メガトレンドなんてぶっ飛ばせ!

救命士のこぼれ話

医療機関にて

深夜の病院、医師引き継ぎを終えて処置室を後にします。

看護師「お疲れ様でした、お互いに今夜はもうこれで終わりが良いわね?」
隊長「ええ、ただ…今夜また要請があった時にはお願いします」
看護師「嫌よ…他に行って」
隊長「そんなこと言わないで、今夜の先生は随分と受け入れてくれるみたいだし」
看護師「⚪︎大学病院からの先生、やる気があって何でも受けちゃって、私たちはしんどい…」
隊長「ふふ…良い話を聞いた、救急隊としてはありがたい、最近は常勤の先生方は泊まっていないですよね?」
看護師「ええ、医師の働き方改革で常勤医は基本的に宿直をやらなくなったの、夜間は外部の先生ばかりになった」
隊長「へぇ〜、どうりで最近は初めましての先生ばかりだと思った」
看護師「でも外部の先生だと院内の仕組みも知らないし、対応する私たちは大変…スタッフからの不満も多いのよね」

引揚途上

消防署への帰り道、深夜のガラガラの道を救急車は走ります。

隊長「ってことだってさ」
隊員「なるほど、だから最近は常勤の先生方を昼間にしか見かけなかったのですね」
隊長「医師の宿日直の勤務は殺人的だからな…宿直がないのなら、かなりの改善が見込めるんじゃないかな?」
機関員「ただ、夜間帯の受け入れは泊まっている先生によってばらつきを感じますね」
隊長「言えてるね、今夜の先生は⚪︎大学病院から来ているって、やる気があって何でも受けちゃって困るって看護師がこぼしていた」
機関員「ふふ…救急隊には朗報じゃないですか」
隊長「ああ、今夜さらに要請されたらよろしくって言っておいた」
機関員「やめましょう、今夜はもうやめにしましょう、もう11件も出ているんだ、疲れた…今日もほぼ休憩なしですよ」
隊長「そうだな…救急隊の働き方改革はいつになるのだろうな?」
機関員「さあ?民間から10年は遅れるんじゃないですか?隊長が退職後なのは確定では?」
隊長「やっぱり…そう思う?」
機関員「間違いないでしょ?改革なんて組織が一番望まないことだ、大きな変化が大嫌いじゃないですか」
隊長「確かになぁ…」
隊員「やっぱり変化が嫌いなのですか?」
機関員「お前も何年もこの職場にいるんだ、もう分かるだろ?変化に軋轢や問題はつきものだ、事勿れ主義にとって変化は悪だ」
隊員「そうかも…今だって看護師が病院の変化に不満が多いって話だったし…うちだけの話じゃないですね」
隊長「現状維持が好ましいか…、う〜ん…公務員が叩かれる思考だと思うけれども、売上を求められる訳ではないし、成果を上げるよりも失敗しないことが評価される、そういう風になっていくよな〜」
隊員「確かに…否定できない…」
機関員「オレは別に組織批判をしている訳ではないですよ、うちに限らず民間だってそんな会社はたくさんある、むしろそっちがこの国の標準なんじゃないですか?空気を読むのが協調性、それが普通ですよ」
隊長「改革は大きな変化と大きな不満を生む、小さな改善はうちだって大歓迎だもんな?」
機関員「そうそう、小さな改善を否定している訳じゃないです」
隊員「でもこの救急隊の働き方、改革しないとダメでは?小さな改善では追いつかない気がします、早くどうにかしないといつか大事故が起こってしまうのでは?」
機関員「大事故が起こってから動くんだよ、取り返しのつかないことが起こるから重い腰が上がるんだ、改革せざるを得なくなるから始まるんじゃないか」
隊員「はぁ、いつもの話、いつか来る終わりが始まりってことですか?」
機関員「そうそう、そう言うこと」
隊長「残念ながらそれはそうかもな…、スクラップアンドビルドだっけ?今のこの態勢が一度壊れるようなことがないと何も始まらないのだろうな…」
隊員「はぁぁ…結局は誰かの犠牲待ちか、それが死人でないと良いですね…」
隊長「正直言うとその日までのカウントダウンは進んでいると思う、それがオレが現職の間に起こるか、退職後なのかは分からないけど、ただ…そう遠くない未来だとも思う」
隊員「でも、救急車が大破したって、炎上したって根本的なところは何も変わらないじゃないですか?」
機関員「まだ犠牲が足りないんだよ…」
隊員「誰かが大怪我したり、死んだりしてからでは取り返しがつかないって言うのに?」
隊長「眠気防止にちょうど良い話かも…この前、同年代の救急隊長たちで飲んできたんだ、救急隊の働き方改革のきっかけ、つまりこれから起こってしまうターニングポイントの話になったんだ」
機関員「めちゃめちゃ面白そうじゃないですか、なあ?」
隊員「ええ、現役のベテラン救急隊長たちの未来予想ですか、眠気防止になるって言うのが何やら怖いですけど…」
隊長「老いぼれたちの戯言と思って話半分で聞いてくれよ」

