仰天の現場
辻褄が合わなくなれば詰まる言葉、嘘をつけば泳ぐ目、飲酒運転とどんなに詰め寄られてもしらばっくれた事案があった。警察官は嘘を暴くプロで通用しなかった。それならば、意識不明になろう。狸寝入りを決め込み続けた事案もあった。今回の手口はその両方で…。
出場指令
「救急隊、消防隊出場、⚪︎町⚪︎丁目、スーパーマーケット駐車場、男性は意識なし、通報は扱い中の警察官から」
重傷の可能性が高い内容のため、同じ消防署の消防隊とのPA連携の指令でした。本当に意識ない状態なら、通報者が慌ててしまい110番してしまうなんてことはよくあります。でもそうであれば通報時点で警察から消防へと転送される。通報者は扱い中の警察官との指令…既に現場には警察官がいる?どういうことだろうか?まだ暖かい日差しが降り注ぐ町を消防車と救急車が連なって現場へと急ぎます。
現場到着
指令先のスーパーマッケットはこの辺りでもかなりの大型店舗で駐車場も広い。店舗入り口近くのスペースにはパトカーが停まっており、警察官が手を挙げていました。警察官の近くには若い男性が倒れていました。
隊長「彼が傷病者だな…」
隊員「ええ、何か変ですね…」
警察官は様々な現場で活動するプロです。彼らがこの現場が本物であるか否かの匂いを感じ取れない訳がありません。アスファルトに倒れている男性がいるというのに現場には緊迫感がないのです。この現場は本物ではない…そして何かがある。きっとそれは面倒なこと…。
傷病者接触
隊長「お待たせしました救急隊です」
警察官「お疲れ様です、お願いします、こちらの方なのですがね…」
傷病者は20歳くらいの男性、駐車場のアスファルト上にうつ伏せで倒れていました。呼吸はしている。パッと見て分かる。傷病者には生気がある、緊急性があるとはとても思えない。
隊長「バイタルサイン測定と全身観察、俺は警察官から情報を取るからな」
隊員「了解です」
消防隊と協力して傷病者を仰向けに体位変換しました。アスファルトに倒れたのなら、かすり傷の一つもありそうなものなのだけれど外傷は全くない。
隊員「もしも〜し!目を開けて下さい!」
傷病者「…」
隊員「ごめんなさい、胸を強く押します、痛いです、目を開けて下さい!」
傷病者「…」
胸の真ん中をこれだけ強く押しても全く反応がない。アルコール臭はしない、酔っ払いではない。バイタルサインには全く問題はありませんでした。意識状態だけが悪い…?
隊長「どうだ?」
隊員「はい、意識がJCS300、それ以外のバイタルサインは問題ありません」
隊長「ふ〜ん…そう…車内収容しよう」
隊員「了解です」
隊長「消防隊は車内収容したら引き揚げて下さい」
消防隊長「了解」
意識がない傷病者だと言うのに隊長は救急隊だけでもう十分と、消防隊に引き揚げて大丈夫と伝えました。隊長の指示のトーンがこの現場は本物ではないと告げている。傷病者をストレッチャーに乗せて救急車へと向かいました。
隊員「ストレッチャーを入れます!1、2、3!ドアを閉めます、挟まないよう気をつけて下さい」
警察官「了解です」
救急車に傷病者を車内収容しました。隊長と警察官が乗り込み救急車のリアドアを閉めた。さて、この現場には何がある?もうだいたい分かったけど…。機関員が寄って来て耳打ちした。
機関員「万引きだってさ」
隊員「ああ、なるほど…やっぱりそう言うことですか」
会計を済ませていない商品があると店員に呼び止められた。店のバックヤードで持ち物を確認させて欲しい。何の証拠があってそんなことを言っているんだ、絶対に嫌だ、頑として持ち物など確認させない。立ち去ろうとする彼を警備員と店員が静止する。犯人は今にも逃げようとしている。店長は警察に連絡した。緊急走行でパトカーが駆けつけた。
機関員「ってことだってさ、パトカーが来た途端に倒れたんだって」
隊員「ふふ…なるほどね、往生際が悪いですね」
消防隊長「しょうもな…お疲れ、俺たちは帰るな」
隊員「お疲れ様でした」
車内収容
隊長「もしも〜し!目を開けて下さい、聞こえているでしょ?ねえ、目を開けて!」
傷病者「…」
隊長「本当だな、これだけの痛み刺激に反応がない」
隊員「そうなんです…他のバイタルサインには全く問題はないのですけど…」
隊長「警察官が駆けつけた時には痙攣を起こしていませんでしたか?」
警察官「ないですね、急にうつ伏せに倒れてしまって」
隊長「怪我もなかったのだよな?」
隊員「はい、注意深く見たのですけど、かすり傷すらありません、失禁もないです」
隊長「卒倒したのにかすり傷すらないって言うのもどうも気になるな…ドロッピングテストは?」
隊員「ああ、そうですね」
