帰ってきた常習者

溜息の現場

ホームレスのAさんは酒を飲んでは気持ちが悪いと救急車を要請する、そんな事を1日に2度3度と続ける大常習者です。家族との記念日は忘れてしまっても…彼の誕生日まで覚えてしまうほどです。

毎日毎日119番要請するAさんは、ある時には仲間のホームレスを殴り受傷させ救急隊が駆けつけることもあるのでした。傷害事件を起こし警察に連れて行かれて少しは懲りるだろう…そんな考えは甘いのでした。殴られた仲間はオレは訴えないよと…おかげでAさんはまたいつものように1日に2度3度と救急要請を繰り返すのでした。

今回もAさんにまつわるお話、この2つの話の続きです。


酒を飲んでは救急要請、医療機関に搬送されて戻ってくると再び飲酒、また気持ちが悪くなって救急要請、毎日毎日毎日…Aさんの日常は繰り返すのでした。周辺医療機関はすべてブラックリスト、必然的に受け入れ先は次第に遠くなっていきAさんにかかる活動時間も次第に長くなっていきます。

この町の救急隊はその間、待機することはなく出ずっぱりの状態となります。この町の安全と安心を守るのが私たちの務めのはずなのに…。こんなことをいつまで許していて良いのでしょうか?こんなことが続いているおかげでいったいどれだけの住民のところに迅速に駆けつけられなかったでしょうか?そのおかげでいったいどれだけの人が苦しんだ?あるいは死んだ…?ひょっとして助かるはずの人が助からなかったかもしれない…。

ひとりの常習者がどれだけみんなの市民生活を壊していることでしょうか。どうにかしなくてはいけない、どうにか対策を講じなくてはならない。しかし様々な問題があり全国の消防本部が頭を抱えているのが実情です。いつまでこんな事が続くのだろう。

ところが…


交替時間の迫った消防署

隊員「珍しいな、Aさんに関わることなく終わりそうですよ」
機関員「昨夜も出ずっぱりだったじゃないか、オレたちが出ている間にどこかの隊がどこか遠くに搬送しているんだって」
隊員「そうか…そうですね、きっと」

次の日もその次の日もAさんからの要請はありませんでした。


数ヵ月後の消防署

隊長「そういえばあの常習者のAさんはどうしたんだ?」
隊員「確かにずいぶんと扱っていないな?他の隊からも扱ったって話も聞かないし」
機関員「どこか違う町にでも行ったのかもな?」
隊員「まだ若いですしね、どこかで社会復帰して働いている…なんて事はないでしょうけどね」
隊長「ない!それはないだろ」

どういう訳かAさんからの救急要請はピタリとなくなったのでした。いったいどうしたのでしょう?Aさんからの要請がなくなれば1日の出場件数も少しは減るのではないだろうか、そんなに甘くないのが大都市部の救急隊です。出ずっぱりの毎日は変わることなく続きいつの間にか私たちもAさんのことをすっかり忘れていました。あれから2年近くの月日が流れました。


出場指令

「救急出場、○駅前交番に急病人、Aと名乗る男性は気分が悪いもの、現在警察官が扱い中」

事務室を飛び出して救急車へと向かう救急隊員たち

隊員「○駅前交番、A?まさか…ねえ?」
機関員「何が?」
隊員「ほら、ずいぶん前にいたじゃないですか?毎日毎日救急要請するAさんってホームレス…」
機関員「ああ!…いや、違うだろう、もう何年も前の話じゃないか?」
隊員「そうですよね~」
隊長「常習者?」
隊員「ええ、隊長が異動してくる前の話ですよ、大常習者のAさんってのがいましてね…」