ベテラン隊長たちの集い

救急隊の出場件数に関しては年々増加傾向にあり全国各地で過去最高を記録している。日本の人口は減少しており当然、労働人口も減少していく。超高齢社会はさらに進行するため出場件数増加はまだしばらくは止まらない。市町村の財政が満ち足りている訳もなく、救急隊の増隊や人員確保は簡単ではない。

「確かに…まさに潮流、逆らえない時代の流れだよな」
「消防官が人気の職業だったのもかつての話だ、うちの本部の希望者も採用倍率も徐々に下がっているって、若者を集めるのが難しくなっていく…この流れも止まらないな」
「こう言うのを確かメガトレンドと言うのだろ?その逆らえない時代の流れにうちの組織、特に救急隊は乗っていけるのかね?」
「さあね?メガトレンドって言えば、さらに…」

2019年には働き方改革関連法が施行された。さまざまな職業に働き方改革が及んでいる。病院もその例外ではなく、常勤医が宿直に当たらないなんて制度改革も目の当たりにしている。特に注目されたのは職業ドライバーの労働環境、ドライバーの2024年問題は記憶に新しいところだ。

「言えているね…救急隊の労働環境で言えば、切迫した課題はやっぱり機関員だな」
「救急機関員はもちろん職業ドライバーだ、あり得ないよ、10時間以上もハンドルを握り続ける日があるなんて…おまけに人命を扱っているんだ…」
「いつか死人が出るよな?オレたちの隊だけはそれを避けないとな…」
「結局はそこに尽きるね…」
「救急隊の働き方改革の始まりは犠牲者が出た時か?」
「ああ、多分ね…」
「オレもそう思う、具体的には「過労運転で裁かれる時」だと思っている」
「穏やかじゃないね…裁かれるのは誰?オレたち隊長?それとも機関員?」

過労運転の禁止は道路交通法に定められています。過労運転したドライバーには厳しい罰則があり、公務員が過労運転をすると、最悪の場合は失職します。悪質なケースではありますが、消防職員が過労運転で懲戒免職になったことはあります。さらに飲酒運転やあおり運転など悪質なドライバーの行為が社会問題となり、罰則も強化されている。悪質なドライバーの厳罰化も時代の潮流と言える。

「裁かれるのが現場の人間なら切り捨てれば済む話になりかねない…それだときっと何も変わらない」
「そうかもな…では、現場の責任では済まされない事態になった時はどうなる?」
「現場の人間が裁かれ、さらに管理者にその責任が及んだ時ってことか…」
「管理者って?」
「道交法で定められている安全運転管理者、消防署の規模で違いはあるけど管理職が勤めるポジションだ」
「組織の責任が確定、おまけに管理職が罰せられたら、確かに大きく動くことになるな…」
「トップダウンの組織で、上が責任に晒された時の迅速さには目を見張るものがあるだろ?」
「確かになぁ…でも結局、現場のオレ達は?」
「もちろんちゃんと裁かれるだろうなぁ…」
「過労運転なら機関員は一発免取り、救命士なら国家資格も剥奪まである、さらに失職…救いがなさ過ぎる…」

消防官は住民の血税で雇われている公僕である。組織人としての法令遵守は当然のこととして、さらに高い倫理観と崇高な使命感が求められる。ただ、そんなことは公僕に限られる話ではない。どこもかしこもコンプライアンスだ企業統治だと何やら窮屈だ。あの誰もが知る大手芸能事務所もあの放送局も重大なコンプラ違反で大変な事態に陥った。

「組織や幹部クラスへの責任追求もトレンドだな、不祥事を起こした企業は組織風土の改革を早急の課題にする」
「組織風土ね…うちだと伝統って言葉に置き換えられて神聖化されている部分も多いからなぁ…一番改革できないところかもね?」
「コンプラなんて言われる前からオレたちの職場は法令遵守が大原則だけれども…それでも昔は今よりずっと緩かったよな?」
「あの頃は良かったなぁ…」
「ところでコンプラが一番緩い時っていつだと思う?」
「オレたちが若かったあの頃?」
「いやいや、もっと前はさらにだった、昭和の時代だろ?」
「そう言うことじゃなくて…」