隊員は傷病者の両手を持ち上げて彼の顔の前まで持ち上げ「前へならえ」の姿勢をとらせて離した。彼の両手は顔面を避けて落ちた。
機関員「突然意識がなくなったんだ、これは緊急性が高いですよ」
隊員「確かに痙攣もないのに、若い男性が急に意識不明っておかしいです」
隊長「そうだなぁ…でも完全に意識がないって言うにはどうもな…だって睫毛反応はあるし、顔面へのドロッピングテストだって顔を避ける、おかしいよな?完全に意識不明なら手は顔に落ちるはずだ…」
隊員「確かにそうですね…ひょっとして何となくでも聞こえているのでしょうか?もしも〜し?分かりますか?」
傷病者「…」
隊長「もう一度やってみよう」
隊員「はい、手を持ち上げます、離します、離しますよ〜」
隊員は再び彼の手を持ち上げ顔面の前で離した。今度は顔に落ちた。
隊員「あれ?顔に落ちた」
隊長「ってことは意識不明か?さっきのは勘違いか…?」
往生際が悪い。機関員が笑いを堪えている。若い巡査が救急車をノックし同乗している警察官を呼びに来ました。
巡査「店のバックヤードにお願いします、例の見せてもらえました」
警察官「まだ病院は決まらないですよね?私はちょっと店の方に戻らせて下さい」
隊員「了解です、後ろのドアを開けますのでお待ちください」
何やら共有したいことがあるようで、警察官が救急車を降りて店へと入って行きました。
隊長「さて…ねえ、聞こえていませんか?私たちの言っていることは分かりませんか?もしも〜し!」
傷病者「…」
隊長「困ったな…重症と判断するべきだろうか?」
機関員「意識不明、緊急だ、救命最優先で組織活動を展開すべきだ!緊急展開でいきましょう!」
隊長「緊急展開…?確かにそうすべきだよな…」
機関員「迷う必要なんてない、これが救急隊の使命ですよ、傷病者のためだ!」
緊急展開?緊急事態だから組織活動を展開する?つまり緊急性が高いと判断して3次医療機関を選定するってことだな…。しかし…本当に3次病院になんて連れて行ったら救命医に怒られるだろうなぁ…。
隊員「3次病院に行けば喉にチューブとか尿道に管が入りますよね?今は痛みを感じていないようだから分からないだろうけど…」
機関員「確かに万が一覚醒しているなら大変だな、意識があるのに喉にチューブ、尿道にもカテーテル、考えただけでも地獄だ…」
隊員「オレなら絶対に耐えられないです…怖い…」
隊長「ねえ、聞こえませんか?もしも〜し?」
傷病者「…」(汗)
隊長「ダメだな、やっぱり意識不明だ、選定を始めよう」
機関員「了解、緊急展開で良いですね?」
隊長「ああ、緊急展開で選定しろ!」
隊員「了解です!」
傷病者の目が開いた。
傷病者「あれ…?あれれ?」
隊長「こんにちは、分かりますか?救急隊です」
傷病者「え…救急隊?え…オレ…どうして?」
隊長「ああ、良かった、気がついたのですね、あなたはスーパーマーケットの前で倒れて救急隊が駆け付けたのですよ」
傷病者「スーパーマーケットの前で…?」
隊員「気がついて良かった、血圧など測らせて下さい」
傷病者「あ…はい…」
隊長「私はあなたの意識の状態の確認をさせてもらいますね、お名前を教えて下さい」
傷病者「いや…その…名前はちょっと…」
傷病者は突然目を覚まし、なぜ救急車内にいるか分からないと訴え始めました。もちろん再測定したバイタルサインに全く問題はない。意識の評価をすると名前と生年月日は分からないと訴えるのでした。意識不明であった傷病者が目を覚ました。機関員が呼びに行き警察官が救急車に戻ってきました。彼の顔が強張り目が泳ぐ。
警察官「こんにちは、何で警察が来ているか分かるよね?」
傷病者「警察?いや…分かりません」
警察官「覚えていないの?」
傷病者「はい…ここはどこですか…?」
警察官「ふ〜ん、あなたの名前は?」
傷病者「名前は…?あれ?名前?あれ…?」
警察官「覚えていないの?それなら身元の分かるものを見せて」
傷病者「身元の分かるもの?持っていないです…」
警察官「身分証を持っていないことはすぐに分かるんだね?」
傷病者「…」
警察官「ちょっと身体を触るよ」
傷病者「いや、嫌です…」
警察官「嫌ってことはないでしょ?自分の名前も分からないんだ、大変な事態じゃない?」
傷病者「…」
隊長「過去に同じように倒れたことはありませんか?持病はない?」
傷病者「はい…こんなことは初めてです」
警察官「病院に行くの?名前も分からないくせに持病がないことはすぐに分かるんだね?」
傷病者「…」
傷病者は警察官からの質問にしどろもどろ、次々とボロを出すのでした。それでも「ここはどこ?私は誰?」を続けている。
