救急隊も真っ黒

溜息の現場

師走らしからぬ暖かい日差し、気持ち良い気候のこんな日でも救急車を呼ばなければならなくなるほど具合が悪い人はいる訳で…


出場指令

「救急隊出場、〇町〇丁目…▲駅北口路上、男性は脱力、腹痛、通報は本人から」

指令先の▲駅は隣接する消防署の担当区域、10分はかからず到着できる地域です。救急隊員は資器材の準備を進めながら119番通報電話に連絡しました。

(119コールバック)

隊員「もしもし、そちらに向かっている救急隊です、ご本人でしょうか?」
傷病者「はい…そうです」

声に生気がありません、電話越しにも具合が悪いことが伝わってきます。

隊員「脱力感があって、お腹が痛いとのことですが間違いありませんか?」
傷病者「はい…そうです…」
隊員「何かご病気はありませんか?体調を崩す心当たりなどは?」
傷病者「いいえ…、特には…」
隊員「分かりました、間もなく到着できますので救急車が見えたら手を振って合図していただけますか?」
傷病者「はい…分かりました…」

受け答えはしっかりしており重症感はありません。隊長と機関員に聴取内容を報告しました。

隊長「話はしっかりしているのだな?」
隊員「はい、とても具合は悪そうでした、とにかく生気がないです」



現場到着

救急車が指令先の▲駅前北口ロータリーに入ると男性が手を振っていました。生気がない、傷病者で間違いありません。

機関員「メンタルだな…」
隊長「ああ…、詳細な話は車内で聴こう」

傷病者は若い男性で、誰が見ても具合が悪い様子でした。ロータリーに停車した救急車に向かってトボトボと近寄ってきました。救急隊員の誘導で救急車に乗り込みました。

車内収容

傷病者は20代の男性でNさん、この駅前にある居酒屋チェーン店の社員でした。店はこの駅から歩いて数分のところにあります。

隊長「…と言うことは、間もなく出勤時間?」
Nさん「はい、15時から仕事です、どうにか駅までは来たけど…電車を降りたら、もう本当にダメで…」
隊長「病気はないのですね?過去に同じようなことはありませんか?」
Nさん「病気は特にないけど、ここ2週間くらいずっと調子は悪いです…」
隊長「なるほど…疲れが溜まっていませんか?」
Nさん「凄く疲れてはいます…」

Nさんのバイタルサインに異常値はなし。既往症はなく、かかりつけの医療機関もありません。救急隊は近くの救急病院を選定し、すぐに受け入れ可能の回答が得られたのでした。

現場出発

隊長「一番近くの救急病院に向かいますよ」
Nさん「お願いします、それと…お願いがあって…」
隊長「何ですか?」
Nさん「電話を…今日は出勤できないので…職場に連絡してほしいです…」
隊長「携帯電話で連絡していただいて構わないですよ」
Nさん「いや…本当に具合が悪くて…お願いします…」
隊長「ああ…なるほど、具合が悪くてご自身では連絡が難しいですか?」
Nさん「はい…この時間だとまだ店の電話は繋がらないので…店長はWです」

Nさんは自身の携帯電話を操作し、上司の店長に繋がる電話番号を表示し隊長に手渡したのでした。隊長はNさんの職場に連絡しました。

電話連絡

店長「どうしたんだよ、何度も電話しているだろ!電話出ろって!」
隊長「…もしもし、店長のWさんでしょうか?」
店長「え”…、Wですが…誰?」
隊長「今、Nさんの電話を借りて連絡しています、私は救急隊の者です」
店長「救急隊?」
隊長「Nさんなのですが、▲駅で具合が悪くなりまして、これから病院に行くことになりました」
店長「ああ…そうですか…休むってことですよね?」
隊長「ええ、これから医師が診察して判断することになりますが、今日の出勤は難しいと思います」
店長「ふ~ん、そうですか、本人は電話できないほどに悪いんですか?」
隊長「ええ、そうですね…」
店長「そうですか…はいはい…分かりました」
隊長「それでは、失礼します」
店長「…」

店長の何やら不貞腐れたようなこの様子、これは急遽の休みは一度や二度ではなさそうです。

隊長「Nさん、店長さんに連絡できました」
Nさん「すみません…」

Nさんは20代男性、自宅からこの駅まで電車に乗り、携帯電話を操作し119番通報、自身で救急車に乗り込み、救急隊の質問にもしっかりと受け答えができる。なるほど…具合が悪くなる大きな要因はここにあった訳だ。


病院到着

「腹痛 軽症」


引揚途上

機関員「彼…仕事を辞めた方が良いよな?メンタルが壊れちゃうぜ」
隊員「もう既に大分蝕まれていますね…」
隊長「15時出勤で店が終わる翌朝まで仕事なんだって、特に忘年会の今の時期はそれを週6だって…」
隊員「拘束時間は実質15時間くらい…いくら若くても身体も十分に壊れるレベルですね…でもやっぱりメンタルが先だな…」
機関員「まさにブラック企業…、その店長、どうせパワハラ気質でしょ?」
隊長「ああ、電話で少し話しただけでも伝わってきた、彼の圧も相当な原因だよ」
隊員「どこにもいるんですよね~、圧がキツい先輩って、たちが悪いんですよね~」
機関員「誰?はしご隊のアイツの悪口?」
隊員「誰とか言ってないでしょ、パワハラはいけないって話です」
隊長「オレたちだって当務の拘束時間は24時間を超えるけど、休日は確保されているもんなぁ…、毎日毎日15時間以上も週6日も働くなんて、酷い労働環境だよな…」
機関員「確かにね…でも、1日の勤務時間だけで言えば、救急隊は稼働時間が20時間近くになる時があるからなぁ…良い勝負かも」
隊員「おまけに圧の強い先輩とかパワハラ気質の上司がいるとか、具合が悪くなって当たり前ですよ」
隊長「ブラック環境なら良い勝負…か?」
機関員「笑えない冗談ですね…今夜はそうはならないと良いのだけど…」

夜になった

そうはならない訳もなく、この日も連続出場を繰り返し、いつの間にやら夜になっていました。

隊員「今日もほぼ署に戻れないじゃないですか…腹が減りました…」
隊長「ああ…帰ったらまずは夕飯だな」

救急車の無線が鳴り響きました。

本部「救急隊、〇町で要請です、出場願います」
機関員「飯はまだお預けだってさ…」
隊員「はぁぁ…そうみたいですね…」

隊長「指令どうぞ…はい…はい…了解、救急隊は向かいます」

隊長が無線機を操作し出場指令を受けました。

機関員「指令先は▲駅近くの歓楽街…師走だからなぁ…」
隊長「ああ、居酒屋で客が嘔吐しているって、ブラックなあの店の近くだ…」
機関員「辺りは真っ暗…やっぱり救急隊も真っ黒だな…」


119番通報する前に1秒だけ考えてほしい、 大切な人がすぐ近くで倒れていないだろうか?今、本当に救急車が必要だろうか?と。
すべては救命のために
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