緊迫の救急現場
いつかの帰署途上
隊長「 この前の隊長会議、新人のSは呑み込みが悪いって話になってな」
機関員「Sくん?そんな感じはしないけどな」
隊長「ポンプ隊長の指導が甘いからだって、厳しさがないと部下は育たないって言うわけよ、で、オレは言ったんだよ、そればっかりじゃ今の若い子たちには合わないって」
機関員「で?どうなったんですか?」
隊長「ダメ…、そんなことじゃ屈強な隊は作れないって、伝統が守れないって」
機関員「大隊長は厳しい隊で這い上がってきた自負も誇りも強いですからね、頑固だからなぁ」
隊長「いや、それは分かるんだよ、それはそれで良いの、でもそれが今の若い子たち、みんなに当てはまらないって言ったの」
機関員「まあ、みんな平成生まれだ、昭和のやり方にハマらないのがいても当然ですよね」
隊長「これまでのやり方が合う子がいて、合わない子もいて、だから指導する側ももっと考えないといけないって、そんなことを提案したんだけど、それは甘やかしているだけだって、厳しさを乗り越えてこそ良い隊が築けるんだって取り付くしまもなし」
機関員「ほかの隊長たちは?」
隊長「ですよね~、大隊長の仰るとおりですってさ、オレの話はやっぱり却下って感じだった」
機関員「ははは、そうでしょうね」
隊長「でもよぉ、喫煙所では言うわけさ、救急隊長の言うことも分かるって」
機関員「それが組織を上手く渡り歩くコツってやつですね、上司の意見には右へ習えってね、それもひとつの伝統だな、ははは」
隊長「まあ、彼らはまだまだ上があるからなぁ、オレは好きなこと言わせてもらわないと」
機関員「ははは、なあ、オレたちはラッキーだな、上司にも意見が言える隊長と組んでて、なあ?」
隊員「へ?すみません、全然聞いていませんでした」
機関員「…、オレは大隊長の意見に賛成かも…」
時代が平成から令和に代わり、消防署のメンバーたちもどんどん若返っています。いつの時代もそうであるように、部下の若者たちは上司との付き合い方に悩み、 上司は上司で若者たちの育成方針に悩んでいたりします。
出場指令
交代しての朝一番の1件目の出場でした。
「救急隊、消防隊出場、〇町〇丁目W方、男性は意識無し、通報は妻から」
重症が想定される内容に、直近である救急隊と消防隊に出場指令がかかりました。119番通報があった電話番号に連絡を入れます。
(119コールバック)
隊員「Wさんのお宅ですね、そちらに向かっている救急隊です、状況を教えて下さい」
妻「はい、夫が、夫が…息をしていないみたいで…お願いします」
隊員「今、急いで向かっています、救急隊が到着するまで心臓マッサージをやっていただきたいのですが、できますか?」
妻「今、娘がやっています、早く、お願いします」
隊員「心臓マッサージはやっているのですね?今、急いで向かっています、ご主人は何かご病気がある方ですか?」
妻「いいえ、何も…ただ、とにかく病院が嫌いで、ずいぶん前から体調が悪かったので、きっとあちこち悪いとは思います」
隊員「そうですか、分りました、間もなく到着できます。私たちが到着するまで心臓マッサージはけっして止めないで続けてください」
運転席と助手席に聴取できた内容を伝えます。
隊長「了解、CPAっぽいな、心マはやっているって?」
隊員「はい、娘さんがやっています、奥さんは慌てていますがしっかりと受け答えができます。特に病気はないけど、病院嫌いであちこち悪いと思うと言っていました」
隊長「了解、かかりつけはなさそうだな…、資器材はCPAに備えたものを準備!消防隊に無線を入れろ、先行するぞ!」
隊員「はい!」
機関員「了解です、消防隊と後から駆け付けます」
現場到着
Wさんのお宅の前には初老の女性が案内に出ていました。とても立派な一軒家でした。
隊長「Wさんのお宅ですね、通報して頂いた奥さんですか?」
奥さん「はい、こっちです、お願いします」
救急隊長と救急隊員が救命資器材を携行して先行します。救急機関員はかさばる搬送資器材などを準備、消防隊の協力を得て、少し遅れて現場に向かいます。
奥さんの案内で部屋に上がると布団上に高齢の男性が仰向けになっており、娘さんが心臓マッサージを実施していました。
傷病者接触
隊長「娘さんですね、心臓マッサージはずっと続けてくれましたね、代わります」
娘「はい、お願いします」
隊長「まず、観察から」
隊員「了解!呼吸…、なし」
隊長「脈拍…、なし、CPR開始、機関員はAED準備!」
機関員「了解!準備中です」
隊長「状況を教えていただけますか?」
娘「はい、ここ数日、体調が特に酷くて、トイレに行くのもやっとという感じだったのですが…」
傷病者は70代の男性でWさん、大の病院嫌いでここ数日でトイレに行くのもやっとであったそうです。それにも関わらず、病院にかかろうとはしなかったのだそうです。ずいぶん前から体調が優れないことが続いており、家族も病院にかかるように、ずっと説得してきたが聞く耳を持たなかったそうです。
隊長「そうですか、それではかかっている病院はまったくない?」
娘「はい、まったくありません」
隊長「健康診断なども?病気はまったく指摘されていませんか?」
