなるな…」
あのビデオや写真はどうなったのでしょうか?結局は全治半年の大怪我だったKさんです。仲間たちはそれでも上映会をするとは思いたくはないものです。彼らが記念写真を撮ったストレッチャーでいったい何人の心臓マッサージをしたでしょうか?このストレッチャーで何人の助けられなかった人を搬送したことでしょうか?1秒だけで良い…考えて欲しい。
2025年10月13日追記
2005年の記事、20年も前の話です。このように、当時から活動中にデジカメやビデオカメラを向けられることはありました。
当時はスマートフォンは普及していませんでしたが、携帯電話にはカメラが搭載されていました。動画も撮れるようになり始めた頃でしたが、写真も動画も解像度の低いものでした。携帯の回線も高容量のデータを送信するのは難しい環境でした。
そして現在、やっぱり当時から予想できた未来はやってきました。高解像度の写真、動画がスマホ一つで簡単に撮られるようになりました。さらにSNSでそれを簡単に世界に発信できるようにまでなったのでした。
災害現場でスマホが向けられるは想定内の事態となっています。隊によっては活動中に向けられるスマホ用の目隠しまで用意して対応しています。スマホ一つでライブ配信までできてしまう。この時代の流れは止まらない。(事故や救助現場をスマホで撮影→投稿相次ぐ)
近日、SNSに投稿されていた現場の話を更新します。特に痛がっている、苦しんでいる、辛い思いをしている、そんな傷病者を録るのは人道に反していないか考えてほしい。活動中にカメラを向けるのは本当にやめてほしい。
119番通報する前に1秒だけ考えてほしい、 大切な人がすぐ近くで倒れていないだろうか?今、本当に救急車が必要だろうか?と。
すべては救命のために
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