寄り道してくれる

溜息の現場

日が暮れ始めた時間帯の出場指令でした。

「救急出場…○町○丁目…H方急病人、女性は腰部の痛み動けないもの、通報は夫」

との指令に救急隊は出場しました。

現場到着

現場は受け持ち区域、救急車はすぐに到着しました。指令先のHさん宅前で大きく手を振る男性の姿が見えました。おや?その隣に立っている女性の姿が見えます。きっとあの人が傷病者でしょう。

傷病者接触

傷病者は60代の女性、案内に出ていた男性は通報した夫でした。

隊長「要請いただいたHさんですね?患者さんはそちらの方ですか?」
夫「ええ、お願いします」
隊長「痛いのは腰でしたね?すぐにストレッチャーを用意します」
Hさん「いえ、大丈夫、少し歩くくらいなら、救急車には自分で乗れます」
隊員「そうですか、では私が手を貸します」

Hさんは腰痛を訴え辛そうでしたが、隊員が手を貸さなくても歩行は可能でした。自ら救急車内に乗り込み、ストレッチャー上に横になりました。

車内収容

夫は救急車に乗り込むなりこう訴えるのでした。

夫「ここにお願いします」
隊長「こことは?えっと…これはK病院の診察券ですね…」

診察券をパッっと差出しすぐにここに行け言う方、この手の方は時々います。いやいや…、概要もバイタルサインも何も分からず連絡は取れません…。

隊長「奥さんはK病院にかかられているのですか?」
夫「ええ、K病院に急いでお願いします」
隊長「K病院には何を治療してもらったのですか?腰部痛で?」
Hさん「ええ、昔、腰椎ヘルニアでかかった事があります、今回も同じような痛みなのでK病院にお願いします」
隊長「そうですか、整形外科で治療してもらいました?」
Hさん「そうです」
隊長「今も治療を続けられているのですか?」
Hさん「いいえ、最後にかかったのは半年くらい前かしら」
隊長「そうですか、病院には連絡を取られましたか?」
Hさん「いいえ、連絡はしていません」
夫「H病院で大丈夫ですから、とにかく急いでお願いします」
隊長「…あのね、ご主人、救急隊はかかりつけであっても、今の奥さんの症状や状況が分からないまま病院には連絡できませんよ」
夫「はぁ、そうですか」
隊長「血圧を測ったり、痛みの部位などお身体の様子を確認させてください」
夫「はぁ、分かりました」

Hさんのバイタルサインは特に問題なし、痛みは腰部痛のみで、本人は以前に患ったヘルニアの痛みだと訴えていました。病院の科目情報を調べてみると。

機関員「隊長、K病院は整形外科の診察は不能ですよ、整形だと直近は○病院です」
隊長「…そうか」

Hさんが希望するK病院は整形外科が対応不能状態でした。

隊長「Hさん、今調べたのですがK病院は整形外科が診察不能の状態です、ここから一番近くて整形外科が診察可能な病院は○病院なのですが…」
夫「それは困るよ~、もうK病院に行くって言っちゃったし」
Hさん「そうよね、困るわよね…」
隊長「K病院に行くって言った?それは誰にですか?」
Hさん「娘にです、○町に住んでいるんですけど救急車でK病院に行くから病院で待っているように伝えてあります」
隊長「はぁ…ただK病院は診察できない状態ですからね…」
夫「どうにかK病院に連れて行ってもらえませんか」

自分たちですっかりK病院に行くものと決めており、娘にはK病院で待つように連絡してあるとのこと。Hさん夫婦はK病院への搬送を熱望するのでした。これは一度K病院に連絡してみないと納得しないだろうな…。

隊長「分かりました、以前にもかかっていますし、ご本人の強い希望ということで連絡してみましょう、ただ、整形外科は診察可能の状態でないことはご理解ください」
Hさん「お願いします」

現場であるHさんのお宅からK病院までは数キロの距離、この日のK病院の体制では整形外科は診察不能状態でした。しかし、一番近い医療機関であること、傷病者と夫の強い希望があったためK病院に連絡してみました。専門医ではないけど、それでもと患者さんが希望するならどうぞ、そんな風に言ってくれる医師もいるのです。

K病院連絡

機関員「…という患者さんなのですが」
看護師「今日は整形外科の対応できません」
機関員「ええ、それは分かっているのですが、そちらに同症状でかかった事のある方ですし、ご本人にも強い希望があったの連絡させてもらったのですが…やっぱり無理ですか?」
看護師「ごめんなさいね~、今日は絶対無理よ、レントゲンがメンテナンスで止まってるの、整形の先生もいないし」
機関員「なるほど、そういうことですか…それでは対応できませんね、分かりました」
看護師「申し訳ないですね」

機関員「隊長、レントゲンがメンテで止まっているから不能なんですって、整形外科医もいないって」
隊長「了解、Hさん、やっぱり無理ですって、他の病院を当たりますよ」
Hさん「そうですか、仕方がないですね」
機関員「整形外科で診察可能な○病院に連絡しますから」

Hさんはレントゲンも止まっている、整形外科の医師もいない、それなら仕方がないと納得してくれたのですが、納得がいかない旦那さん…。

夫「困るよぉ、娘はK病院に行ってしまっているんだから」
隊長「ご主人のお気持ちも分かりますけどK病院は整形外科の先生がいないし、今日はレントゲンも使えないそうなのですよ、対応できないとのことです、奥さんのためになりません」
夫「それはそうなのかもしれないけどさ、困るなぁ、あいつは携帯電話も持っていないしなぁ…」

困るよぉって言われても困るよぉ…はぁ~ぁ…。ぶつぶつ言っていた夫が何かを閃きこんな事を言い出しました…。

夫「そうだ!それなら、病院が決まったらK病院に寄ってもらって、娘を乗せてから病院に向かってもらうって事でお願いしますよ」
隊長「ご主人…救急車は緊急車両です、奥さんが緊急だから救急車をお呼びになったのでしょ?緊急事態に寄り道する訳にはいきませんよ」
夫「はぁ、緊急事態ですか…」

病院到着

結局、2件目に連絡を取った○病院に搬送することとなりました。

「腰痛症 軽症」

帰署途上

隊長「診察券を出すなり、ここに行けって…」
機関員「さらには、娘を迎えに行けって…?流しのタクシーじゃねえっつうの!」
隊員「診察券を出してここに行けっていうのは良くあるけど、寄り道してくれって要求はなかなかでしたね…」
隊長「ああ…緊急事態だから救急車だなんて思ってないってことだよな」


119番通報する前に1秒だけ考えてほしい、 大切な人がすぐ近くで倒れていないだろうか?今、本当に救急車が必要だろうか?と。

すべては救命のために

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