こんなに感動するなんて…

緊迫の現場

救急隊の仕事は救命すること。命の危険に瀕している傷病者を救うこと。死に抗うこと。しかし、どんな仕事もそうであるようにキラリと光る成果は一握り、死に直面することばかり。そんな中、キラリと光る死とは逆の現場の話です。


出場指令

深夜の消防署に出場指令が鳴り響きました。

「救急隊、消防隊出場、〇町〇丁目…A方、妊娠39週の女性、腹痛、苦しんでいるもの、通報は夫」

との指令に同じ消防署の救急隊と消防隊がペアで出場しました。指令先のAさん方は受け持ち区域、数分で到着できる距離でした。妊娠39週、腹痛、それは陣痛では?緊迫の現場であろうと誰もが想像できる指令内容。

隊長「分娩までの資器材を全部準備しろ!途上の情報収集は簡単でいい!」
機関員「5分かからないぞ!家の前に停められるからな!」
隊員「了解!」



出場途上

出場途上の救急車内から119番通報のあった電話に連絡を取ります。

(119コールバック)

隊員「もしもし、Aさんの電話で間違いありませんか?救急隊です、急いで向かっています」
夫「早く!早くお願いします、妻がもう生まれそうだって!」

電話の奥で苦しんでいる女性の声が聞こえてきました。

隊員「あと数分で到着できます、妊娠39週と聞いています、予定日は?かかりつけはどちらですか?」
夫「予定日は〇月〇日です、〇病院で出産予定です、すぐに連れてくるように言われています」
隊員「分かりました、〇病院には連絡が取れているのですね?」
夫「はい、状況を言ったら救急車を呼ぶようにって」
隊員「分かりました、赤ちゃんは出ていませんね?」
夫「はい、でも生まれそうだって、相当苦しんでいます、早く早くお願いします!」
隊員「間もなく到着します、一度電話を切らせてもらいます」

聴取できた状況を隊長と機関員に報告します。

隊長「了解、〇病院までは何分かかる?」
機関員「そうですね…この時間なら10から15分ってところかな」
隊長「資器材は分娩セットを傾向、ポンプ隊にも無線を入れとけ!」
隊員「了解!」


現場到着

指令先のAさん方は一戸建て、サイレンを聞きつけて血相を変えた男性が飛び出してきました。

夫「こっちです、早く、早くお願いします!」
隊長「通報いただいたご主人ですね?案内してください」
夫「はい、こっちです!」



傷病者接触

夫の案内で2階の寝室に向かいます。

隊長「お待たせしました救急隊です、Aさん、分かりますね?」
Aさん「ふぅ、ふぅ…はい…ふぅふぅ…分かります…」

傷病者は30代の女性でAさん、強い痛みに苦悶の表情を浮かべていますが受け答えはしっかりとできました。初産で妊娠39週、来週が出産予定日です。妊娠の経過は良好とのことでした。

隊長「Aさん、お身体の様子を確認させてください、ご主人は状況を教えてください」
隊員「血圧を測ります、身体に触りますよ」
Aさん「ヒィヒィ…はい…痛いぃいぃ!!…痛いいいぃぃ…」

聴取している間にもAさんは下腹部の激痛を訴え歯を食いしばって苦悶の表情を浮かべるのでした。

隊長「陣痛だぞ!時間を…〇時〇分」
隊員「了解、記録します」
Aさん「うううぅぅぅうううぅうう…」
隊長「Aさん、ごめんね痛いよね…この強い痛みの間隔は?」
Aさん「それが…うぅぅ…2時間くらい前は何か痛いかもって感じだったんですけど、ふぅふぅ…、急に強くなって…ふぅふぅ…今は本当に数分に一回激痛が…ふぅふぅ…」
隊長「分かりました、破水はしていませんか?下着は濡れてない?」
Aさん「はい…それは大丈夫です」
隊長「必要なら陰部の確認をさせてもらいますよ」

