多数決は歪を生まない

救命士のこぼれ話

この記事はローテーションは歪を生んでの続きです。

先日の会議の結果

先日の会議でこれからの救急隊の労務管理についての方針が決定した。交替乗務をさらに推進し、署全体で救急隊の労務管理の課題に取り組んでいく。これまで救急車に乗務する機会のなかった者も、救急資格者は月に数度は救急車に乗務すること。

帰署途上の救急車内

隊長「…って方針だとさ」
機関員「はぁぁ…冗談じゃないですよ、ただでさえ、交替乗務を面白く思っていないのもいるって言うのに…言葉を選ばないヤツもいるんだから…」
隊長「確かに…ローテーションが歪を生んでいる面はあるよなぁ…」
機関員「替わってもらえるのはもちろんありがたいですよ、でも、不慣れなのが乗ればこっちだって気は使いますよ、チーム力だって低下する…」
隊長「オレだってそう思うよ、資格者だから仕方がないので…、そんなモチベーションのやつがチームに入るのは正直キツイ…」
機関員「他の隊にも迷惑ですよ、ずっと救急ばかりのオレみたいなのが、今日はこの隊、次はあの隊って…、チーム力が落ちるのは救急隊だけじゃない…」
隊長「それは大隊長も言っていた、とにかく正規の救急メンバーを多く降ろせば良いって言うのは違うって、他の隊やチーム力、バランスも考えないと、結局は住民の不利益に繋がるって、それは幹部クラスも同意見だったって…」
機関員「そうですよ、ミスや事故が起これば現場の責任だ、そんなリスクを負ってまでそこまでやる必要あります?」
隊長「最終的には署長の意向みたいだな、リスクは承知の上だって、労務管理だけが目的じゃない、有事に備えることも目的だってさ」
機関員「やれやれ…トップダウンか…上には誰も意見しないからなぁ…リスクは現場に丸投げだ」
隊員「本当、封建的…民主主義のはずなのに」
機関員「ああ…まるでどこかの将軍さまだぜ、現場の意見なんて聞き入れられない、誰得なんだっての…」
隊長「でも、署長の言うことも一理ありだな、有事の際には寄せ集めてのチームもある訳だ、そんな時に備えるのも上の仕事だからな」
機関員「救急隊はずっと出ずっぱりじゃないですか、今に対応する方が先ですよ、まさに今が有事の事態だ、ずっと署にいるからそれが分からないんですよ」

荒れている先輩機関員、同意見です。

消防署の事務室

ポンプ隊長「なあ、聞いたか?これからの方針…オレも月一回は乗れって言われた」
機関員「ええ、何でも署長の意向って話ですよ」
ポンプ隊長「不安だなぁ…オレが救急に乗っていたのなんて10年も前…たまに救急車に乗るだけで、できるほど甘くないよな?誰が得するの?」
機関員「まったくその通り、上にいくと現場が分からなくなるんですよ」
ポンプ隊長「本当だよな~、暴君だな」

この方針には救急隊のみならず、他の隊も、現場にいるみんながかなり否定的でした。

当直「隊長、すみません…」
隊長「ん?何?」
当直「いえね、次の態勢なんですけど、Eさんを隊員でお願いできませんか?」
隊長「Eさん?何でわざわざオレの隊に?」
当直「△救急隊の隊長が…Eさんじゃチーム力が落ち過ぎるって、バランスを考えてくれって…ほら、例の方針でその日は予備の機関員だからって…」
隊長「だからEさんの方をオレに面倒みろって?」
当直「まあ、そう言うことです…」
隊長「そうか…了解、お互い様だから仕方がないよな…」
当直「すみません、よろしく頼みます」

資格者たちをとにかく乗せろ、確かにそれなら稼働時間は分散できるかもしれない。数字の上での成果は上がるかもしれない、しかし、リスクは現場が負担している。

帰署途上、救急車内

機関員「良く引き受けましたね?あっちも同じ救急隊長だっていうのに、バランスを考えてだって?テイの良いリスク回避、所詮は自己保身ですよ」
隊長「まあ、そうかもなぁ…」
機関員「救急資格者はとにかく乗れって、やっぱり無理がありますって、もはや署長だけの自己満足ですよ」
隊長「そうかもなぁ…」
機関員「隊長、お人良し過ぎますよ、上の成果のためじゃないですか、背負い過ぎますよ」
隊長「確かに…そうかもなぁ…」
機関員「…」


深夜、消防署事務室

「お疲れ様でした、今日も結局こんな時間ですね」
機関員「何だよ、まだ起きてたのか?オレはもう寝るぜ」
「了解です、最低限だけは片付けておきます」
隊員「悪いね、助かるよ、オレも寝かせてもらう」

