救命士のこぼれ話
消防官の使命は住民の生命、身体、財産を守ることです。救急隊は傷病者を安全に迅速に医療機関へと搬送することが求められます。これを達成するためには、まずは自身の安全を守らなければなりません。救助者は自身の身を守り、次の現場もその次の現場でも安定したパフォーマンスを出さなければならないのです。守るべきは自身の安全、傷病者の安全、さらに近年は…。
朝の大交替
朝の消防署車庫の前、消防署員たちが集まってきました。この日も一晩中稼働した…やっと交替できる。お願いだからもう指令がかからないで欲しい…。あと10分で交代できる、こんなタイミングでかかる出場指令は見えてきたゴールテープが消えてしまうような絶望を感じるのです。
救急車の清掃は済、資器材の補充もオッケー、燃料も満タンにした。ハラハラしているこんな時間帯に既に申し送りは始まっています。申し送る救急隊員は先輩救命士です。
先輩「お疲れ、昨日も大変だった?」
隊員「はい、昨夜はそれでも2時間くらいは横になれました、重症事案は1件、他はほとんどが軽傷でした」
先輩「了解、ホンモノは1件、いつも通りだね」
隊員「重症事案は▲駅の電車事故の事案です、接触時に傷病者は下敷きになったりはなくて、話までできたのですが結局は亡くなりました、バックボードなどの外傷資器材を使っています」
先輩「ああ…▲駅の人身事故か、昨日の昼頃だよな?オレもその時間は⚪︎線が停まっていたから迂回したんだよ、やっぱりこの隊が出たんだな」
隊員「出血とかはなくて資器材は汚れていません」
先輩「了解…やっぱりあの投稿は…」
先輩の救命士は自身のスマホを取り出し何やら検索を始めました。隊長や機関員もヘルメットなど自身の個人装備を救急車から降ろし始めた。
先輩「ああ!やっぱり!このオレンジが救助隊で…ほら隊長も?」
隊員「あ…本当だ…この後ろ姿はうちの隊長です」
先輩「こっちがお前じゃないのか?」
隊員「うわ…そうですね…」
SNSで投稿されていたのは昨日の▲駅の現場、停止している電車の中から撮影されたと思われる写真でした。交替の時間になった。この日はゴールテープを切ることができた。
消防署の事務室
大交替、申し送りを終えて消防署の事務室へと向かいました。終わっていない事務処理、深夜の事案の処理を早く終わらせて帰りたい。
機関員「これだろ?さっき言っていた投稿って?」
隊員「はい、これが隊長でこっちにはうちらが映っています」
隊長「うわぁ…本当だ、オレも映ってる…ポンプ隊の目隠しが効いているな、この後ろに傷病者がいるんだな…」
機関員「本当にやりずらい世の中になってきているよな?きっと動画を回している人だっているだろうな」
隊長「ああ、撮られているのは想定内だ、目の前に瀕死の人がいると言うのに…不謹慎だよな…」
機関員「そんな風には感じる訳がないですよ、興味本位が先行する、そこがネットの闇じゃないですか?ほら、それがここにはよく現れている…」
「▲駅で人身事故、いつ復旧するの?マジでクソ」
「⚪︎線が人身事故で止まってる〜公式遅刻ゲットで草〜」
「▲駅人身事故なう、早く助けてあげて、消防頑張れ、乙」
「⚪︎線 ▲駅 人身事故」検索すると上がってくるコメントの数々…。
隊長「ふぅ…本当だな…闇を感じる…」
隊員「今回は消防隊がしっかり目隠しをしてくれているから傷病者は写っていないですけど、場所によっては傷病者を捉えているものだってあるかもしれない…」
隊長「撮影している全員がSNSに上げるわけではないものな、この現場にもそんな写真があるのかもしれない」
隊員「傷病者が家族だったら、友達だったら、そんな風には思わないのかな?」
隊長「現場にスマホを向ける人たちはそんな風に考えたりしないさ、承認欲求が先行する」
機関員「いいねが欲しいって?何が良いんだか…」
隊員「確かに好奇心を駆り立てられるのでしょうね」
隊長「凄惨な現場ほどスマホが狙っている…それを想定しないとな」
機関員「やりづらい時代になったなぁ…」
ずいぶん前にも携帯カメラにピースする傷病者を扱ったことがあったけど、当時は写真もビデオも今ほど手軽ではなかった。今はスマホ一つで写真も動画も撮れてしまい、さらにそれをSNSに投稿までできるようになった。
事故や救助現場でのスマホ撮影、SNS投稿が相次いでいる。年々活動は難しくなっていると感じます。凄惨な現場は特に危険を伴います。自身の身を守り傷病者を安全を守らなければならない。さらに近年では傷病者のプライバシーや肖像権などにも配慮が必要です。
こんな現場ではキャリアのある百戦錬磨の隊長クラスだって惨事ストレスで眠れなくなることがあります、だってそれが人間だもの…。現場にカメラを向けるのは本当にやめて欲しい。
119番通報する前に1秒だけ考えてほしい、 大切な人がすぐ近くで倒れていないだろうか?今、本当に救急車が必要だろうか?と。
すべては救命のために
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