捨てられて6万8千円也

溜息の現場

歓楽街を管内に抱える救急隊を悩ませるのは何と言っても酩酊者、酔っ払いです。その大きな要因は深夜の要請が多く、暴言、暴力などのトラブルが多いこと。

根本的な問題を言えば、つい先ほどまで大酒を飲めるほど元気な方である訳です。そもそも本来元気な人が救急車なんて呼んだらダメ…。

大人だから飲むことができるお酒、適量の範囲で、節度を持って自分の足で自宅に帰る。こんな当たり前をみんなができれば良いのですが…。


出場指令

「救急出場、〇町〇丁目…○ビル4階、飲食店でパブスナック△の前、男性は倒れているもの、通報は店員のSさん」

深夜の出場、パブスナックの前で倒れていると聞けば酔っ払い、酩酊者である可能性は非常に高いです。現場は受け持ち区域で5分ほどで到着しました。出場途上に通報電話番号に連絡しましたが応答はありませんでした。


現場到着

歓楽街のど真ん中、もう終電が終わっている時間だと言うのに人で溢れています。そのほとんどが酔っ払い、「電車が動くまで飲み明かそう」そんな人たちです。現場の○ビルはスナックやクラブ、キャバクラなどが多数入った雑居ビルでした。救急隊は資機材を傾向して4階に上がりました。


傷病者接触

エレベーターを降りるとオールバックの髪型、黒いスーツ、いかにも夜の仕事、歓楽街に相応しい姿の男性が待っていました。

隊長「こんばんは、救急隊です。あなたが通報して下さったSさんですか?」
Sさん「はい、店の目の前であんな様子でね…困ってるんだよね…」

4階はスナックばかりの階、数店舗が並んでいます。Sさんが指さす先にはパブスナック△の看板、その下に40~50歳くらいの男性が倒れており、看板のネオンに照らされていました。

隊長「ああ…なるほど、あの方ですか…」

隊長は通報者のSさんから情報を取り、隊員は傷病者の観察、機関員は搬送の準備に取り掛かります。倒れていると言っても正確には酔っ払って寝ている。これが最もしっくり来る表現です。

隊員「こんばんは、もしも~し!どうされましたか?」
傷病者「う~ん、う~ん…」

ものすごいアルコール臭…かなり酔っています。

隊長「この方はいつから倒れているのですか?」
Sさん「多分、20分くらい前からかなぁ~」
隊長「こちらのお店で飲まれていたお客さんですか?」
Sさん「…さあ?うちで飲んでいた人じゃありませんよ」
隊長「そうですか…」
Sさん「とにかく店の目の前でこんな風にいられたら困るんだよね」
隊長「そうですよね」
隊員「ねえ、ご主人さん、起きようよ!こんなところで寝ちゃダメだって!ねえ!」
傷病者「う~ん…」
機関員「ねえ、旦那さん、病院行こう!ね、ほら大丈夫?」
傷病者「う~ん、う~ん…」

とにかくすごいアルコール臭…どれだけ飲んだのでしょうか?バイタルサインは意識状態以外は問題ありませんでした。

隊長「Sさん、通報ありがとうございました、我々が病院にお連れします」
Sさん「ええ、お願いします」


車内収容

車内で数回の嘔吐、出てくるのは酒、酒、酒、胃液、酒、胃液…。救急車内の換気扇を回しても回してもすごい臭いです。これだけ吐いて少しは楽になったのか男性は眠ってしまいました。

隊長「ちょっと、起きてください!ねえ、旦那さん、名前教えてよ!ちょっと寝ないで!ねえ、起きて~!」

名前も生年月日も分からない。もちろん現病、既往歴も何も分からない。

隊長「ダメだ、これじゃ身元も何も分からないや…」
機関員「了解…移動します」

救急車は現場からすぐの交番まで移動、警察官の協力を得て傷病者の持ち物から身元が分かりました。傷病者は40代の男性でTさん、既往症やかかりつけの病院などは分かりませんが、この深夜まで深酒ができる本来は元気な方です。

身元が分かっても、搬送先はなかなか決まらない。探しに探して頼み込んで、やっと決まった病院からは、診察して異常がなければ、救急隊から警察官に保護依頼すること。警察官が迎えに来て保護するまで救急隊が面倒をみることでした。

隊長「ご協力ありがとうございました、病院からはこんなことを言われましたので保護依頼させてもらうかもしれません、その時にはよろしくお願いします」
交番の警察官「あ…ああ…そうですか…了解です…」

警察官も苦い顔、気持ちは分かる…。


病院到着

Tさんは病院に到着する頃には酔いも醒めてきたのか、受け答えができるようになってきました。

看護師「こんばんは、ここは病院ですよ、分かりますか?」
Tさん「ほぉえ?」
看護師「あなたのお名前を教えてもらえますか?」
Tさん「ほわぁ%&#%」
看護師「受付をするから保険証を出してもらえるかしら?保険証を持っていますか?」
Tさん「うんうん、%#$&%」

何を言っているか分からない状態ですが、頷いているTさん、自身で財布を広げ保険証を探し始めました。免許証、クレジットカード、これは定期券…、それは会員証…、なかなか保険証が見つかりません。それは小銭、診察券が出てきた…。それはレシート、それもレシート、あら?あらら…はぁぁ…やっぱり…。

Tさんはただの酔っ払いとの診断が下り、パトカーで迎えに来た警察官に保護してもらうこととなりました。約束どおり救急隊が要請し迎えが来るまでの間、診察室で待機することとなりました。

「急性アルコール中毒 軽症」


帰署途上

隊員「やっぱり出てきたよ…まったく…」
機関員「出てきた?だろうな~、あの店員、怪しかったもんな~」
隊長「いくらだったと思う?」
機関員「3万円くらい?」
隊員「もっとです6万8千円!」
機関員「6万8千円、そりゃあ随分使ったなぁ~」

出てきたのはパブスナック△のレシート6万8千円也、Tさんはやっぱりあのパブスナックで散々飲んだ客でした。ついさっき6万8千円も支払ったお客さんなのだから「知らない」ってことはないでしょ…。

通報者のSさんは厄介払いをしたくて救急要請したのでしょう。店の前で寝込んだと言うのも怪しいところ…。お店のソファーで寝込んでしまい「もう帰って」と、追い出されたのかもしれません。捨てられて6万8千円也。


119番通報する前に1秒だけ考えてほしい、 大切な人がすぐ近くで倒れていないだろうか?今、本当に救急車が必要だろうか?と。
すべては救命のために
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