お前が殺したんだ

緊迫の現場

救急隊が出場する様々な現場の中には自らの命を断つ人もいます。完成してしまった自殺の現場で本人は何も語りませんが、残された家族はどうなるでしょうか?半狂乱する人、泣き叫ぶ人、呆然とする人…。

出場指令

「救急隊、消防隊出場、⚪︎町⚪︎丁目…K方、40代の女性は縊首、通報は家族男性」

PA連携の指令に同じ消防署の消防隊と救急隊がペアで出場しました。縊首(いしゅ)とは首吊りのことです。

出場途上、119コールバック

緊急走行する救急車内から119番通報のあった電話に連絡を入れました。

隊員「もしもしKさんですね、ご通報いただいたご主人でしょうか?救急隊です」
夫「はい…私が通報しました」
隊員「奥さんの状況を教えてください」
夫「はい…私が家に帰ってきたら首を吊っていて…」
隊員「今は降ろしていますか?」
夫「はい…首にかかったロープは切って…降ろしました…もう死んでいるみたいです」
隊員「急いで向かっています、心臓マッサージをしていただきたいのです」
夫「心臓マッサージ…やり方は何となくは分かりますけど…」
隊員「もう少しで到着できます、頑張ってやって下さい」
夫「はい…」

夫は呆然としている様子で、声からは諦めてしまっている雰囲気が感じ取れました。心臓マッサージを果たしてやってくれるかだろうか…。得られた内容を隊長、機関員に伝え、無線で消防隊にも伝えました。

現場到着

指令先の玄関前には夫が立ちすくんでいました。心臓マッサージは…できなかったか…。

夫「Kです、私が通報しました」
隊長「案内してください、心臓マッサージはできませんでしたか?」
夫「もう…ダメみたいです」

夫の案内を受けて傷病者がいる2階へと急ぎます。傷病者は40代女性で仰向けで倒れていました。首にはまだロープが絡んでいました。

隊長「観察と評価だ、機関員はAEDの準備」
隊員「了解」
機関員「ご主人、このパッドを奥さんの胸に貼ります、胸を開けます、ご理解ください」

傷病者の顎を持ち上げて気道確保を行い、総頸動脈を触知して…間違いがあってはならないので定められた観察・評価を実施します。ただ、パッ見て分かる…無表情、蒼白、そして首にはクッキリと食い込んだ索状痕…。傷病者はCPA(心肺停止状態)でした。

隊長「CPA、CPR(心肺蘇生法)開始!」
隊員「了解です」
機関員「AEDの準備できた、波形記録します」
隊長「心マ中断、傷病者に触れるな…波形は…心静止」
隊員「隊長、体幹部には温もりがあります」
隊長「下顎には少し硬直がある…」
隊員「四肢に硬直はないけど…冷たい…」

心臓が動いていれば出る波形は全くない、心電図は平坦な一本線、心静止でした。Kさんは40代の主婦でした。服を着ている体幹部には若干の温もりが残っていましたが、顎にはすでに死後硬直の兆候が始まってきていました。救命することが相当に困難であることはよく分かっています。ただ死を判断することができるのは医師だけです。救急隊が社会死と判断できる要件には当てはまりませんでした。

隊長「搬送するぞ、消防隊はCPRを支援して、搬送路の確保も頼む!」
消防隊長「了解、お前は心マを代われ」
消防隊員「了解です!」
隊長「ご主人、状況を教えて下さい」
夫「はい…ええ…」

夫は呆然とした様子ですが淡々と救急隊からの質問に答えてくれました。仕事から帰宅すると2階のこの部屋で妻が首を吊っていた。とにかく早く降ろさなくてはいけない、ロープを切ってKさんを床に降ろし、119番通報したとのことでした。

