家族がミイラ化していても

仰天の救急現場

消防署の車庫前、交替のため昨日の当務員と今日の当務員が整列します。温かい日差しが各車両を照らしていますが、真冬のアスファルトは凍り付いており寒さが骨身に染みます、寒い…。整列して間もなく、この日の激務を告げる出場指令が流れました。

出場指令

「救急隊、消防隊出場、〇町〇丁目…高齢男性、自宅居室内にて意識、呼吸なし、通報は家族女性」

出場メンバーが列を崩します。

隊長「やれやれ…今日も申し送りを聞くこともできないか…」
隊員「お疲れ様でした、使用資器材はさっきの申し送りのとおりですね?」
昨日の隊員「ああ、そうだよ、資器材は全部オッケー、危なかったぁ…あと3分早い指令だったらうちらが出るところだった…」

交替時間直後の指令に荷物を降ろしたり載せたりとバタバタと忙しい。指令先は消防署から1キロ程度の受け持ち区域でした。地図と指令書を持って救急隊とポンプ隊の機関員が車庫に走ってきました。

機関員「隊長、現場はここ、〇通りから入ってすぐの一戸建て、バス停が目印です」
隊長「了解…バス停の先を入って…家の前に停められる?」
機関員「大丈夫です」
ポンプ機関員「ポンプは入らないから!バス停は避けて〇通りで停まります」

救急車と消防車が消防署を飛び出します。通報電話に連絡しましたが応答はありませんでした。

現場到着

指令先の家の前には若い女性が呆然と立ち尽くしていました。

隊長「ご通報いただいたご家族ですね?案内してください」
孫娘「はい…こっちです」
隊長「あなたは?ご家族でですね?」
孫娘「はい、私は孫になります、おじいちゃんが息をしていないんです」
隊長「分かりました、患者さんにどなたか付き添っていますか?誰か心肺蘇生はやってないですか?」
孫娘「心肺蘇生…いえ…誰も…」
隊長「そうですか、分かりました」


傷病者接触

広い敷地に新築の一戸建てと古い平屋の木造住宅が並んで建っていました。案内されたのは古い家の方でした。部屋に入ると古い畳の上、古い布団の上に傷病者はいました。これは…

隊長「ふぅ…」
隊員「隊長…これって…」
隊長「…まずは観察、評価」
隊員「了解…」

傷病者は90代男性、通報者の女性は同一敷地内の新しい家に住む孫娘でした。訪ねて来たら祖父の息がないので119番通報に至ったとのことです。古い家、暖房もついてない部屋は凍えるような寒さでした。胸元まで布団に入っていた傷病者ですが、ぬくもりはまったくなく身体は冷え切っていました。布団をめくり観察、全身の評価を行います。

隊長「脈なし…」
隊員「呼吸なし…」
隊長「顎硬直は著明、全身はどうだ?」
隊員「はい…肘も膝も曲がりません、全身硬直、全身冷感、死斑も…」

傷病者は全身の死後硬直、腐敗を超えて、その先に達していました。真冬の時期だったので臭いはほとんどありませんでした。もし夏場であれば、周辺住民が死臭で気が付くはずです。乾燥しているこの時期、痩せた身体は乾燥しミイラ化していました。

隊員「モニターは心静止」
隊長「了解、瞳孔は…ふぅ…」
隊員「瞳孔…隊長…これって何て表現したら…?」
隊長「…今、この時間で社会死判断する」
機関員「了解、〇時〇分、警察官を要請します」
隊長「ああ、頼むよ、ご家族は玄関にいるかな?」
ポンプ隊長「こっちです、玄関で聴取中」

社会死とは医師の判断を仰がなくても社会通念上、死亡していると判断できる状態のことです。隊長は通報者の孫娘に社会死の判断をしたこと、医療機関に搬送することなく警察官を要請することなどを説明しました。動揺した様子があった孫娘でしたが、説明には落ち着いた様子で応じてくれました。

隊長「それでは、我々で警察官を要請しますから、もう少し要請に至るまでのことを教えてください」
孫娘「はい、分かりました」
機関員「それでは、こちらのお部屋で伺います」

ポンプ隊は先に引き揚げ、通報者からの概要を聴取、その後、要請に駆け付けた警察官に申し送りを行いました。

「不搬送 社会死」


引き揚げ途上

隊長「隣のあの家には誰が住んでいるんだって?」
機関員「傷病者の息子夫妻と孫の彼女の3人ですって、2世帯住宅とは言わないでしょうけど…同一敷地内ですよ、彼女が傷病者に最後に会ったのは3週間前くらいだった気がするって、父と母なら最近会っているかもしれないって」
隊員「最近のわけがないですね…だってミイラ化してたじゃないですか?」
隊長「近くに身内がいてもこれか…距離は近くても関係は相当に遠いってことかな…」
隊員「あの目、なんて表現したら良いんですか?瞳孔が散大とか白濁とかそんなレベルじゃないですよね?」
隊長「なんだろうな…蒸発?」
機関員「本部には全身の腐乱、ミイラ化してるって報告しましたよ」

社会死であるか否かの判断項目のひとつに瞳孔所見があります。傷病者は眼球がありませんでした。全身が乾燥しており、眼球の水分がなくなり瞼は陥没していたのでした。さらに…

隊長「それからあの布団、特に枕を見たか?」
隊長「枕ですか?いや…布団も枕も随分と汚れているなと、きっと数年、下手すりゃ十数年洗っていないのかと…」
隊長「違うよ、そこじゃなくて」
機関員「穴だらけだっただろ?」
隊員「ええ…あんなにボロボロの布団で寝ているのだから、隣に家族がいてもほったらかしだったのだろうと」
隊長「あれ、ネズミの仕業だよ、かじられた跡だ」
隊員「ネズミですか…なるほど、確かにボロボロだとは思ったけど、そういうことか…」
機関員「かじったのは布団だけじゃないかもしれないけどな…」
隊長「ああ…多分、遺体になってからだとは思うけど…ネズミにやられているね」


同一敷地内に息子も孫も住んでいるのに、普段から繋がりがないから数日…いや、数週間経っても気が付かない。遺体は乾燥し、ネズミにかじられている、家族がミイラ化していても気が付かない。距離は近くても関係は遠い。家族って何?

119番通報する前に1秒だけ考えてほしい、 大切な人がすぐ近くで倒れていないだろうか?今、本当に救急車が必要だろうか?と。

すべては救命のために

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