誰かの犠牲ち

緊迫の現場

新型コロナウイルスが蔓延する中、救急隊の稼働率が注目されるようになりました。運用できる救急車がゼロになっている、運用率が99%に達しているなど、危機的状況を発信している消防本部もあります。

確かにコロナ禍で酷い状況ではありますが、運用率が90%超えが常態化しているような地域は以前からあるのです。これまで当サイトで紹介してきたとおり、実は今に始まった話ではないのです。この状況に最も被害を被るのは、もちろん本当に救急車を必要とする人たち…。


出場指令

この日も朝から出ずっぱり、聞いたこともない町名までの出場、病院での一息も許されない。また無線で呼び出されての連続出場、当然、昼休みも夕方の休憩もないままに消防署に戻って来たのは深夜でした。

もうお願いだから許してくれ、もうお願いだからやめてくれ、もう壊れてしまう…。1時間だけでいい、少しだけでも休憩させてくれ…。今、そんな願いが叶う状況の訳もなく、深夜の消防署にこの日10件目の出場指令が流れるのでした。

「救急出場、〇町〇丁目…特別養護老人ホーム〇に急病人、新型コロナウイルスにて療養中の女性、発熱、酸素飽和度の低下、通報は施設職員」

機関員「終わった…朝まで決まらないぞ…」
隊長「週末の深夜、最悪だな…朝になれば決まるのかね…?」

これから日付が変わろうとしている時間帯の出場指令です。緊急走行し医療機関に迅速に連れて行くのが救急隊の使命です。朝までに決まるかって何を言っているの?それが普通の感覚だと思います。コロナ禍の今、救急救命士の現実は重い…。


出場途上

消防署を飛び出した救急車、緊急走行する車内から救急隊員が119番通報電話に連絡を取ります。

(119コールバック)

隊員「ご通報いただいた方ですね、急いで向かっています」
介護士「お願いします、当施設の利用者なのですが…」

電話に応答したのは通報者の介護士でした。利用者の女性は昨日から発熱、かかりつけの往診医が検査し新型コロナウイルス陽性が判明、夜から酸素飽和度が低下してきたため往診医に連絡すると、救急要請を指示されたとのことでした。

隊員「分かりました、主治医からはどちらかの医療機関に連絡が取れているのでしょうか?」
介護士「いいえ、この時間ではとても対応できないから救急隊に決めてもらうようにと」
隊員「そうですか…分かりました、間もなく到着できますので案内をお願いします」

聴取できた状況を隊長と機関員と共有します。

隊長「はああ…病院は救急隊に決めてもらえって?」
機関員「簡単に言ってくれるよな~…決まるとは思えない…」


現場到着

感染防護衣に身を包んだ介護士が対応していました。傷病者は80代の女性のYさん、寝たきりで生活にはかなりの介助を要する方です。老人ホームのこの部屋を隔離室とし療養していました。救急隊も全身を感染防止衣での活動、この深夜だというのに駆け付けるだけで汗だくです。

Yさんは寝たきりで元々コミュニケーションが取れません。自身の指名や生年月日を応えることはできない方でした。ただ、痛いとか苦しいは訴えることができるそうです。やや早く浅い呼吸をしており、熱が39℃代、そして酸素飽和度、SPO2値は80%程度代でした。

隊員「Yさん、酸素マスクを当てさせてもらいますよ、これで少しは楽になると思います」
Yさん「はあ…はあ…苦しい…」

血圧や脈拍など他のバイタルサインには異常値はありません。Yさんの酸素飽和度は救急隊の酸素投与ですぐに90%後半まで回復しました。早く浅い呼吸も正常な状態になりました。既に家族には連絡がついており救急搬送することの了解が得られている。陽性者のため施設の職員は救急車には同乗できないが、後から医療機関には駆け付ける。

隊長「この施設では酸素投与はできないのですか?」
介護士「はい…、設備もありませんし、この時間だと看護師もいません」
隊長「分かりました、車内収容しよう、ここにいたらすぐに酸素が底をつくぞ」