Aさんは2時間ほど前から腹痛が起こり始めました。かかりつけに連絡をすると、まだすぐに生まれる訳ではないので、様子をみるように言われたので夫婦でそのまま就寝しました。ところが、深夜になり激痛で目が覚めたのだそうです。あまりの痛がり方に夫が再びかかりつけに連絡、救急車を要請しすぐに連れてくるように言われたとのことでした。

隊長「状況は分かりました、病院には私たちからも確認の連絡を取らせてもらいます」
夫「はい、お願いします」
隊員「隊長、バイタルサインは取れています」
隊長「機関員は病院に連絡、担架じゃないとあの階段は降ろせない、ポンプ隊は搬送の支援を!」
ポンプ隊長「了解、担架の準備はこっちに任せて」
Aさん「痛いぃぃぃい…痛い!痛い!!痛いぃぃぃいぃいい…」
隊長「Aさん、急いで連れて行くからね、頑張ってください!」
隊員「陣痛…〇時〇分、間隔2分です」
Aさん「痛いぃいぃ…あぁぁ、何か何か出た…痛いぃいぃ…」
隊長「何か出た!?…Aさん、ご主人も!奥さんの下着を脱がせますよ、陰部を確認します、赤ちゃんの安全がかかってる、良いですね?」
夫「はい、はい!お願いします」

激痛に耐えるAさんはうなりながらも隊長の呼びかけに深く頷くのでした。陣痛間隔2分、緊急事態です。しかし、女性の下着を脱がし陰部を確認する。しっかりとした説明なしにこのようなことができる訳はありません。傷病者と夫の了解を得た後、Aさんの下着を脱がせ陰部を確認しました。下着は濡れており血液が付着していました。

隊長「破水してる!機関員、時間を記録しろ!」
機関員「了解、〇時〇分、破水…」
隊長「滅菌手袋、タオル包帯を広げろ!児頭が見えるぞ!機関員は救急隊を応援要請しろ!いつ生まれてもおかしくないぞ!発露、Aさん息んじゃダメだよ、準備するから、息んじゃダメだ…」
Aさん「ヒィヒィィ、ふうふぅ…」

発露とは、息んでいなくても赤ちゃんの頭が腟から見えたままになった状態です。分娩に備えて隊長は次々に判断し下命しました。清潔操作…滅菌手袋…おしりの下にタオルを引いて、それからそれから…あわわわわわわ…。

隊長「ポンプ隊長、赤ちゃんの頭がほとんど出てる、ここで分娩になります、このままじゃ搬送できない!」
ポンプ隊長「了解!」
隊長「滅菌手袋は?準備できたのか?」
隊員「滅菌手袋…はい、準備できました」
隊長「それならほら、交代だ、お前が会陰保護しろ、オレも手袋を交換する」
隊員「はい…」
隊長「Aさん、ご主人、赤ちゃんの頭がもう見えています、ここで生まれるよ、Aさん、息んじゃダメだよ、今、救急隊は出産の準備をしているからね、大丈夫だから、心配しないで…もうちょっとで生まれるから」
夫「はい…」
Aさん「はい…痛い痛いぃぃぃぃ…ううぅぅぅう…」

今にも赤ちゃんが生まれそう。緊迫の現場に浮足立ちそうな雰囲気を隊長の落ち着いた声のトーンがそれを許さない。いつもよりゆっくりいつもより低いトーンで現場を掌握している、凄い…。夫は部屋の隅に呆然と立ちすくみ、同じような表情で若いポンプ隊員たちも活動を見守っています。

Aさん「痛い痛い痛い痛い痛いぃぃぃぃぃふぅふぅ…いいいいいぃぃぃ」
隊長「児頭が出たぞ!Aさん、大きく深呼吸をして…もう赤ちゃんの頭が出たよ、頑張って!」
Aさん「ううぅぅぅ…」

