死ぬって言って電話を切って

溜息の現場

119番の通報者は、傷病者本人、家族、そこにたまたま立ち会った第3者など様々です。状況から自自分の判断で通報する人もいれば、現場の詳細がまったく分からないまま通報に至る場合もあります。頼まれ通報と呼ばれるケースでは、通報者はそもそも現場にいないこともあるです。今回のケースではまさに通報者の彼は現場にはおらず…

出場指令

もう少しで日付けが変わろうとしていた深夜、事務処理がやっと片付き仮眠しようかと思っていたところに出場要請が入りました。あぁ…、今日も今日のうちに休むことはできなかった…。

「救急隊、消防隊出場、○町○丁目〇号室S方…詳細不明なるも怪我人、通報は△町にいる男性から、付加する情報あり」

消防署に待機しているポンプ隊とペアでの出場指令です。付加する情報とは指令に載せられないような内容、込み入った詳細な内容である場合です。119番通報を受けた指令員から詳細な情報が伝えられました。

指令員「ただ今の指令の付加情報です、本件は△町にいる男性からの通報(出場指令先から10キロ以上ある町)です、詳細は分からないのですが、指令先住所に住んでいる女性が大変だから救急車を向かわせてほしいとのことです、男性も急いで向かうとのことでした、かなり慌てた通報でこれ以上の情報は取れませんでした」
隊長「大変だから?どういうことなのでしょうか?」
指令員「詳細は不明です、急病なのか怪我なのかも…、とにかく急いで向かってほしいと言われて…こちらにも状況を報告してください、活動には充分気をつけてください、警察官は要請します」
隊長「…?了解しました、出場します」

出場途上に出場指令先の電話番号に電話をかけてみるも応答なし。119番通報したと言う男性にかけてみてもやはり応答なし…。大変な女性がいるから気をつけて活動しろとの情報のみで現場に向かうこととなりました。

現場到着

現場はマンションの一室です。

隊長「あった、ここだ○号室Sさん方、こんばんは、Sさん、救急隊です、失礼しますよ」

ドアを開けようとするも鍵がかかっている。

隊長「Sさ~ん!ここを開けてください、救急隊です!大丈夫ですか?Sさ~ん」

ピンポーン!ピンポーン!ピンポーン!ドンドンドン!いくらドアを叩いてもドアは開かない。

隊長「さて…どうしようか?隊長どうする?」
ポンプ隊長「う~ん…中に人がいてドアを開けられないほどの状況ならドアを壊すけど…分からないよね?情報がなさすぎる…」
隊員「ともかく一度本部に状況入れましょうか?」
隊長「そうだな、本部に連絡入れて、それから通報者にも何度もかけてみてくれ」
隊員「了解です」
ポンプ隊長「消防隊は破壊器具の準備と他にこの部屋への進入方法がないか調べよう」
隊員たち「了解です」
隊長「もしも~し!Sさん、開けてください」

各隊長の下命で消防隊、救急隊がそれぞれの活動を始めました。救急隊長と消防隊長はドアの前で再び呼びかける。救急隊員は本部に今の状況を報告しました。

隊員「○町の現場から救急隊です、現在、ドア施錠中、呼びかけるも応答ありません、救急隊はまだドア越に呼びかけています。消防隊は破壊器具の準備中です」
本部「了解、通報者と連絡は取れましたか?」
隊員「いや…応答なしです」
本部「そうですか…かなり慌てた通報でして、詳細は分からないのですが、彼女が死ぬって言って電話を切ったとか…電話に出ないからもしかしてとか、そんなことを言っていたので…」
隊員「ああ…なるほど、了解です、通報者にはまた何度も電話してみます」

本部への報告内容、通報者の情報を救急隊長、ポンプ隊長に報告しました。

隊長「まあ…そんなところか…」
隊員「これって…彼女が電話に出ないだけで自殺を図っているなんて事実がない可能性がありますよね?」
隊長「ああ…充分あるね…」
隊員「ドアの破壊は…しない方が良いですね?」
ポンプ隊長「ただ…必要があれば…可能性はある…、しかし、そもそもここに居るのかね?その彼女、とてもじゃないけどこれだけじゃドアを壊すって訳にはいかないよな?」
隊長「Sさん、Sさん!もしも~し開けてください、救急隊です、このドア壊しますよ、開けられるなら開けてください!返事できませんか?」

応答なし。右に行っても左に行ってもトラブルが見え隠れしています。

【想定できる事態1】

指令を受けた以上、人命救助が最優先なのだから迅速にドアを破壊し内部を確認する、内部に本当に自殺を図りドアを開けられない状況にある傷病者がいたのなら正しい判断、そんな事実がなかったのなら…