娘「はい、会社に勤めていた頃は健康診断などもあったのですが、その時からもう大嫌いで…、定年を迎えてからは健康診断などもまったく行っていません」
病気がないではなく、10年以上も医療に触れていないというのが現実のようです。心電図波形は心静止、身体も冷たく、心肺停止状態になってから時間が経っていそうです。
隊長「お父さんなのですが、呼吸も脈もない状態です。ご覧のとおり救急隊で心肺蘇生法を実施しています。これから私たちにできる救命処置を実施します。」
娘「はい、お願いします」
救急隊長は救急救命士が行うことのできる特定行為を実施し、搬送することを説明し、家族からも了承が得られました。
隊員「隊長、ライン取れました」
隊長「こっちもいいぞ!換気良好!」
消防隊長「資器材は確認すみ、隊員1名を傷病者の足部側に入れる」
隊長「了解、搬送開始」
救急隊は救急救命士が行う特定行為を行い搬送を開始しました。
現場出発
消防隊の協力もあり、迅速に搬出、車内収容する頃には、病院も決まっておりすぐに出発することになりました。搬送途上にWさんの脈拍も呼吸も回復する様子はなく心肺蘇生法を継続し救命救急センターへと急ぎました。
娘「お父さん、ねえ、お父さん、頑張ってよ!」
隊長「娘さん、お父さんは今、頑張っていますよ」
娘「お願いします」
妻「もう、ダメなんでしょうか、もう、難しいでしょうか…」
隊長「 呼吸も脈拍もまだ回復する様子はありません、救急隊も一生懸命心肺蘇生法を実施しています 」
妻「はい…」
隊長「昨日の夜に会話をされたと言いましたよね?それが最後で間違いないですか?」
娘「ええ、私は夜8時頃、もう寝るからとか、そんな会話をしました」
隊長「そうでしたね、それで娘さんは別のお部屋へ、奥さんが夜10時頃にお休みになっているご主人を見たのが最後で間違いないですね、その時はもう眠っていたのですか?」
妻「いいえ…、背中をさすってほしいって言うから、私がさすってあげたんです、その時は会話ができました」
昨夜に妻が背中をさすり、その時に会話をしている。 健常であった最後の時間はいつなのか、これは重要な情報です。
隊長「そうですか、それで朝食ができたからと声をかけたら…息がなかった?」
娘「はい、私が声をかけても返事がなくて…それで…」
隊長「よく分かりました」
昨夜22時が最終目撃…、発見が朝食の時間となると、心肺停止になって数時間経っている可能性が高そうです。
妻「お父さん頑固だったでしょ、私たちがどれだけ言ったって病院になんて行かないって」
娘「うん、多分、体が悪いのは本人が一番よく分かってたと思う、だってこの前は本当に酷かったもん、立つのもやっとで…、無理にでも病院に連れて行けばよかった…」
妻「ふふふ…ダメよ、頑固なんだから、オレは病院に行くくらいなら死んだ方がましだって、そう言っていたんだから、仕方がないわよ」
娘「…そうね、でも本当に死んでも病院に行かないなんて、言ったとおりになっちゃった…」
妻「でもね、昨日はちょっと違ったの…背中をさすってほしいって言って、それで私に言うのよ、今まですまなかったな、迷惑かけたなって…」
娘「お父さんが?」
妻「そう、そんなこと初めてだから、私も驚いちゃって、何言ってるのよって言ったら、ありがとうなって…」
娘「あのお父さんが?」
妻「そう、それが最後の言葉だった…」
奥さん目から涙がポロポロと零れ落ちた。
医療機関到着
「心肺停止 死亡」
帰署途上
機関員「頑固な男の最後の言葉か…」
隊長「長年連れ添った妻に最後の最後に感謝の言葉か…」
機関員「言います?奥さんにありがとうなんて」
隊長「…いや、オレはダメだな」
機関員「オレもですよ」
隊長「Wさんには分かっていたのだろうな、もう最後だって、だから最後に素直になれたのかもしれない」
機関員「見習わないといけないのかもなぁ、でもなぁ…」
隊長「そうだよなぁ…今更なぁ…」
隊員「そんなこと言っていると、言いたいことも言えないで死んじゃいますよ」
機関員「ふん…、そう言うお前はどうなんだ?」
隊員「…いや、その…、オレも久しく奥さんに感謝の言葉なんて言っていないかも…」
機関員「なんだよ、オレたちと同じじゃないか」
隊員「 そういえば、新人のSくんはいつも奥さんに感謝の言葉をかけるって言っていましたよ 、だからなのかな?あそこの夫婦は仲が良いんです」
隊長「やれやれ…Sから教わるべきはオレたちかもしれないな」
機関員「大隊長に進言しときますか?Sくんから学ぶべきは我々かもって、頑固はダメですよって?」
隊長「言えるわけないでしょ」
隊員「ははは、そりゃそうですよね~」
機関員「言っとくけど、お前もこっち側だからな」
隊員「ええ~、嫌だなぁ…」
機関員「本当、失礼な奴だな」
突然の別れは必ずやってくる、それはいつやって来るか分からない。そんなことを日常とする救急隊ですら、自分にはまだ起こらないだろうなんて思っている。一番身近な一番大切な人に、いつも感謝の言葉を、現場で学べた大切なことを実はちっとも生かせていない…。
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