月日が流れこの救急隊のメンバーも変わっていました。今の隊長はAさんを知りません。


現場到着

あれ?なんか見慣れた光景が…。○駅前交番の前に座り込んでいる男性、それを取り囲んでいる警察官、まさか…。

警察官「ほら、救急隊が来てくれましたよ、大丈夫ですか?」

座り込みうつむいている男性に優しく問いかけている警察官、Aさんなら警察官に暴言を吐き罵声が飛び交っているはずだけど…。

隊長「救急隊です、どうされましたか?」
傷病者「ああ…」

顔を上げた男性、間違いない!あれから数年、多少老けた感じはありますが間違いない…。帰ってきたのか…。

警察官「こちらの方が気分が悪いと交番に来られましてね、救急車を呼んでほしいと、大分酔っているようです」
Aさん「いいからさっさと病院に行けよ」
隊長「どうされたのですか?お話を聞かせてもらわないと」
Aさん「気持ちが悪いんだよ、いいから早く行けコラ!」

この態度の悪さ、あの頃の記憶が蘇ります。隊員は回りにいる警察官に声をかけました。

隊員「この方、A(フルネーム)さんですよね?」
警察官「いえ、まだ名前までは聴取できていないのですがAと名乗っていました、知っている方ですか?」
隊員「ええまあ…警察の皆さんはご存じないですか?2年ほど前まではこちらの交番で知らない方なんていなかったのですが…」
警察官「2年くらい前?ここの交番はメンバーが変わるの早いのでね、2年前では誰も知りませんよ」
隊員「そうですか…」

後に警察官から聞いた話によると、この交番のように特に繁華街を抱えるようなところではかなりの激務が続くそうで、人事異動のサイクルも早いのだそうです。メンバーが変わっていたのは私たちだけではありませんでした。

隊長「そんなこと仰らずにお話を聞かせてくださいよ」
Aさん「うるせえ、早く病院に行けばいいんだよ」
警察官「ほらそんなこと言わないでよ、救急隊の方もAさんのために来てくれているのだから」
Aさん「気持ちが悪いって言っているだろうがバカ野郎!」

Aさんはあの頃と変わらず警察官や救急隊に暴言を吐くのでした。態度が悪いAさんにも丁寧に接する隊長と警察官、まあ知らないからね…。この現場であの頃を知っているのは救急隊員と救急機関員の二人だけでした。

隊員「A(フルネーム)さん、私たちはあなたのことを良く知っていますよ」

何でお前知っているんだ?そんな顔でこちらを見るAさん

隊員「今日もずいぶんと飲んでいるみたいですね?かなり飲んでいるのでしょ?」
Aさん「ああ…気持ちが悪いんだ、いいから早く病院に行けよ」
機関員「病院ってどこの病院だい?」
Aさん「帰ってくるのがたいへんだから近くでいいよ」
機関員「この辺りの病院があなたを診てくれないって忘れちゃった?」
Aさん「ならどこでもいいから行けよ」

はぁぁ…あの頃と何も変わっていない。いつまでもここにいても仕方がないので車内収容し状況を聴取、バイタルサインを測定することにしました。


車内収容

隊員「Aさん、ずいぶんと久しぶりですね、今まで何をしていたのですか?」
Aさん「ムショに入っていたんだ」
隊員「そうですか、刑務所を出て、それでまたこの町に帰ってきたのですね?」
Aさん「ああそうだ」
隊員「帰ってきてから救急車を呼ぶのは初めてですか?ここ数日どこかの医療機関にはかかってはいませんか?」
Aさん「ああかかってない、早く行けよ」

本当かなぁ?どこかにかかっているのならまたトラブルを起こしているはず、連絡してみればすぐに分かることです。2年ほど前はこの辺りの医療機関には悪名が轟いていたAさん、周辺医療機関で彼を受け入れてくれるところなどなかったのですが今はどうでしょうか?あれから約2年か…もう時効だろう。きっとブラックリストのノートも新しくなっていることでしょう。

直近の医療機関から選定することにしました。受け入れ先はすぐに決まりました。隊員は救急車を降りて警察官に行き先を伝えました。

隊員「○病院に向かいますから」
警察官「了解です、有名人だったのですか?」
隊員「ええ、2年前くらい前はそりゃもう…、あの人があの頃と変わっていないのなら、これから私たちもこの交番のみなさんも散々関わることになりますよ」
警察官「ははは、そりゃ勘弁ですね」

笑顔がこぼれた警察官、さて、そりゃ勘弁、そんな程度で済むでしょうか?