新型コロナウイルス罹患者を扱った場合、簡単には病院が決まらない状況が続いています。ここに酸素投与の設備があるなら車内収容せずこの場で選定を開始したいところです。



車内収容

老人ホームの前に停車した救急車内で機関員が選定を開始、隊員は本部や保健所など関係機関に連絡し情報を共有しました。

機関員「ベッドの有無なんて言ってる場合じゃないです、どんどん選定します」
隊長「ああ、それしかないな、頼むよ」

コロナ患者に対応可能で、かつベッドに空床がある病院、そんなもの検索できる端末には既にないのでした。

隊員「隊長…本部も関係機関も選定には入れないって…オレも選定します」
隊長「ああ…そうだろうな…傷病者の継続観察は後ろでやるから、ふたりは前でどんどん当たってくれ」
機関員「了解…」
隊長「Yさん、病院を探しています、頑張ってください」
Yさん「はあ…はあ…」


医療機関選定

機関員「そうですか…どうにもなりませんか?」
看護師「とても無理です…さっきも〇救急隊から連絡が来ましたよ、何でも50件以上選定しているって…」
機関員「50件…まあ〇救急隊がそちらに連絡してくるってことはそう言うことでしょうね…うちもどこに決まるやら…」
看護師「頑張ってね、ごめんなさい」
機関員「いいえ、お互いさまです、こんな状況ですが、お互い頑張りましょう」

決まらない…。この救急隊だけでなく、他にも似たような状況の隊が活動していました。連絡する病院はいずれもコロナに対応できるベッドが満床のため収容不能でした。電話対応するスタッフからも聞いたこともないような救急隊から助けてほしいと悲痛な収容依頼が何度もかかってきているとのでした。

このような状況に陥っている救急隊はこの隊だけでないため、本部や保健所などの関係機関の協力は得られないのでした。深夜、救急隊の孤独な闘いは続く。

看護師「〇救急隊?…それはまたすごいところから…」
機関員「どうにもなりませんか?」
看護師「コロナ病棟は満床、スタッフにも罹患者が出ていてパンク状態、しかもその患者さん、その状態じゃ絶対に入院でしょ?ごめんなさい」
機関員「…分かりました」

決まらない…。

隊員「どうにかお願いできませんか?」
看護師「ごめんなさい、絶対無理です」
隊員「そうですか…了解です」

決まらない…決まらない…。

隊員「〇病院も△病院もダメでした、次はどこいきましょう?」
機関員「じゃあ□病院で」
隊員「□病院?それってどこですか?」
機関員「知らねえよ、とにかくかけてみろって」


まだ選定中

コロナに対応できる医療機関、情報にある限りすべてに連絡しすべてに断られました。システムにある医療機関が全滅しました。

機関員「隊長…これってどうするんでしたっけ?」
隊長「えっと…書類も確認してくれ、それから本部にも連絡を…」
隊員「了解、オレは本部に連絡します」

実ははこうなった場合、どうすれば良いかは決まっていないのでした。つまり、組織として想定外の事態に陥ってしまった…。

隊員「2回目の収容依頼ですか…しかし、この週末の深夜に退院する人なんていないですよ、ベッドが空くとは思えないのですが…」
本部「ええ、そうですね、でもそれしかないんです」
隊員「はぁ…了解です」
本部「他にも複数の隊が似たような状況で活動中です…とにかく…頑張ってください」
隊員「了解しました、また報告します」

このような状況に陥っている救急隊は他にもおり、本部からはとても助けられないとの回答でした。引き続きコロナに対応できる医療機関に2回目の選定依頼、それからコロナに対応できるか否かに関わらず選定を継続するように、頑張ってくれ、そんな指示がありました…。

隊員「…だそうです」
隊長「コロナ対応病院が全滅だから、コロナに対応できない病院にかけろって?どういう理屈なんだ?」
機関員「了解、らしくていいじゃないですか、要は気合いだ、根性だってことでしょ?頑張ろうぜ!」