この日の救急隊員は長いこと救急を離れていた大先輩、正規の救急隊員がサポートします。ふたりは救急寝室へと向かいました。現場に出ていなくてもできる事務仕事を片付けます。どんなに疲れていても一服を欠かさない隊長が事務室に上がってきました。

隊長「何だ、起きていたのか?」
「ええ、これだけやったら横になります」
隊長「結局はお前が事務を手伝うことになるんだよな…」
「最低限だけですよ、オレは正規の救急隊員ですから、現場に出る方が絶対大変です」
隊長「こんな取り組みは歪を生むって、誰が得するんだって?やっぱりそう思うか?」
「もちろんですよ、署長だけじゃないですか、実は他の幹部もみんな否定的だって聞いていますよ」
隊長「ああ、そうだなぁ…」
「リスクは現場に降りかかってる、労務管理って名のさらなる足かせだってみんな言っていますよ」
隊長「確かに…それはそうかもしれないなぁ…」
「…」

「うちの隊長は良い人だけどお人良し過ぎる、上に良いように使われ過ぎている、お前は隊長になったら時には主張しないとダメだぞ、だって主張する救急隊長だっているじゃないか、オレにはテイの良い自己保身としか思えないけどな」先輩が言っていたことも分かる…。

隊長「みんなが総スカンの署長だけが正しかった、そんな事態が起きないと良いな?」
「…?どういうことですか?」
隊長「あの署長、もう20年も前かな?一緒に勤務していたことがあるんだよ、あの時は同じ階級だったんだけどなぁ~」
「へえ、そうなんですか、その時から空気を読めない人だったんですか?」
隊長「ああ、当時から誰にも支持されないようなことも意見していた、でも振り返ってみると間違ったことなんて言っていなかったんだよなぁ、仕事はピカイチだった」
「協調性に欠けるって、チームワークに問題ありってならなかったんですか?」
隊長「まあ、そう評価する人は今より多かったと思うよ、でも実はオレ、当時から署長になるべき人だって思っていたんだ」
「え?何でですか?」
隊長「必要なスキルを持っている、全員が反対したって時に押し切る決断はトップに立つ人には必要だよ」
「でも、誰も署長の言うことを支持してないですよ」
隊長「ああ、分かるよ…オレだってそうだよ…でも、みんなの支持ってそもそも必要か?多数決って実は簡単じゃないか?だって間違いの選択だったとしても、みんなで決めたことだからって責任を回避できる、多数決なら歪を生まないで済むかもしれない、でもそれならリーダーなんていらなくないか?」
「それは…そうですね…」
隊長「オレだってたった3人の隊長だけど、実は多数決なんて信じない、だって責任はオレにあるんだ、決断するのが責任者だろ?責任から逃げたいのなら、多数決は最善策だ」
「隊長の言っていることは分かります、でも有事に備えるって何ですか?震災ですか?いつも震災のために準備するって現実的じゃないですよ、先輩も言っていました、今が有事だって」
隊長「有事の事態なんて起こらない、みんなの意見が正解だった、やっぱり署長の暴走だった、それが誰にとっても良いよな…」
「はい…来るか分からないいつかより、現実の今に目を向けてほしいです」
隊長「気持ちは良く分かるよ、ただ、お前もいずれ隊長になった時、絶対に感じるから、みんなの意見を聞くこと以上に、聞かないことの方が難しいって、それが必要な時が現場にはあるから」
「上にいけば嫌われる勇気が必要ってことですか?」
隊長「そんなところだな、今回のこの方針で署長はずいぶん嫌われているな」
「はい、大嫌いです」
隊長「フフフ…寝よう、お疲れ様」
「お疲れ様でした、おやすみなさい」

署長が優秀なのは分かる、決断力があるのも分かる、しかし、リーダーならみんなの意見にもっと耳を傾けて取り入れるべきじゃないのか?ただのワンマンじゃないか…。否定的な意見ばかりしか聞こえてこない中、うちの隊長だけはどうも歯切れが悪いのでした。

数年後

これまでの日常をひっくり返す事態が世界を飲み込んだのでした。あの時、誰も支持していなかった署長の決断だけが正しかった…そう言わざるを得ない事態が本当に起こってしまったのです。

誰かの決断を待っているに続く。

119番通報する前に1秒だけ考えてほしい、 大切な人がすぐ近くで倒れていないだろうか?今、本当に救急車が必要だろうか?と。
すべては救命のために
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