いつか来る終わり

救急救命士のこぼれ話

私が救急隊を志して救急車に乗車し始めた10年以上の前の話です。あの頃からは様々な対策で少しずつ改善している救急隊を取り巻く環境、一方で増え続ける出場件数に対策が追い付いていない現実も様々あって…


帰署途上

クラクションが鳴った。クラクションが鳴っている…?あれ?あれ?ここどこだっけ?クラクションが鳴っている…、救急車、救急車内だ…あっ!

隊員「先輩!先輩!信号青ですよ、クラクション鳴らされてる!」
機関員「え?え?」
隊長「うわっ…、あ、あれ?」
隊員「ほら!青ですよ!後ろからクラクション鳴らされています!」
機関員「あ!ああ!そうか…」

深夜の街、再び救急車は消防署に向けて走り始めたのでした。病院からの帰署途上、赤信号で停車した救急車は信号が青に変わるたった1分足らずの間に運転席の機関員、助手席にいる隊長が同時に寝落ちしてしまったのでした。

後部座席にいた隊員は寝ていたのか、起きていたのか?後ろにいた車からクラクションを鳴らされてもそれが何かのか、今、何をしているのか、それが一瞬、分からなかったのでした。

隊長「ダメだ…停めよう、少し夜風に当たろう…」
機関員「はい、すみません…」
隊長「いや…オレこそごめん」

この日は午前9時頃に1件目の出場がかかり、無線で呼び出されての連続出場の繰り返し、既に14時間ほどが経過し日付が変わっていました。一度も消防署に辿り着くことができず昼食も夕食も隠れるように病院の駐車場に停車した救急車内で済ませ、ここまで休憩はまったくありませんでした。隊長の指示で路上に停車した救急車から降りた3人は夜風に当たります。

機関員「うぅぅ…寒い…」
隊長「今日は酷いな…日付が変わっちまった」
隊員「まだ一度も署に戻れてないですよ…」
機関員「いつまで続くんですかね…こんなこと…」
隊長「年明けまではずっとこんな感じだろうな…師走はいつもこんな感じだ…」

凍てつくような寒さの中、路上で深呼吸、ストレッチをしている救急隊、眠気を覚まさなければ、無事に消防署に辿り着かなければ…。そんな中、絶望を告げる無線が鳴り出したのでした。

機関員「嘘だろ…」
隊員「これで10件目ですよ…」
本部「〇町で要請です、再出場願います」
隊長「これで10連続出場です、もう燃料もかなり少ないです、一度帰署させてもらえませんか?」
本部「ちょっと待って下さい…えっと…ごめんなさい、次の隊だと10キロ近くになります、出場願います」
隊長「…了解」
機関員「はぁぁぁぁ…死んじゃう…」


帰署

10件目の出場を終えて燃料が枯渇しました。いよいよ限界だと本部に告げて、昨日の朝から一度も辿り着けなかった消防署に戻ってきました。深夜1時を回り凍てつく寒さの中、救急車に燃料補給をします。

隊長「何リットル入った?」
機関員「ギリギリでしたよ…オレたちの飯は配慮されないけど、救急車の飯は配慮されるからな…」
隊員「ガソリンがないと走れないですからね」
機関員「人間って飯を食べなくても走られるんだっけ?」
隊員「走っているじゃないですか、オレたち…」
機関員「そうだな…、じゃあ優先すべきはやっぱり給油ってことか…」
隊長「飯はどうにかなっても、休憩は必要だ、もう事務は全部、朝で良いから横になろう」
機関員「はい…正直限界です、布団も引いてない」

救急寝室に向かおうとすると救急隊を奈落の底に突き落とす11件目の出場指令が鳴り響いたのでした。本当に死んじゃう…。


消防署の食堂

結局、朝になってしまった。14件の出場を終えて相番に交替することができました。3人分の朝食がラップされています。

隊員「14件分、事務が全部残っています…」
機関員「今日は昼には帰れるかな?」
隊員「無理じゃないですか…」
機関員「それにしても…今日は酷かったな…、過労の極み…一睡もできなかったのはもちろん、横になるどころか、ろくに帰ってすらできなかった…」
隊員「何時間稼働したのですかね?署にどのくらいいました?」
機関員「それが…21時間超え、恐ろしいよな…」

