続・誰も分かってくれない…

緊迫の救急現場

誰もわかってくれない…と言うお話の続きです。このお話で紹介したた活動から数当番目、翌週の深夜です。


出場指令

「消防隊、救急隊出場、…Kマンション○号室、J方、詳細は不明なるも女性は自損の模様」

地図を確認する消防隊、救急隊の機関員たち。

消防隊の機関員「あれ?ここって…」
機関員「あ!先週のあの子のうちだよな?」

あれからたった数日、またも同じ部屋からの救急要請でした。この活動が本当に本当大変だったのです。

先週と同じ、深夜も深夜の出場、あの時と同じ、同じ消防署の消防隊とペアで出場する救急隊、緊急車両2台は現場に向かいます。

救命に直結する資機材だけを傾向した救急隊長と救急隊員が現場に急ぎます。救急機関員、消防隊員たちは搬送資機材などかさばる資機材を携行して後に続きます。


現場到着

部屋のドアが開いた。要請した彼、Jさんが案内に出ました。

彼氏「お願いします。彼女が手首を切ったんです」
隊長「分かりました、患者さんは奥にいますか?」
彼氏「はい、こっちです」


傷病者接触

ドアを入ってすぐのキッチンに傷病者の彼女はいました。20代前半のSさんはきっちんに座り込み左の手首をだらりと下げていました。Sさんのシャツ、ズボンは血に染まりキッチンの床にも血が流れ出し溜まっていました。

先週よりもずいぶんと出血が多い。でも多くみても200から300ccくらいでしょうか。キッチンの洗い場には刃渡り15センチくらいの包丁が血に染まって置いてありました。

隊長「こんばんは、Sさん、どうされましたか?」
Sさん「誰も私のこと分かってくれない…」
隊長「そう…、それでまた手首を切っちゃったんだね」
Sさん「誰も私のことなんて分かってくれない…」

ただただ呟くSさん。救急隊員は足に血液付着を防止するカバーをつけて傷病者のすぐそばに。足の裏にヌルリと血液の感覚が伝わる。

隊員「Sさん、痛いところごめんね、お怪我したところを良く見せてください」

Sさんはまた左の手首を自分で切りつけたとのことでした。先週よりも大分深い創、5~7センチ程度の長さ、深いところで1センチ近い深さのある切創が数箇所、それでも動脈性の出血はなく、出血はほとんど止まっていました。

隊員「隊長、この前よりも切創は大分深いです、動脈性はなし」
隊長「滅菌ガーゼじゃダメだな、タオル包帯と三角巾で圧迫しよう」
隊員「了解」

救急機関員、消防隊員が到着した。まだ新人の消防士が目をパチクリさせている。

隊長「止血処置後に搬送、機関はサブストレッチャーを準備、消防隊は搬送を支援して」
機関員、消防隊長「了解」

救急隊長と救急隊員で止血処置を実施しました。Sさんの怪我はこの左手首の切創のみ。消防隊の支援を受けて搬送を開始しました。


車内収容

他バイタルも問題なし。タオル包帯と三角巾で止血可能な出血、緊急に生命の危険性があるとは言えない傷病者、一般外科選定…だよな。

隊長「Jさんね、先週と状況も同じですし、先週よりも創は深いみたいですけど、診てもらっているしね、先週搬送した病院に当たりますよ」
彼氏「はい、分かりました、お願いします」

機関員が連絡を取り、傷病者のバイタルサイン、状況などを説明する。

看護師「少しお待ちくださいね、先生に確認します…」

決まってくれ、ここで診てもらいたい。

看護師「救急隊さん、お待たせしました。今、他の患者さんを扱い中です、当院で診ることはできません」

ここは簡単には引けない。ここで診てもらえなければ診てもらえる病院なんてそう簡単に見つかる訳がない。

機関員「看護師さん、どうにか診ていただけませんか?先週もそちらで診てもらっていますし、先生にどうにかお願いしますって言ってもらえませんか?」
看護師「難しいと思いますよ」

そこを何とか、そこを何とか、救急隊員も粘ります。

看護師「分かりました、もう一度先生に聞いてみますね」

お願い!頼む!祈る気持ちです。

看護師「救急隊さん、やっぱり無理ですって、手が離せないって、他の病院を当たってください」
機関員「そうですか…分かりました」
隊長「…ダメ?」
機関員「はい…」

先週搬送した病院には断られました。うつ病をお持ちの方、自殺未遂で自ら手首を切っている、そして深夜、そう簡単に搬送先病院が見つからない条件がそろっています。

病院選定が難航するのは分かっています。隊長は救急隊で病院を探し、さらに本部に連絡、状況を説明して本部からも病院を探すようにしました。

彼氏にも今、先週かかった病院には断られたこと、簡単に病院が見つからないであろうこと、救急隊も一生懸命病院を探すこと、さらに本部を介して他からも病院を探していることなどを説明しました。