消防署に着いた

隊長「…とまあ、そんな話になったんだ、目が覚めるだろ?」
機関員「本当…救いがなさ過ぎて目が覚めました…おまけに理路整然としていて説得力があるのが堪らない…」
隊長「お陰で無事に着いたな、そうならないように早く横になろう、数少ない具体的な対策だ」
機関員「そうですね…」
隊員「…」

救急車を車庫に入れてエンジンを切りました。どんなに疲れていても絶対に一服を欠かさない隊長は喫煙所に消えていった。隊員と機関員は最低限の事務処理のために事務室へと向かいました。当然誰も起きていない。

隊員「さっきの話、酷くないですか?公務でやっている、問答無用の命令で出場しているのに機関員が背負うリスクは重すぎませんか?」
機関員「そんなことを知らないまま、ここまでやってきたんだよ」
隊員「そんな話を隊長クラスがしているって言うのに、対策は早く横になることなんて…何もしていないのと同じことですよ」
機関員「何十年も根本には誰も何も迫れないで棚上げされてきた課題だ、現場の隊長を責めるのは可哀想だよ」
隊員「でも、誰かが犠牲になってからじゃ遅いじゃないですか?」
機関員「ああ、それはそう思う、だから早く横になろうぜ、当事者になるのだけは避けよう、それ以上の対策なんてオレたちにはないのだから…」
隊員「隊長ももっと上の人たちも、どうにかしようとは思わないんですか?」
機関員「思ってはいるけれど、何もできないよ…全国規模の問題だぜ?一消防本部がどれだけ頑張ってもどうにかなるとも思えない」
隊員「それは…そうでしょうけど…」
機関員「オレだって不平や不満はあるけど、上のせいにするのも違うと思う、問題が大き過ぎるよ…、今の幹部が新人の頃から、何十年も根本に触れることなく解決できないで来たんだ」
隊員「でも危険に晒されているのは現場の人間、それから傷病者ですよ」
機関員「お前の言いたいことは分かるけれども、消防署単位でなんてどうにもならないよ、それに改革は軋轢を生むんだ、大きな変化は大きな不満を呼ぶ、声を上げれば叩かれる、事勿れ主義が大多数なんだぜ?叩かれる人間が上に行くか?」
隊員「それは…確かに行かない、いや…行けないと思う…」
機関員「な?そうだろ?納得がいかないなら、お前が偉くなって変えてくれよ、オレにはできない」
隊員「…」
機関員「そんな目で見るなって、子どもいるしローンもあるんだ、叩かれてまでやろうとなんて思わない、軋轢なく平和にやりたいんだ、これが大多数だぜ?普通のお父さんを責めないでくれよ」
隊員「普通のお父さん…オレも同じです…生意気なこと言ってすみません…」
機関員「大丈夫だよ、お前が偉くなる前にことは起こるさ」
隊員「それって大丈夫じゃないってことでは?」

数日後

根本的な対策はできなくても、何かをやろうと頑張っている。救急隊を取り巻く労務環境について様々な議論の末、ひとつの具体的な対策が取られた。

機関員「なるほど…確かに具体的だ…」
隊員「はい…すげえス〜ってします」

「帰署途上に眠気防止の飴やガムを食べても良い」ことになった。改革は難しくても、小さな改善は大歓迎…。

隊員「これってむしろお手上げってことでは?」
隊長「そんなこと言うなって、何も進んでいないより良いじゃないか…」
機関員「いつも根本には迫れない、対処に過ぎないんだよな…救急隊が交代なしに1日に10時間以上も稼働することについては?」
隊長「ああ、それについては、頑張れってさ…」
隊員「いや…頑張らないとそもそもできないんですけど…」
機関員「結局は気合いと根性か、これこそが伝統だな…やっぱり根本部分は何も変わらないな〜」
隊員「この前の隊長たちの話、さらに説得力を帯びますね…」
隊長「ああ…そうだな…」
機関員「時代の潮流なんて関係ねえ、メガトレンドなんてぶっ飛ばせ!ってことだな?」
隊長「へぇ〜キャッチーで良いじゃない?」
機関員「でしょ?」
隊長・機関員「あははははは〜」

あはは、はぁ…全然笑えない。メガトレンドって逆らえない時代の流れのことでは?こりゃ本当にヤバいな…。このままだと隊長たちの未来予想は当たってしまう…。昭和の時代、隊長たちが若かったあの頃、平成を経て令和、一昨年よりも昨年、そして今年、求められるコンプライアンスの基準は高まり続けている。この流れも止まるとは思えない。昨日大丈夫だったことが明日大丈夫であるとは限らない。コンプラが最も緩い時は「今」なのだからー。

119番通報する前に1秒だけ考えてほしい、 大切な人がすぐ近くで倒れていないだろうか?今、本当に救急車が必要だろうか?と。
すべては救命のために
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