医療機関到着

やはりブラックリストも新しくなっていたようです。受け入れ先のスタッフもメンバーが替わっているようで誰もAさんのことを知らないのでした。

「急性アルコール中毒 軽症」

隊員「看護師さん、あの人をご存知ないですか?」
看護師「さあ?知らないわ」
隊員「そうですか、2年位前まではこの辺りの病院では知らないところはなかったのです、今日は大人しくしていますけど、昔はずいぶんと迷惑をかける方でしたから気を付けてください」
看護師「あら、そう…でも今日はずいぶんと大人しいのね、フフフ…」
隊員「そうですね…」

余裕の看護師、さて、これからフフフ…と余裕で対応してもらえるでしょうか?


帰署途上

隊長「そうか…そんなに酷い常習者だったのか?」
機関員「2年くらい前まではそれこそ毎日ですよ毎日、しかも1日に2度3度と、この辺りの救急隊にも警察官にも病院にも超有名人でしたよ」
隊員「あの頃と変わっている様子もなかったし、きっとまた同じことが起こりますよ」
隊長「そうか?確かに乱暴な口をきくけど大したことはなかったじゃないか」
機関員「シャバに出てまだ日が浅いからじゃないですか?」
隊長「刑務所を出て久しぶりに酒を飲んだから嬉しくて飲み過ぎちゃったんじゃないのか?」
機関員「いや、あの人の場合、それがいつもなんですよ、本当にとんでもないんですよ」
隊長「ふ~ん、そうか…」

あの程度の暴言を吐く酔っ払いなど日常茶飯事、常習者だってどこの町にもいるものです。別に特別な存在ではないじゃないか、割と寛大な隊長、さてさて…これからも寛大でいられるでしょうか?


数週間が経った

隊員と機関員の心配は必然の如く当たりました。1日に2度3度、酒を飲んでは救急要請、医療機関でトラブルを起こしてはまた○駅前に戻り再び酒を飲む、あの頃のAさんが戻ってきました。

数週間が経ち今日もまたAさんからの救急要請です。いつものように○駅前交番に駆けつけました。今日もまた座り込んでいるAさんを警察官が取り囲んでいる。

警察官「おい!A、お前いい加減にしろよ、ここ数日で何回救急車を呼んでいるんだ?」
Aさん「うるせえな!気持ちが悪いんだよコラ!」
隊長「なあAさん、昨日も一昨日も救急車で○病院にかかっているって話じゃないか?今日は何だって言うんだよ!」
Aさん「いいから早く病院に行けよ、バカ野郎!」
警察官「何だと、バカ野郎ってことないだろう、いい加減にしろよ」
Aさん「何だとこの野郎!」

はぁぁ…元気だこと…。車内収容しここ数日搬送されていると言う○病院に連絡を取ることにしました。

機関員「一昨日も昨日も救急搬送されている方なのですが…」
看護師「その方の受け入れは当院ではできません!」
機関員「えっ!?…と言うことはまた何かご迷惑をお掛けしたと言うことですが?ブラック?」
看護師「ええ、これからもAさんの受け入れはできませんから、他を当たってください」
機関員「○病院はもうブラックだそうですよ…」
隊長「なあAさん?あんた○病院で何やったんだい?もう診てくれないってよ」
Aさん「ふん、あんなやぶ医者、こっちだって行きたくねえよ、いいからどこでも行けよ、帰りがたいへんだからなるべく近くな」
隊長「あんたなぁ!」

やれやれ…あれからたった数週間、隊長も警察官も看護師もさすがはみんなプロ…もう適応しているのでした…。帰ってきた大常習者、Aさんを取り巻く人たちの対応もあの頃と同じです。はぁぁ…あの頃が帰ってきました。

119番通報する前に1秒だけ考えてほしい、 大切な人がすぐ近くで倒れていないだろうか?今、本当に救急車が必要だろうか?と。

すべては救命のために

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