上司に報告を終えた隊長が食堂に入ってきました。

隊長「大隊長から早く帰ってくれって、良く休んでくれってさ」
機関員「14件分の事務処理は誰がやるって言うんですか、まったく…知らねえってすげえよな…すぐに帰られる訳がねえだろっての…」
隊長「まあ、そう言うなよ、大隊長も心配はしているみたいだから…でも次の当務も3人で頑張ってくれって」
機関員「ええ、大丈夫ですよ、予備機関員もフル稼働、インフルエンザで休みも多いしうちに回せる余剰人員はないでしょう」
隊員「24時間で21時間も稼働しているって、しかもこれを交替なしでやるって異常じゃないんですか?」
機関員「ははは…異常に決まってるじゃないか…」
隊員「こんなこと続けていて良いんですか?」
機関員「良い訳ないだろ、でも変わらないんだよ」
隊員「それで…大丈夫なんですか?」
機関員「さあな?救急隊ならみんな、いつか終わりが来るとは思っているけど…終わらないんだよなぁ~…」
隊員「いつか来る終わりとは?」
機関員「そうだなぁ…、オレたち3人が救急車もろとも大破して死ぬとか、救急車が歩行者の列に突っ込んじゃうとか、そんなとこかなぁ…」
隊員「それって絶対ダメじゃないですか」
機関員「もちろんだよ、そんなことは絶対ダメだ、だからどうにかしちゃうんだよなぁ~、どうにか頑張れちゃうんだよな~」
隊長「これでも大分良くなっているんだ、今は人員がどうにもできないから24時間交替なしだけど、機関員だけは夜から交替するようになっているじゃないか、オレたちは繁華街を抱えているからだけど、町によっては未だに24時間交替なしが当たり前の署もあるんだ」
隊員「本当ですか?この時代にまだそんなことをやっている消防署があるんですか?」
機関員「あるよ、この署だってついこの前までそれが当たり前だったんだ、まあ、救急を降りて今日はこっちの隊へ、明日はあっちの隊へって…それもストレスではあるんだけどね…」
隊員「どうにかしなくて大丈夫なんですか?」
隊長「どうにかしないといけないことは分かっているんだけどな…誰もどうしたら良いのか分からないまま今に至るのが現実だな…、年々救急隊の労務状況は悪くなっているけど、根本的な対策は何もないままだ…」
機関員「お前が子どもだった時には既にあったんだぜ、今日みたいな日は、ずっとどうにもならないまま今って感じだ」
隊員「はぁ…消防官って命がけの仕事だと思ってはいましたけど…命がけの意味が思っていたのとかなり違っています…」
機関員「正直言って病院から署までどういう経路で帰って来たのか、まったく覚えていないことが時々あるんだ、今日はそれだな、交差点でクラクションを鳴らされていても、お前に言われるまでまったく分からなかった…」
隊長「ああ…オレもだ、完全に落ちてた、ごめん」
機関員「いやいや…しょうがないですよ、人間の限界なんてとっくに超えているんだから」
隊員「いつか来る終わり、当事者になるのは止めましょうね、オレ来年、結婚するんです…」
機関員「ああ、もちろんだよ、当事者にだけはなる訳にはいかない、でもさ…正直、誰か終わらせてくれ、きっかけを作れってくれって、そんなことを思っちゃう時もあるんだよな…」
隊員「ああ…ちょっと分かります、仲間の不幸を願っているようで何か気が滅入ります…」
隊長「居眠りで擦った、そんな事故は実は起こっているんだ、でも大事にはなっていない、いつかもっと大きなことが起こることは分かっているんだ、オレもこの隊を当事者にする訳にはいかない、どこの救急隊長もみんな同じ思いだよ、結局、救急医療体制も救急隊の労務環境も、誰かの犠牲待ち、そこに尽きるな…」
機関員「そうならないように、とっとと事務を終わらせて帰ろうぜ」


消防署の事務室

隊長「12件目のおばあちゃんってどっちの膝が痛かったんだっけ?」
隊員「隊長、12件目のおばあちゃんは腰痛です、膝が痛かったのは11件目のおじいさんですよ」
隊長「そうだっけ?あれ?その前の酔っ払いは?」
隊員「酔っぱらいは朝の事案ですよ」
隊長「え?ああ…そうだったな…」

正午になった。昼休みに入り署員たちが続々と昼食の支度に入りました。節電のため署内の電気が来客スペースなどを除き消灯されました。

若い消防士「お昼になったのでエコタイムで~す、消灯しま~す」
隊長「…」
隊員「あ~あ…消されちゃいました…」
機関員「おい!オレたちは明け番だっての!まだ仕事をやっているんだよ!」
若い消防士「あ!すみません!」
機関員「隊長、もう止めましょうよ、やってらんないですよ!昨日の昼休みもなしだ、24時間経って今日の署員が昼休みだからって電気を消されて、ふざけんなって!帰りましょうよ!なんかバカバカしいですよ!」
隊長「あ…うん…そうだな、もう限界だな、ここまでにしようか…」

いつかくる終わり、少なくとも今日の事務処理の終わりは来ないのでした。帰ろう…。

10年以上前の話、先輩はお前が子どもの頃からあった問題だって言っていなたなぁ…。と言うことはもう2,30年は放置され続けてきた問題ってことか…。どうして大丈夫なのだろう?実際、救急隊を取り巻く環境を一変させざるを得ない大きな事故は起こらない。いつか来る終わりはこのまま来ないのだろうか?

来ない方がもちろん良いけど、コロナ禍の今、時々あったこんな日が毎日なのです…。


119番通報する前に1秒だけ考えてほしい、 大切な人がすぐ近くで倒れていないだろうか?今、本当に救急車が必要だろうか?と。
すべては救命のために
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