Kさんは長年に渡り精神科疾患を患い、過去にもリストカットや首吊りなど自殺未遂を起こしていました。救急隊はできる限りの処置を行い近くの病院へと急ぎました。

医療機関到着

隊長「お願いします、CPAで波形は心静止のままです」
医師「ふぅ…これは…大分経っていそうだね」
隊長「心肺停止の詳細な時刻は不明です」
医師「了解です…」

蘇生できる可能性は限りなくゼロ、引き継いだ医師の言葉から滲み出ている。それでも懸命な救命処置が実施されていく。

引揚準備

隊長が医師への引き継ぎを行う中、隊員と機関員は病院の駐車場で車内の清掃、資器材の消毒や補充など再出場のための準備をしていました。そんなところに血相を変えた看護師が駆け込んできました。

看護師「救急隊さん来て、早く!警察の人は?まだ来てない?」
機関員「ついさっき来ましたよ、受付に案内しました、どうしました?」
看護師「早く来て、それなら警察官も連れてきて!早く、早く!」

何事かと院内に戻ると、家族待合室の前で大柄な男性が大騒ぎしていました。彼はKさんの弟でした。姉が危篤だと連絡を受けて病院に駆けつけると、実は首を吊ったものだと知り逆上したのでした。

弟「お前が…お前のせいで姉ちゃんは!」
隊長「弟さん、落ち着いて!」
男性スタッフ「弟さん、ダメ!暴れないで!」
夫「…」
男性スタッフ「弟さん、ここに座って、落ち着いて…」
弟「…」

弟は夫に掴み掛かろうとしており、警備員や男性スタッフたちに静止されていました。男性数名で静止しないと本当に夫を引き倒し殴りかかる勢いでした。夫はただただうなだれている。

看護師「警察官は?」
隊長「他の者が呼びに行っています」
看護師「間も無く処置を止めます、ご家族があの状態ですから救急隊と警察官も立ち会ってもらえますか?」
隊長「分かりました…」

駆けつけた警察官にも事情を説明しました。家族待合室、少し落ち着いた弟はベンチに座り込み頭を抱えています。夫は呆然としたままでいる。

看護師「ご家族の方、どうぞこちらかお入りください」
夫「はい…」
弟「…」

処置室

少し落ち着いた様子であった弟は姉の遺体を目にして豹変しました。

弟「姉ちゃん、何でだ…」
夫「…」
弟「先生、何で機械を止めているんですか?まだ死んでないでしょ?ねえ、機械を止めるなよ!まだ死んでねえよ…」
医師「…」
弟「お前が殺したんだ、この野郎!」

弟は再び夫に掴み掛かろうとする、警察官と救急隊がそれを制止した…。

警察官「弟さん、ダメだよダメだ」
弟「お前が…お前が!」
夫「…」
隊員「弟さん、やめて…」
弟「…」

泣き叫ぶ弟は徐々に力が抜けていくように処置室の床に崩れ落ちすすり泣き始めた。どれくらいの時間が経ったのだろうか…。静まり返った救急処置室、医師が口を開いた。

医師「まことに残念ですが○時○分、お亡くなりになりました」
夫「…」
弟「ありがとうございました…」

ふたりは呆然としたまま処置室を出て行きました。

医師「ふぅ…隊長さん…サインするよ」
隊長「あっ…そうでした、お願いします」
警察官「先生、捜査の者を入れてよろしいですか?」
医師「ええ、どうぞ」

警察官はこれから事件性がないか遺体を調べる必要があります。戦場のようだった救急処置室は静けさを取り戻し、医師、看護師も警察官、救急隊も粛々と仕事を進めるのでした。

「心肺停止 死亡」

帰署途上

隊長「いつだって自殺の現場は辛いな…」
機関員「ええ…何回やっても慣れない…」
隊員「あの家族に何があって、どんな理由で自殺したのかなんて分からないけれど…残された家族はどうしていくのでしょうか…」
機関員「さあな?ただ、想像できない程の深い傷を残す、これは間違いないな」
隊員「ええ、それは想像できる…」

救急車内もどんよりと暗い雰囲気です。残念なことに自殺の現場に行くことは、救急隊にとって珍しいことではありません。亡くなった傷病者、そして残された家族には想像できない程の深い傷が残る。実はそんな裏で救急隊も苦しんでいたりするのです。

119番通報する前に1秒だけ考えてほしい、 大切な人がすぐ近くで倒れていないだろうか?今、本当に救急車が必要だろうか?と。
すべては救命のために
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