機関員が壊れ始めている…。


まだまだ選定中

選定医療機関は60件を超えていました。

隊長「Yさん、ごめんね、病院が決まらないんだ、決まったら急いで連れて行くからね」
Yさん「はあ…はあ…苦しい」

酸素投与で落ち着いていたYさんは時々、苦しいと訴えるようになりました。酸素飽和度も低下してしまう…。その度、隊長が口腔内を吸引すると、また安定する、そんなことを繰り返していました。可哀想に…苦しいって訴えているのに…。


数時間経過

辺りが薄っすらと明るくなってきました。実に選定した医療機関は延べ100件に迫ろうとしていました。

機関員「…え?何ですって?」
看護師「いや、だから当院で対応します、ベッドがどうにかなったから収容可能です」
機関員「本当ですか!ありがとうございます!!」

ついに病院が決まりました。数時間前に収容できないと断られた病院、2回目に連絡したところ、なぜか対応できると回答が得られました。


医療機関到着

医師「大変でしたね…救急隊が泣いているって言うから…」
隊長「先生、本当に助かりました、100件近く選定したんです…」
医師「お疲れ様でした、聞いたことない救急隊が何度もかけてきてる、でもこれで絶対に対応不能になりました」
看護師「実はね、同時に〇救急隊からも収容依頼が来ていたんですよ、でもあっちはまだ50件目って話だったからこちらを取ることになりました」
隊長「そうでしたか…よくこの時間にベッドが空きましたね…ひょっとして?」
看護師「ええ…亡くなったんです、だから空いたの…」
隊長「ああ…やっぱり、そうでしたか…」
看護師「そう…今夜はもう亡くなりそうな患者さんはいないから朝までは無理…」

「COVID19 中等症」


引き揚げ準備

救急車のドア、窓を全開にし車内の換気を徹底、あらゆる資器材を消毒します。やっとこのサウナスーツのような感染防止衣、息苦しいN95マスクを外すことができる。早朝になったこの時間帯でも暑い、辛い作業です。引継ぎを終えた隊長が戻ってきました。

隊員「お疲れ様でした、消毒中です」
隊長「急ぐ必要ないよ、ゆっくりやってくれ、どうせもう出られないだろ?」
隊員「ええ、もう酸素がギリギリです、署に戻って交換しないと…」
機関員「燃料もない、長距離に当たるとガス欠です」
隊長「そうだろうな…疲れた…」
隊員「それにしても、よく決まりましたね、オレは朝になるまでは無理だと思っていました」
機関員「入院患者が亡くなったんでしょ?」
隊長「当たり…」
隊員「ああ…そうか、なるほど…」
機関員「今、傷病者を助けるには誰かの犠牲待ちってことだな…」
隊員「これを崩壊とは呼ばないんですかね?偉い人は知らないんでしょうか?」
機関員「さあ?ただ、崩壊したら都合が悪い人が決定権を持っている限りは、崩壊とは言わないでしょ?」
隊長「そうだな…と言うことはもっと酷い状況になっても崩壊とは呼ばないな、限りなく崩壊に近い状況とか、崩壊状態とか、そんな表現かな?」
機関員「既に似たような表現をよく目にしますけど…」


救急隊が迅速に駆け付けないと助けられない傷病者がいます。一番近くの救急隊が駆け付け適正な医療機関に連れていく。そんな当たり前は失われ、コロナ禍においては絶望的な状況です。当たり前ができたのなら助けられたはずの犠牲者が生まれている。この犠牲が劇的な制度改革のきっかけになることを切に願うばかりです。

エピペンを使うぞ!当たり前を取り戻す劇的な制度改革のきっかけが、誰かの犠牲でないことを切に願うと記載した記事、結局こんな風になってしまいました…とても残念です)

119番通報する前に1秒だけ考えてほしい、 大切な人がすぐ近くで倒れていないだろうか?今、本当に救急車が必要だろうか?と。

すべては救命のために

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