誰かの決断を待っている

救命士のこぼれ話

このお話はローテーションは歪を生んで多数決は歪を生まないの続きです。

これまでの日常をひっくり返した新型コロナウイルスの蔓延、パンデミックの猛威は例外なく消防署にも降りかかったのでした。罹患したり、濃厚接触者になったりと、出勤できない者が続出していました。救急資格を持つ者は正規・予備、経験に関わらずフル稼働です。

感染が爆発的に増えている中、増える救急要請…。医療従事者も罹患する中、病院には発熱患者が溢れている。受け入れ先は簡単に決まらず活動時間が長くなる。このような悪循環のせいで救急隊はこれまでにも増して出ずっぱり、朝に出場して夜中まで一度も署に戻れない、いつもにも増してそんな毎日が続いていました。


明け番、午前の消防署

隊員「おはようございます、戻りました…」
隊長「お疲れさん、お互い大変だったな…何件出た?」
隊員「12件です、それでも夜は少し仮眠できました」
隊長「こっちは9件、夜中に発熱傷病者を扱って朝まで決まらなかった…仮眠もなしだ…」
隊員「それは…お疲れ様でした、先輩はまだ戻りませんか?」
隊長「ああ、あっちも相当酷かったみたいだな…」

昨日からの当務、この隊の正規メンバーの隊長、隊員、機関員はそれぞれちりじりになり違う救急車に乗車したのでした。

隊員「次も3人ともちりじりですね」
隊長「ああ、しばらくこの状況が続くことになるだろうな」
隊員「オレは次は□救急隊ですって?」
隊長「あそこは隊長と隊員が陽性、機関員が濃厚接触者、隊長も機関員も予備になるから、それなりの救命士隊員が必要だとさ、評価されてるって思えよ」
隊員「そうですね…△救急隊は?」
隊長「あっちは機関員が陽性だからうちの機関員がどうしても必要だってさ」
隊員「なるほど、そうですか…」
隊長「うちだけじゃない、正規メンバーでなんて組めないよ、予備を3人集めてって訳にはいかないだろ?」
隊員「まあ…そうですね…確かにそれはヤバ過ぎる…」



間もなく正午

明らかに疲弊した機関員が帰ってきました。不機嫌が溢れています。

機関員「戻りました、疲れた…」
隊長「お疲れさん、大変だったな?」
機関員「ええ、日付が変わるまで出ずっぱりでしたよ…」
隊長「そうか…もう引き揚げよう、今は体調を整えることが一番大切だよ」
機関員「そうします、次回は△救急隊、何でオレが?って思うところはありますけど…」
隊長「この状況で救急資格者は経験が乏しい者までフル稼働だ、バランスを考えるとオレたち正規メンバーはちりじりになるしかないよ」
機関員「はぁぁ…もちろん事情は分かりますけど…どこの隊も寄せ集めみたいなチームを作って…こんな時に備えてこなかった幹部の怠慢だって、みんな言っていますよ」
隊長「幹部の怠慢、寄せ集めチーム…そうだなぁ…、帰ろう、お疲れさん」
隊員「お疲れ様でした…」

—救急隊の交替乗務に関する方針—
救急隊の労務管理のためだけではなく、有事の際が来た時のバックアップ体制も目的である。スキルの育成にも維持にも時間がかかる、リスクは承知の上だ。交替乗務をさらに推進し、署全体で救急隊の労務管理の課題に取り組んでいく。これまで救急車に乗務する機会のなかった者も、救急資格者は月に数度は救急車に乗務すること。

みんなが批判していた、トップの暴走だと誰も支持しなかったのに…。

更衣室

こんな時間に着替えているのは救急隊だけ。先輩機関員が一足早く帰っていきました。

隊員「思い出しました…あの時の署長の方針、こんな風になってみると必要だった…」
隊長「ああ、今の署長もあの方針には否定的だったからな…いつの間にかなあなあになった」
隊員「こんな時代が来てみたら、悔しいけど、あの方針は正しかったと言わざるを得ない、トップに立つ者はみんなの反対を押し切っても決断しないといけないって…こういうことだったんですね」
隊長「さすがにここまでは予測してなかっただろうけどな、総スカンの署長だけが正しかった、そんな事態になっちまったな…結局、幹部の仕事をしていたのは、あの署長だけだったな…」
隊員「みんな大反対だったのに、今度は手の平を返したように、今度は幹部の怠慢だって…」
隊長「まあそんなもんだ…先を見られる人なんて一握りだからな、少数派は叩かれる、やっぱりあの署長はトップの器だっただろ?」
隊員「はい…多数派が正しいとは限らない…なるほど、多数決の弱点ですね…」
隊長「あの時の否定派も自分が否定していたことを忘れてしまう、勝手だよな?反対を押し切って決断するって辛いことだろ?」
隊員「はい、多数決って実は簡単なんですね…」


街角インタビューは大多数の声として伝えられている。コメンテーターがそれを支持して、ああでもない、こうでもないと誰かの決断を批判している。責任がない者は好き勝手に叩いて、いつの間にか自分も叩いていたことを忘れてしまう。決断は責任を伴い、多数決なら回避できる。だからみんなの顔色をうかがってしまう。大多数に属すると、正しい気がして安心する。

救急車でなくては助けられない人がいることは分かっている。だから今、助けられるはずだった人たちが亡くなっていることも分かってしまう。様々な矛盾、怒りや悲しみ、色んな気持ちがあるけれど、どうして良いかは分からない。不平不満は口にするのに、責任を取るのは嫌だから、ずっと誰かの決断を待っている。

119番通報する前に1秒だけ考えてほしい、 大切な人がすぐ近くで倒れていないだろうか?今、本当に救急車が必要だろうか?と。

すべては救命のために

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