→「何で壊したんだ、私は壊してくれなんて頼んでいない、消防署の責任だ」

【想定できる事態2】

情報も内容も不十分なので破壊に至るまでは慎重に行動する。この事案の場合、通報者の彼氏の到着を待ち同意を得て、警察官とともにドアを破壊するのがベターな活動だと思います。自殺を図った事実がなかった場合、通報者の同意、立会いの下で行ったので消防署の責任だなどと言われる可能性は低い。しかし、本当に自殺を図った事実があり、内部に傷病者がいた場合であるなら

→「だから早く通報したんじゃないか、救出と病院への搬送に時間がかかったのは消防署の責任だ」

どちらの展開も十分にあり得る。どうする?どうする??現場到着からもう10分近く経ちました。

ポンプ隊長「仕方ないね、壊そう、管理人さんか誰か立ち会ってくれる人探してさ」
隊長「そうだね、下に管理人室があったから立ち合いを依頼しよう、この時間では厳しいだろうけどな」
ポンプ隊員「了解、声をかけてきます!」

隊長たちは最悪の事態を想定して決断しました。

隊長「Sさ~ん、これからドアを壊して中に入ります、もし開けることができるのなら開けてください!これからこのドアを壊します」

ガタガタ、中で物音がしました。ああ…やっぱりね…。ドアを壊されるのは嫌ですものね…。ドアが開いた。

傷病者接触

隊長「こんばんは、Sさんですね、△町にいるあなたの彼氏なのかな?通報を受けて駆け付けました」
Sさん「はい…」

Sさんは20代の女性、寝巻き姿で顔はぐしゃぐしゃ、泣いていました。

隊長「怪我も病気もしていない?大丈夫ですか?彼と喧嘩して電話に出なかったってことで良いですか?」
Sさん「はい…」
隊長「そう…それでは私たちは必要ないですか?病院に行かなくて大丈夫ですね?」
Sさん「はい…ひっくひっく…」
隊長「そう、分かりました…それでは私たちはこれで引き揚げます」
Sさん「はい、どうもすみませんでした…」
隊長「いいえ、お大事に…」

何をお大事に?傷病者がいる事実なく現場引き揚げとなりました。救急車、消防車、各車両に戻ります。

ポンプ隊員「はぁぁ…お疲れ様でした」
隊員「はぁぁ…お疲れ様でした」

現場の状況、傷病人の事実はなく引き揚げる旨を本部に連絡しました。実はこの手の事案はけっこうあります。

「誤報」

帰署

救急車、ポンプ車が消防署の車庫に入りました。隊長たちは上司への報告と事務室へと向かいました。さて、まだ起きているかな?

各隊の隊員は資器材、車両の点検をします。と言っても、誤報、使った資器材などありません。深夜の消防署の車庫、後輩のポンプ隊員がつぶやくのでした。

ポンプ隊員「お疲れ様でした、まったく…」
隊員「本当、夫婦喧嘩は犬も食わないとは言うけど…うちらは関わらない訳にはいかないからなぁ…」
ポンプ隊員「ああいう人ってやっぱりいるんですね、オレも昔、彼女みたいなタイプと付き合ってて大変な目にあったことがあるんですよ」
隊員「死ぬって?」
ポンプ隊員「そう…ちょっと口論になっただけですぐにそれ!別れ話なんてしたら、まさに今日のパターンですよ、「死ぬ」って言って電話に出なくなって、オレだけじゃなくって友達とかも巻き込んで大騒ぎにして…もう…本当に大変だったんですよ」
隊員「ふふ…それは大変だったね、色男は大変だね」
ポンプ隊員「でも救急車を呼ぼうなんて全く思わなかったですよ、彼の気を引きたい、かまって欲しい、そんなところでしょ…」
隊員「その彼女とはお別れを?」
ポンプ隊員「ええ、もう本当大変でした、うんざりして終わったって感じです、あんなことをしても嫌われるだけなのに…」

今回の通報者はかなり慌てた様子で通報してきたとのことでしたが、中には通報だけして自分は駆け付けない、そんなパターンもあります。

ポンプ隊、救助隊、救急隊、パトカー、様々な緊急車両が集結しドアを開放、恋人が向かっていないと知りショックを受けている、そんな事案もありました。

まさに後輩が言った通り、気を引きたい、かまって欲しい、騒ぎを起こすため「死ぬって言って電話を切って」もう、うんざりの相手は万が一の保険のために119番通報をする。現場に向かう?いや、もううんざりです…。そんな背景が見えてきます。

確かに万が一があったら人命に関わる可能性がある訳で…しかし、本当に中で自殺を図っていた事案の経験はありません…。

119番通報する前に1秒だけ考えてほしい、 大切な人がすぐ近くで倒れていないだろうか?今、本当に救急車が必要だろうか?と。
すべては救命のために
この記事に対するご意見・ご感想をお待ちしています。twitterなどSNSでのコメントを頂けると嬉しいです。

@paramedic119 フォローお願いします。