救急隊がAさんの陰部を確認してからたった数分で生まれました。赤ちゃんが飛び出した、こう表現して相応しい超・安産、部屋に赤ちゃんの元気な泣き声が響きました。

隊長「ガーゼを…赤ちゃんの口・鼻を清拭、吸引がいるなら一番細いカテーテルでな、機関員、時間頼むよ」
機関員「ええ、了解です、〇時〇分」
隊員「隊長、清拭します」
隊長「おめでとうございます、元気に泣いてくれて良かった」
Aさん「ふうふぅ…ありがとうございます、赤ちゃん、大丈夫ですか?」
隊長「ええ、元気に泣いているし手足も活発に動かしてる、元気な男の子です」
Aさん「良かった…」
夫「良かった…ありがとうございます…」
隊長「アプガースコアを評価、赤ちゃんの全身をしっかり清拭して保温、母体とつながったままじゃこの階段は降りられないから臍帯は切断する、ママと赤ちゃんは応援隊と別々に搬送するから」
隊員「アプガースコア…そうか…」
機関員「了解、アプガースコアのカードです」

アプガースコアとは出生直後の新生児の状態を評価する指標です。淡々とやるべきことを下命する隊長、それに粛々と応じる機関員、ついていけない隊員…。

応援要請した救急隊が到着する頃にはAさんと赤ちゃんをつなぐ臍帯を切断、後着した救急隊に赤ちゃんを引継ぎ救急車2台でかかりつけへと向かうことになりました。Aさんも赤ちゃんもバイタルサインに問題はなし。夫はAさんに付き添うことになりました。


現場出発

隊長「…なるほど、それでは陣痛は本当に急に起こって、あっという間に生まれてしまった訳ですね」
夫「はい、初産だし、そんなにすぐに生まれることはないからまだ様子をみるように言われたんですけど、まさかこんな風になるなんて…」

現場では目まぐるしい状況変化…あっという間の分娩、搬送途上に状況を整理してかかりつけへと向かいました。


医療機関到着

医師「お疲れ様でした、母子共に元気です、サインしますよ」
隊長「ありがとうございます、先生、よろしくお願いします」
看護師「お父さんはここで待っててください、奥さんへの処置がまだあるから、病室には後で案内します」
夫「…」
看護師「お父さん、ねえ、お父さん?」
隊長「お父さん、お父さん、Aさん!?」
夫「…えっ?」
看護師「病室には後で案内します、お父さんはここでもう少し待ってください」
隊長「救急隊はこれで引き揚げます、おめでとうございます」
夫「えっ…あ…あぁ…そうか…お父さんって…オレのことか…今やっと実感が…まさか、こんなに感動するなんて…」

夫の目から涙がポロポロと溢れ出した。

夫「先生、救急隊のみなさん…本当に…本当にありがとうございました…やっと、今…安心しました…」

「墜落分娩 中等症」


帰署途上

隊長「何回やっても思うんだけど、女性って本当に凄いよな、生命の神秘を感じるよな?」
機関員「ええ、元気に生まれてくれて本当に良かった、感動的ですよね」
隊長「救急隊なんていつも死に当たることばかりだ、誕生の瞬間に立ち会えるなんて尊いよな~」
機関員「ええ、そうですね、お前はそんな風に思える余裕はなかったみたいだけどな?」
隊員「いや…すみません、面目ないです…、分娩事案は初めてでした、戦力外だったと痛感しています…」
隊長「そうだな…分娩はなかなか当たらないものな、実はオレ、これで取り上げたのは5人目」
機関員「いやいや、さすがベテランですね~、ってオレも分娩事案はこれで4回目です」

人生の終わりに立ち会うことが多い救急隊、この現場では始まりに立ち会うことができました。誕生の瞬間、新しい未来の現場、先輩たちの落ち着いた活動に脱帽でした。緊迫の現場ほど低いトーンで落ち着いて…それがプロの仕事です。キャリアの差だけでは説明がつかない気がする…あんな風に立ち振る舞うことができる未来を迎えるには、さて、今何をすべきか?

119番通報する前に1秒だけ考えてほしい、 大切な人がすぐ近くで倒れていないだろうか?今、本当に救急車が必要だろうか?と。

すべては救命のために

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