続・何となく何かヤバイ…

緊迫の現場

この記事をお読みになる前に何となく何かヤバイ…をご覧下さい。続編となります。

車内収容

Tさんを車内収容し受け入れ先の選定を始めました。

隊長「さて、どうしたものかな?」
隊員「肝硬変は間違いないとして…血圧は低いですがショックと言うほどではないし、3次選定するにはちょっと…」
隊長「そうだな、オレもそう思うんだ、緊急度と言う点でどうだろう?」
隊員「相談してみますか?」
隊長「そうだな、迷った時には助言だな」

救急隊が判断に迷っていたのは緊急度に関してでした。肝硬変がかなり進行している、重症度は高いと思われます。ただ、これは慢性的な病気で時間をかけて徐々に進行してきたと考えられます。

果たしてあと数分後、数十分後に生命に関わるような状態に容態が変わる可能性があるのだろうか?私たちの町のプロトコールでは進行した肝硬変の症状は3次医療機関を選定してもかまわない要件のひとつになっています。

しかし、今のTさんは3次高度救命救急センターに搬送し緊急に処置をしなければならないような状態なのだろうか?傷病者にとってどのような医療機関で治療を受ける事が利益なのだろうか?私たちは医師に助言を求めることにしました。


MC医連絡

助言要請とは救急救命士制度の根幹、メディカルコントロールの柱の一つとなっているものです。簡単に言うと、救急現場ではプロトコールでは想定できない事象などが起こった時、無線や携帯電話を活用してオンラインで医師にアドバイス、助言を求めることを言います。

救急救命士は「診療の補助」を行う立場にあるので、医師の指示を受けることは活動の医学的な根拠を求めることにもなります。現場で判断に迷った時に、救急救命士は医療従事者の上位者、高度な知識・技術を持つ医師に判断を委ねること、アドバイスを求めることができるのです。

隊員「…と言う状況なのです。先生、3次選定するほどの緊急度はあるでしょうか?搬送先医療機関はどうすべきでしょうか?」
MC医師「う~ん…その内容だと肝硬変は間違いなさそうだね?」
隊員「はい、症状からみても間違いないと思います」
MC医師「症状が出てからもう数ヶ月経っているのでしょ?ひとまず近くの消化器で対応可能な医療機関から選定してください」
隊員「そうですか、分かりました、助言ありがとうございました」

私たちは医師の助言を求め直近の医療機関を選定しました。受け入れ先はすぐに決まりました。


医療機関到着

病院のストレッチャーに写ったTさんはぐったりとしていましたが、容態が変わることもありませんでした。

医師「それでは引き継ぎをお願いします」
隊長「はい、同乗してきているご主人からの要請で…」

隊長がこれまでの状況、こちらに搬送するに至る概要などを医師に説明し引き継ぎます。

Tさん「どうもありがとうございました、本当に助かりました」
隊長「いいえ、Tさん、これからしっかりとした治療を受けないといけませんよ」
Tさん「はい…そうですね…」
医師「こんにちはTさん、救急隊の方から話は聞かせてもらったのですがね、もうひと月以上も前からなんですって?体調が悪かったのは?」
Tさん「はい、そうです…」
医師「顔色も優れませんね、お腹を見せてもらいますよ」
Tさん「はい…」
医師「これは…」

Tさんの診察を始めて絶句する医師

医師「ふぅ…サインしましょうか」
隊長「はい、お願いします」
医師「救急隊の方から説明されましたか?これは肝硬変で間違いないと思いますよ…」
Tさん「はぁ、そうですか…」
医師「何だってこんなになるまで病院に来なかったのですか?」
Tさん「…」
Mさん「いえ…その…実は…」

「肝硬変 中等症」


帰署途上

機関員「それにしてもあのシミ、よく分かったな?」
隊員「ほら、いつだったか下血している外国人を扱った事案があったじゃないですか?あの時に嫌と言うほどに嗅いだ臭いに似ていたので何となく何かヤバイって」
機関員「そんな現場あったっけ?」
隊員「ほらあったじゃないですか、あれ?一緒に行きませんでしたっけ?」
隊長「やるね~、経験が生かされたじゃないか」
機関員「それにしても何だってあんなに悪くなるまで放っておいたものかね?」
隊長「確かにもっと早く病院にかからなくちゃならないよな…でも何と言うか…いろんな事情があるものなんだな…」
隊員「オレだってさっきまで何でこんな風になるまでって思っていましたよ、でも何も言えませんね…」
機関員「事情って?」

診察室でMさんはどうしてこれまで病院にかかれなかったのかを語りだしたのでした。傷病者のTさんには実は本当の夫がいるとのことで、その夫からの暴力から逃れるために隠れるようにMさんと暮らしているとの事でした。

暴力を振るう夫から逃れ、Mさんとの生活が始まった頃から、お酒が欠かせない生活になっていったとの事でした。次第に体調を崩し、酒の量も体つきも異常であるのは明らかでした。

しかし、病院にかかり保険証を使えば夫に居所が分かってしまうかもしれない、家に戻ることになればまた暴力に苦しむことになる、保険を使わずに治療を受けるような経済力もない、だから医療機関にかかることはできなかったとの事でした。

この日の救急要請は切羽詰ったふたりの本当の最後の最後の手段だったのでした。どんよりと暗い救急車内。

機関員「そんな事情があった訳か…」
隊長「本当、救急隊の現場って社会問題のるつぼだよな」
機関員「他にもどんな事情があるかは知らないけど、あの二人は本当の夫婦ではなかったんだな」
隊員「きっとオレたちにはとても分からない複雑な問題があるんじゃないですか?」
隊長「ドメスティックバイオレンスの果てにあの状況があった訳だな…」

救急隊の現場には私たちの想像を絶するような様々な事案がります。そこには人々の様々な生活や事情が複雑に絡んでいたりします。テキストに書いてあることだけでは現場が回らない大きな要因です。

こんな様々な現場で頭を悩ませ、解決策を探し、制度と言う枠に配慮し、傷病者にとっての利益を考え、そしていつも疑問を感じて、そんな事の繰り返しが経験となり、きっと何となくの第六感のようなものを磨くのだと思います。

119番通報する前に1秒だけ考えてほしい、大切な人がすぐ近くで倒れていないだろうか?今、本当に救急車が必要だろうか?と。
すべては救命のために
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