彼氏「そうですか、分かりました」

彼氏は深くうなずき納得した様子でした。



病院選定

見つからない、もう10件以上の病院に断られました。


救急隊「現在、○病院、○病院、○病院…、すべて断られました。そちら選定状況いかがでしょうか?」
本部「○病院、○病院、○病院…、いずれも断られています」
救急隊「隊ではどちらを当たりましょう?」
本部「こちらで○方向を順に当たっていきます」
救急隊「了解、それでは救急隊は○方向に当たります」

傷病者のお宅を中心にして救急隊と本部、それぞれ競合しないように病院を当たりまくります。それでも見つからない。

看護師「当院での診察はできません」
隊員「そうですか…分かりました」

隊員と機関員も手分けして選定します。

機関員「そうですか…無理ですか…」
隊長「ダメだった?」
隊員「○病院もダメです」
機関員「○病院もダメです」
隊員「はぁ…次はどこの病院に当たりましょう?」
機関員「オレはこの病院を当たるよ」
隊員「じゃあオレはこっちの病院を」

救急車の運転席、助手席から連絡を入れ続ける隊員と機関員、後部座席には傷病者とその彼氏、救急隊長が静かに座っている。

ピ…ピ…ピ…ただ心電図の音が聞こえる。


まだ病院選定中

もう20件以上当たりました。本部との選定数を含めるなら30以上の医療機関に診察を断られました。車内収容して既に1時間以上が経過しました。突然、同乗していた彼氏が怒り始めた。

彼氏「いったいいつになったら病院に連れて行ってくれるんですか!いったい何をやってるんだよ!」
隊長「今、救急隊も一生懸命探しています」
彼氏「こんなのおかしい!問題だ!救急車なのに病院が決まらないなんてどうなっているんだ!」
隊長「分かりますけど、診てくれる病院が見つからないんですよ、私たちも搬送することはできません」
彼氏「絶対におかしい!先週はすぐに連れて行ってくれたじゃないですか!どうなっているんだ!」
隊長「私たちだって早く病院に連れて行ってあげたいんですよ!」

珍しく隊長が荒げた声で彼に問いかける。

隊長「…今、一生懸命病院を探しています。お気持ちは分かるけど待ってください」
Sさん「私のことなんてみんな嫌なんでしょ、誰も分かってくれない」

声を荒げる彼氏、この時、私は助手席で「救急隊だって一生懸命やっているんだよ!先週救急車を呼んでまた今日、問題はこちらだけではないだろう」そんな風にも思いました。しかし…彼氏の言う通りです。こんなの絶対におかしい、私もそう思う…。


搬送開始

受け入れ先病院が決まったのは1時間30分近く経ってから、隊からはいったいいくつの病院を当たったでしょうか?

30件近く当たったと思います。本部で当たった病院も含めれば40近くの医療機関に断られたでしょうか?具体的数、時間までは記憶がありません。ただ怒り出す彼氏、決まらない病院、きっと彼にも彼女にも私たち救急隊にも途方もない時間でした。

これだけ当たって決まった病院です。搬送時間も深夜、いや、もう早朝になっていました。そんな中、緊急走行しても30分近くかかりました。

「左手首切創 中等症」


帰署

一晩中かかったこの活動、引き揚げる頃にはもう朝でした。帰署途上緊急走行できる訳ではありませんので1時間近くもかかります。消防署に戻るとみんな朝の清掃をしていました。消防車を磨いている新人の消防士が声をかけてきました。

消防士「お疲れ様でした、あの後もまた出たんですね?」
隊員「な~に言っているんだよ!あの活動から帰ってきたんだよ、一晩中かかったの」
消防士「え!そうなんですか、なんでそんなにかかったんですか?」
隊員「一晩中病院が決まらなかったの」
消防士「そうなんですか…お疲れ様でした。でもなんでそんなに病院が決まらないんですか?」

…。まあこの前、配属されたばかりだからな、仕方がないか…。新人とはいえ身内だってこれだもんな…。救急隊の苦労なんて「誰も分かってくれない」なんて思ってしまう…。

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緊迫の救急現場
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