警察官「ねえ、店内の防犯カメラを見てきたのだけどさ、映っていたよ、バックとポケットにもあるだろ?病院なんてやめようよ、救急隊は本当に忙しいの、無駄なことはやめよう、な?」
傷病者「何のこと?」
警察官「ちょっと身体を触るよ、ポケットを見せて、身分証はどこにあるの?」
傷病者「やめろって!」
はぁぁ…往生際が悪い…。「救急車で搬送されればワンチャン逃げられる」浅はか過ぎる。
隊長「もう一度確認させてください、あなたは意識を失っていて自分がどうしてここにいるのか、自分の名前も何も分からないのね?」
傷病者「はい…そうみたいです」
隊長「分かりました、それじゃ仕方がない、人命を優先しないと…病院に行きましょう」
傷病者「それでお願いします」
隊長「機関員は緊急展開で選定を続けろ!」
機関員「了解しました!」
警察官「ねえ、やめようって、救急隊に迷惑かけるなって、ポケットの物を出せ!」
傷病者「だから嫌だって言ってんだろ!」
もはやポケットにあると言ってしまっている…。傷病者は意識不明を訴え搬送を希望している。意識不明なら覚えていないので、「意識不明を訴える」がもう理論破綻しているのだけれど…。捜査はもちろん大切ですが、治療を希望する者を後回しにすれば人権問題になる。折れたのは警察官でした。
警察官「ふぅ…仕方がないね、どうしても病院に行くんだね?」
傷病者「ええ、意識がないとかヤバイので…」
警察官「ふ〜ん…分かった、それでは警察官も同乗します、パトカーも行きますのでお願いします」
隊長「もちろん我々もそのつもりです、病院にもそう伝えます」
傷病者「え”…」
隊長「あなたは診察の後で警察の捜査に協力してあげてください」
傷病者「ええと…入院…でしょ?」
隊長「それを判断するのはお医者さん、救急隊が決めることじゃないんだよね、それにあなたは多分、すぐに帰って良いと言われると思うよ」
傷病者「…」
警察官「もう諦めろ、な?」
傷病者「あのう…管とか入れられちゃったりします?」
隊長「管?ああ…喉のチューブとか尿道のカテーテルのことかな?ん…?あれ?聞こえていたの?」
機関員「くくく…」
機関員が笑いを堪えている。警察官は怒っている。
警察官「もういいだろ!ほら、いい加減にしろ!」
傷病者「…」
隊長「どうしますか?病院に行った後に警察署に行く?それとも今行く?」
傷病者「今…行きます…」
隊長「意識は大丈夫なんだね?」
傷病者「意識なら取り戻しました…」
機関員「ぷぅ〜〜ひぃぃ…」
機関員が吹き出した。警察官はさらに怒っている。
隊長「それなら、ここにサインして…」
傷病者「サインは…」
警察官「書け!これ以上は迷惑をかけるな!」
傷病者「はい…」
警察官「Tくん、君はTくんっていうのな?」
傷病者「はい…」
警察官「救急車を降りろ、それからポケットの物を出せ!」
警察官「はい…すみませんでした…」
彼は自身の名前を書いた後に救急車を降りて連行されていきました。
「不搬送 搬送辞退」
引揚途上
機関員「昨日の特番見たか?」
隊員「見ました!警察24時、逃げてすぐに捕まったやつ、覚醒剤を隠してたやつでしょ?」
機関員「そうそう!あのダッシュは傑作だった、その後の往生際の悪さときたら、そっくりだったな?」
隊員「ええ、往生際の悪さは彼も一級品でした」
機関員「それにしても彼は役者だったな〜、最後まで意識不明を貫けなかったところが三流だったけど」
隊長「あの「緊急展開でいくべきだ、それが救急隊の使命だ」のくだりは良かったよ」
隊員「あれって緊急事態と判断して3次病院に連れて行くってことですよね?昔はそんな風に言っていたのですか?」
機関員「ぷぷ…ひょっとしてって思っていたけど、お前マジで?」
隊長「ふふふ…真面目だなぁ〜」
隊員「え”…医学用語みたいな、救急隊が使う専門用語みたいな…そういうのなのかと…」
機関員「強いて言うならオレ用語だな、娘が好きなアニメがカッコいいんだよ、ぽいだろ?」
隊長「おかげで彼は随分とびびったみたいだな?」
機関員「管とか入れられちゃったりします?はツボだった…彼…面白すぎ…イヒヒ…」
隊長「意識なら取り戻しましたも名言だった、くくく…」
機関員「隊長の緊急展開で選定しろもシビレましたよ!それで、お前の「了解です!」の返事、最高…」
隊長「だから、緊急展開って何?」
隊長・機関員「あはははははぁ〜」
隊員「…」
ちぇ…オヤジども…。三文役者なら救急車にもいる。
119番通報する前に1秒だけ考えてほしい、 大切な人がすぐ近くで倒れていないだろうか?今、本当に救急車が必要だろうか?と。
すべては救命のために
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